ジョー・グラボウスキー

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ジョー・グラボウスキー
Joe Graboski
名前
本名 Joseph W. Graboski
愛称 "Grabbo"
ラテン文字 Joe Graboski
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1930年1月15日
身長 201cm
体重 88kg
選手情報
ポジション PF/C
背番号 15, 19, 9, 23, 44,29
ドラフト ドラフト外
経歴
1948-1950
1951-1953
1953-1961
1961-1962
シカゴ・スタッグズ
インディアナポリス・オリンピアンズ
フィラデルフィア・ウォリアーズ
セントルイス・ホークス
シカゴ・パッカーズ
シラキュース・ナショナルズ
Joe Graboski

ジョー・グラボウスキーJoe Graboski, 1930年1月15日 - 1998年7月2日)は1950年代NBAで活躍した元バスケットボール選手。キャリアの大半をフィラデルフィア・ウォリアーズで過ごし、同チームにおける1956年の優勝に貢献した。

グラボウスキーはトニー・カッペンコニー・シモンズに続く、高校卒業後、大学に進学せず直接NBA入りを果たした史上3人目の選手であり[1]シカゴ市のツリー高校卒業後、シカゴ・スタッグズに入団した。スタッグズでの2年間は殆ど出場機会を得られず、また1950年にはスタッグズが解散してしまい、翌シーズンのグラウボスキーはNBAのどのチームにも所属できなかった。1951年にはインディアナポリス・オリンピアンズとの契約に成功。グラウボスキーはこのチームで急成長を見せ、オリンピアンズでの2年目には13.0得点10.0リバウンドのダブル・ダブルの成績を記録した。しかしオリンピアンズはこのシーズン限りで解散。グラボウスキーはまたもや所属するチームを失った。

しかしこの時のグラボウスキーはすでに実力者として認められていたため、すぐにフィラデルフィア・ウォリアーズとの契約に成功した。当時のウォリアーズにはリーグ屈指のセンターニール・ジョンストンが在籍しており、グラボウスキーはジョンストンの相棒として毎シーズン平均13得点10リバウンド前後を記録した。ウォリアーズもグラボウスキーの加入、ポール・アリジンの再合流、新人トム・ゴーラの活躍などで、1956年にはファイナルに進出。フォートウェイン・ピストンズを破って優勝を果たした。ウォリアーズでは1960-61シーズンまでプレイ。ウォリアーズでの最後のシーズンにはウィルト・チェンバレンと共にプレイしている。

ウォリアーズからセントルイス・ホークスに移籍したグラボウスキーは1960-61シーズン中にシカゴ・パッカーズシラキュース・ナショナルズを渡り歩き、このシーズンを最後に現役から引退した。

BAA/NBA通算成績は13シーズンのプレイで、9,280得点6,104リバウンド、平均11.0得点8.1リバウンドだった。

脚注[編集]

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  1. ^ High School Players to enter NBA”. infoplease.com. 2012年3月18日閲覧。

外部リンク[編集]