ジョゼフ・ド・ギーニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ジョゼフ・ド・ギーニュ(Joseph de Guignes、1721年10月19日 - 1800年3月19日)は、フランスの東洋史学者。

略歴[編集]

ギーニュはポントワーズで生まれた。エチエンヌ・フルモンに学び、1745年にフルモンが没すると、そのあとをついで王室図書館の東洋語の書記・翻訳者として働いた。1752年にロンドン王立協会、1754年にフランスの碑文アカデミーの会員として認められた。1757年にはコレージュ・ド・フランスシリア語教授に任命された。

子のクレチアン=ルイ=ジョゼフ・ド・ギーニュも中国学者で、オランダ大使イサーク・ティチングの通訳として北京を訪れ、また『中仏羅辞典』を編纂した。

主要な著作[編集]

ギーニュは中国史書と欧州の歴史文献を照らし合わせ、「フン族=匈奴説」、「柔然=アヴァール説」などを提唱したことで知られる。

ギーニュが中国を古代エジプトの植民地だと主張したことは当時の学会に賛否両論を生んだ[1][2]。ギーニュは漢字がエジプトのヒエログリフから出たと主張した[3]

脚注[編集]

  1. ^ 前嶋(1959) p.2
  2. ^ 矢島(1977) pp.52-53
  3. ^ 関根(1964) pp.35-36

参考文献[編集]