ジョン・ラッセル (第6代ベッドフォード公爵)
第6代ベッドフォード公爵 ジョン・ラッセル John Russell, 6th Duke of Bedford | |
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6代ベッドフォード公 (サー・ジョージ・ハイター画、1835年) | |
生年月日 | 1766年7月6日 |
出生地 | グレートブリテン王国、ベッドフォードシャー州、ウォバーン・アビー |
没年月日 | 1839年10月20日 (満73歳没) |
死没地 | イギリス、パースシャー州、Doune of Rothiemurchus |
所属政党 | ホイッグ党 |
称号 |
ガーター勲章勲爵士 (KG) 枢密顧問官 (PC) 法学博士 (LL.D.) 王立芸術協会フェロー (FSA) |
配偶者 |
(1) ジョージアナ・ビング (2) レディ・ジョージアナ・ゴードン |
親族 |
第4代ベッドフォード公爵 (父) 初代ラッセル伯爵 (子) |
内閣 | グレンヴィル男爵内閣 |
在任期間 | 1806年3月12日 - 1807年4月11日 |
国王 | ジョージ3世 |
第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセル(英: John Russell, 6th Duke of Bedford、1766年7月6日 - 1839年10月20日)は、イギリスの貴族。ガーター勲章勲爵士(KG)、枢密顧問官(PC)、法学博士(LL.D.)、ロンドン考古協会フェロー(FSA)。
ホイッグ党に所属し、初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルの政権においてアイルランド総督(Lord Lieutenant of Ireland)を務めた。
1767年から1802年までは卿の儀礼称号を付けて「ジョン・ラッセル卿」と称した。
経歴
[編集]1766年7月6日にイングランドのベッドフォードシャー州ウォバーンにあるベッドフォード公爵家の邸宅ウォバーン・アビーで生まれ、8月2日にロンドンの聖ジャイルズ・イン・ザ・フィールズ教会で洗礼を受けた[1]。父親は第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの嫡子タヴィストック侯爵フランシス・ラッセル、母親は第2代アルベマール伯爵ウィレム・ヴァン・ケッペルの娘であるレディ・エリザベス。三人兄弟の次男であり、兄に第5代ベッドフォード公爵となるフランシスが、弟に庶民院議員を務めたウィリアムがいる。
1788年から1790年まで、及び一期挟んで1790年から襲爵する1802年までデヴォン州タヴィストック選挙区選出のホイッグ党所属庶民院議員[2][3]。1802年に未婚のまま死去した兄の後を継いで第6代ベッドフォード公爵となり、貴族院に移る。
1806年2月12日、アイルランド総督に任じられ、同時に枢密顧問官に列せられた[4]。総督には1807年まで在職し、その間は聖パトリック騎士団のグランド・マスターでもあった[5]。
ベッドフォードは1830年10月25日にガーター勲章を授与された[6]。
1839年10月20日にスコットランド・パースシャー州の Doune of Rothiemurchus[訳語疑問点] で死去し、イングランドのバッキンガムシャー州チェニーズに葬られた。爵位は長男のタヴィストック侯爵フランシス・ラッセルが相続した。
家族
[編集]最初の妻は第4代トリントン子爵ジョージ・ビングの次女であるオナラブル・ジョージアナ・エリザベス・ビングで、1786年3月21日にブリュッセルで結婚した[1][5][7]。彼女との間に三男をもうけた。
- 第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル (1788年 - 1861年) - 1839年襲爵
- ジョージ・ラッセル卿 (1790年 - 1846年) - 陸軍少将
- 初代ラッセル伯爵ジョン・ラッセル (1792年 - 1878年) - 1861年叙爵。イギリスの首相
1801年にジョージアナ・エリザベスと死別すると、1803年6月23日に第4代ゴードン公爵アレグザンダー・ゴードンの五女であるレディ・ジョージアナ・ゴードンと再婚した[1][5][7]。式はロンドン・ホワイトホールのファイフ・ハウスにあった聖マーティン=イン=ザ=フィールズ教会で行われた。後妻との間には七男三女をもうけた。
- レディ・ジョージアナ・エリザベス・ラッセル (1867年没)
- ライアススリー・ラッセル卿 (1804年 - 1886年) - ウィンザー聖堂参事会員
- エドワード・ラッセル卿 (1805年 - 1887年)
- チャールズ・ジェイムズ・フォックス・ラッセル卿 (1807年 - 1894年) - 陸軍中佐
- フランシス・ジョン・ラッセル卿 (1808年 - 1869年)
- レディ・ルイーザ・ジェイン・ラッセル (1812年 - 1905年) - 初代アバコーン公爵ジェイムズ・ハミルトン夫人
- ヘンリー・ラッセル卿 (1816年 - 1842年)
- コスモ・ジョージ・ラッセル卿 (1817年 - 1875年)
- サー・アレグザンダー・ラッセル卿 (1821年 - 1907年) - 陸軍大将
- レディ・レイチェル・イヴリン・ラッセル (1826年 - 1898年)
出典
[編集]- ^ a b c Cokayne, George Edward [in 英語], ed. (1912). "BEDFORD". The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain, and the United Kingdom Extant, Extinct, or Dormant (英語). Vol. 2 (2 ed.). London: The St. Catherine Press, ltd. p. 85. 2013年7月18日閲覧。
- ^ Cannon, J. A. [in 英語] (1964). "RUSSELL, Lord John (1766-1839).". In Namier, L.; Brooke, J. [in 英語] (eds.). The History of Parliament: the House of Commons 1754-1790. London: Secker & Warburg. 2013年7月14日閲覧。
- ^ Symonds, P. A.; Fisher, David R. (1986). "RUSSELL, Lord John I (1766-1839), of Woburn Abbey, Beds.". In Thorne, R. G. (ed.). The History of Parliament: the House of Commons 1790-1820. London: Secker & Warburg. 2013年7月14日閲覧。
- ^ "No. 15889". The London Gazette (英語). 11 February 1806. p. 189. 2013年7月15日閲覧。
- ^ a b c Doyle, James William Edmund [in 英語], ed. (1886). "BEDFORD.". The Official Baronage of England: Showing the Succession, Dignities, and Offices of Every Peer from 1066 to 1885 (英語). Vol. 1. London: Longmans. p. 163. 2013年7月18日閲覧。
- ^ "No. 18750". The London Gazette (英語). 26 November 1830. pp. 2478–2479. 2013年7月15日閲覧。
- ^ a b Burke, Bernard, Sir [in 英語], ed. (1869). "BEDFORD.". A genealogical and heraldic dictionary of the peerage and baronetage of the British Empire (英語) (31 ed.). London: Harrison. pp. 86–87. 2013年7月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr John Russell
- "ジョン・ラッセルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- ジョン・ラッセル - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- John Russell - Find a Grave
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