シンクロニシティ

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シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳される。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ[1][2]

概説[編集]

シンクロニシティは日本語では「共時性」と訳され、複数の出来事が意味的関連を呈しながら非因果的に同時に起きることである。しかし、因果関係自体が哲学的議論になってくるため、正確な理解は難しく、解釈の余地が大きいとする考えがある。シンクロニシティは、それが起きることで意味を生成しているともいえ、ユングはシンクロニシティに現われる意味は、もっぱらユング心理学の中核概念である「元型」であると主張した[1]

ユングは深層心理を分析する上で、集合的無意識を最も重視していた。患者の深層心理分析の過程でしばしばサイ現象(PSI)を体験した。特に治療が功を奏し患者が快方に向かう過程でよく起こり、その様子は、ユングの死後に刊行された『ユング自伝』にも詳しい。ユングが重視した集合性とは人が皆、無意識の部分で共有する歴史的、社会的、生物的部分であったが、ユングのサイ現象に対する見方も集合的無意識と関連させられることが多く、サイ現象もまた被験者個人の性格とは無関係と断定している[1]

ユングは超心理学に大きな関心を寄せるも、論文を発表したり超心理学のコミュニティへの参加などには消極的であり、周囲から再三、サイ現象体験とそれに対する考えを発表の依頼もあったが、臨床上の知見では専門外の人は説得できないとの理由で断っていた。しかし、1952年、初めて発表した超心理学的な理論がシンクロニシティであった。立論には量子の排他原理でノーベル賞を受賞した物理学者で自身もサイ現象体験者で、ユングの心理分析も受けたヴォルフガング・パウリの影響もあった。また、ユングは占星術をシンクロニシティの傍証として取り上げ、晩年にはUFOとの遭遇体験もまた集合的無意識の投影であるとする著書『空飛ぶ円盤』を出版するにいたるほど、その理論化の対象はサイ現象を超えて超常現象にまでいたった[1]

ユングは、ノーベル物理学賞受賞理論物理学者ヴォルフガング・パウリと後に1932年から1958年までパウリ=ユング書簡と呼ばれるパウリのとそれに対するユングの解釈におけるシンクロニシティの議論をし、それをまとめて共著とした"Atom and Archetype:The Pauli/jung Letters, 1932 - 1958"(『原子と元型』)を出版している。[3]同書のユングの説明によると、人々の心(複数の人々の心)にあるファンタズム(ヴィジョン)と主観は同時的に起きているのであって、ファンタズムが起きている時には互いの心に(ファンタズムが)同時的に起きていることに気づいていないが、後になって客観的な出来事が、多かれ少なかれ同時的に、離れた場所ですら起きたと判明することになり、それについて(客観的な出来事が)シンクロ的に起きたのだと確信的に考えることになるという[4]

なお、ユングは様々な著書で、人間の意識同士は実は、集合的無意識(collective unconscious)によって、そもそも交流しているということは述べている。集合的無意識が、人々の、人々の主観的な意識に入ってゆく過程を、ユングは「個性化」と名付けた。またユングは個々の人の意識が集合的無意識へと反映されるプロセスもあるとしている。人の心は表面的には個別的であるかのように見えてはいても、実は根本的には交流しているのだとしているのである。

ユングは、coincidences コインシデンスについても、(その全てではないにせよ、少なくとも一部は)単なる「偶然」によって起きているのではなく、co-inciding(共に、出来事を起こすこと)、と見なしたのである。

[5]

また、スピリチュアルニューエイジの界隈において、何かのサインや呼び寄せた偶然など所謂虫の知らせに近い用法で使われることもある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 5-8シンクロニシティ - 明治大学情報コミュニケーション学部教授メタ超心理学研究室 石川幹人
  2. ^ コトバンク - シンクロニシティー synchronicity
  3. ^ 邦訳としては『自然現象と心の構造―非因果的連関の原理』海鳴社、1976 ISBN 4875250614
  4. ^ Atom and Archetype:The Pauli/jung Letters, 1932 - 1958
  5. ^ ユングのシンクロニシティについて語る時に挙げられる例に、プラム・プディングに関わるものがある。ユングの語るところによれば、1805年にフランスの詩人エミール・デシャン(en:Émile Deschamps)が、ドゥフォルジュボー(de Forgebeau)からプラム・プディングをご馳走してもらったことがあった。その10年後の1815年、デシャンはパリのレストランでメニューからプラム・プディングを注文したが、給仕は最後のプディングが他の客に出されてしまったと告げた。その客とはドゥフォルジュボーであった。更に17年経過した1832年、 デシャンはある集会で再びプラム・プディングを注文した。デシャンは昔の出来事を思い出し、「これでドゥフォルジュボー氏が居れば役者が揃う」と友人に冗談で話していた。まさにその瞬間、年老いたドゥフォルジュボーが部屋に入ってきたとのことである。 なお、デシャン自身はドゥフォルジュボーの名を「ドゥフォンジビュ(de Fontgibu)侯爵大佐」としていて、ナポレオンに敵対して戦ったと書いている。

関連項目[編集]

Further reading さらに知るための文献[編集]

外部リンク[編集]