シューシュタル

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シューシュタル
شوشتر
シューシュタルの位置(イラン内)
シューシュタル
シューシュタル
イラン内の位置
座標: 北緯32度3分0秒 東経48度51分0秒 / 北緯32.05000度 東経48.85000度 / 32.05000; 48.85000
Flag of Iran.svg イラン
フーゼスターン州
世界遺産 シューシュタルの
歴史的水利施設
イラン
シューシュタル
シューシュタル
英名 Shushtar Historical Hydraulic System
仏名 Système hydraulique historique de Shushtar
面積 240.4152 ha
(緩衝地域 1572.2009 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(2),(5)
登録年 2009年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
シューシュタルの位置
使用方法表示

シューシュタル (شوشتر) は、イランフーゼスターン州にある古代以来の要塞都市である。州都アフヴァーズより約 92 km 離れたところに位置しており、2005年現在の人口は約9万人である。

歴史[編集]

水利施設の建設と繁栄、衰退まで[編集]

シューシュタルは、アケメネス朝時代には Šurkutir と呼ばれていた。この名前は、アケメネス朝の首都であったスーサにも関連しており、スーサよりも立派な都市を意味する。

サーサーン朝時代になると、シューシュタルはカルン川 (en) に浮かぶ中州となり、サーサーン朝における夏の首都に選ばれた。カルン川は、シューシュタルを囲む堀の役割を果たし、東・西・南の三方にシューシュタルの町へ渡ることが可能な橋がかけられた。シューシュタルのそばを流れる幾筋の河川がシューシュタル周辺の農業の発展に貢献した。そこでは、サトウキビや主要農産物が生産された。

サーサーン朝のシャーであるシャープール1世は、ローマ帝国皇帝ウァレリアヌスを打ち破った際に、ローマ人捕虜を用いて、カエサルの橋(en)と呼ばれる 550 m の長さに及ぶ巨大な橋梁・ダムを建設させている。

シューシュタルの周辺に張り巡らされた水利網を Ghanat と呼び、河川とため池や建物とを結び、シューシュタルの町に水を供給した。戦時には、シューシュタルの城門は閉じられた。これらの Ghanat 群は、今日でも、シューシュタルの地下室でも見受けられる。

19世紀になると、シューシュタルの水利施設は存亡の危機に立たされた。結果として、19世紀以降、シューシュタルは衰退の一途をたどり、1973年モハンマド・レザー・パフラヴィーがシューシュタルの再建に動くまで、衰退が続くこととなった。

1973年以降[編集]

1973年パフラヴィー朝は、19世紀以降、水利施設が荒廃していたシューシュタルの再建に乗り出した。塔、ダム、橋などで構成され、カールーン川のギャルギャル運河とシャティート運河の2つの主要な運河を含み、ギャルギャル運河は製粉場に通じるトンネルを経由して、現在もシューシュタル市に水を供給し、フーゼスターン州における農業を振興させた。カルン農業産業会社 (Karun Agro-Industries Corporation) によって、シューシュタル旧市街の対岸にシューシュタル・ニュータウンと呼ばれる町が建設された。シューシュタル・ニュータウンの建設によって、シューシュタルにおける砂糖産業に従事している労働者の住居を提供する一方で、シューシュタル旧市街の再生に関心を持たせると同時にこの地方の経済発展を目指していた。

2009年、シューシュタルの水利施設はUNESCO世界遺産に「シューシュタルの歴史的水利施設」として登録された。

世界遺産[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

外部リンク[編集]

座標: 北緯32度03分 東経48度51分 / 北緯32.050度 東経48.850度 / 32.050; 48.850