ベヒストゥン碑文

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座標: 北緯34度23分26秒 東経47度26分9秒 / 北緯34.39056度 東経47.43583度 / 34.39056; 47.43583

世界遺産 ベヒストゥン
イラン
ベヒストゥンの磨崖にある碑文
ベヒストゥンの磨崖にある碑文
英名 Bisotun
仏名 Behistun
面積 187 ha
(緩衝地域361 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3)
登録年 2006年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示

ベヒストゥン碑文: The Behistun Inscription, ペルシア語: بیستونBīsotūn)は、アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス1世が、自らの即位の経緯とその正当性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑イラン西部のケルマーンシャー州にある。

名称[編集]

現代ペルシア語での名称はビーソトゥーン(ペルシア語: بیستون‎)であり、世界遺産の登録英語名も Bisotun になっている[1]。この語は bī- (…のない)+ sotūn (柱)からなり、文字通りには「無柱」という意味である。

ディオドロスの『歴史叢書』2.13.1 に Βαγίστανον バギスタノン と記されていることから、古代ペルシア語の名前は *Bagastāna (神の地)だったと考えられている[2]。これに対応する中期ペルシア語の形は *Bahistān になるはずだが、中世アラブの地理書には実際にはペルシア語 Bahestūn/Behestūn を反映した形で現れる[2]

概要[編集]

Fr. シュピーゲルによるスケッチ(1881年)

ダレイオス1世の碑文は地上100m以上の高い場所にあり[3]、高さ3m・幅 5.5m の浮き彫りの周辺に、同じ内容の長文のテキストが、エラム語古代ペルシア語アッカド語(新バビロニア語)という3つの異なった言語で書かれている。当初はエラム語の碑文のみであったが、壁画像を追加する段階でアッカド語と古代ペルシア語の碑文も増補されたと見られている。

エラム語は2箇所にほぼ同じ内容のものが書かれ、第1のものは323行、第2のものは260行からなる。アッカド語は112行からなる。古代ペルシア語は合計414行からなる[4]。ベヒストゥン碑文は古代ペルシア語の現存する最古の碑文である[5]

碑文と同じ内容が記されたものがエジプトのエレファンティネ島出土のアラム語パピルス文書群から発見されている。

解読[編集]

イギリス軍武官のヘンリー・ローリンソンは岩によじのぼって碑文を写し取り、1846年以降に全文と古代ペルシア語部分の翻訳を発表した[3]グローテフェント以来の古代ペルシア語の解読はここにほぼ完成した。ローリンソンはまたエドワード・ ヒンクス英語版の研究を元にして、アッカド語部分の解読を1851年に発表した[6]。1855年にはエドウィン・ノリスがエラム語部分の解読を発表した[7][8]

内容[編集]

ダレイオス1世が反乱軍の王ガウマタ(スメルディスを名乗った)に対して勝利したことを記念するレリーフ
ダレイオス1世は、命乞いをする9人の指導者の面前でガウマタを踏みつけている。最後尾のとんがり帽子はサカSkunkha。王の後方はボディーガードや戦士。

碑文にはまずアケメネス以来の家系とアケメネス朝の版図を記す。ついでカンビュセス2世が兄弟のスメルディスをひそかに殺したが、その後にガウマータという人物がスメルディスを自称してカンビュセス2世から国を奪い、王家の人物を粛清したこと、しかしダレイオス1世がアフラ・マズダーの加護によってガウマータを倒して王位についたこと、その後に各地で反乱が起きたがそれらを鎮圧したこと、とんがり帽子のサカに遠征したことなどを記す。

ダレイオス1世(在位:紀元前522年-紀元前486年)は、この碑文に「アフラ・マズダーの恵みによって、王となりえた」と記し、ゾロアスター教が国の権威であることが示されている[9]ダレイオス1世以前には、古代バビロニアではマルドゥクが信仰されていた。ゾロアスター教の成立以前からミタンニヒッタイトではヴァルナ神の名が知られていたが、ゾロアスター教が成立するとアフラ・マズダーとされた。この時期にアケメネス朝ペルシアの国教となった経緯についてはわかっていない。


世界遺産[編集]

2006年に碑文を含む磨崖がユネスコ世界遺産に登録された。

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

脚注[編集]

  1. ^ World Heritage Centre: The List: Bisotun”. UNESCO. 2015年7月23日閲覧。
  2. ^ a b Rüdiger Schmitt (1989). “BISOTUN i. Introduction”. イラン百科事典. IV, Fasc. 3. pp. 289-290. http://www.iranicaonline.org/articles/bisotun-i. 
  3. ^ a b 関根 (1964) p.122
  4. ^ Rüdiger Schmitt (1989). “BISOTUN iii. Darius's Inscriptions”. イラン百科事典. IV, Fasc. 3. pp. 299-305. http://www.iranicaonline.org/articles/bisotun-iii. 
  5. ^ Rüdiger Schmitt (1993). “CUNEIFORM SCRIPT”. イラン百科事典. VI, Fasc. 5. pp. 456-462. http://www.iranicaonline.org/articles/cuneiform-script. 
  6. ^ 関根 (1964) p.130
  7. ^ 関根 (1964) p.147
  8. ^ Norris, Edwin (1855). "Memoir on the Scythic Version of the Behistun Inscription". Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland 15. 
  9. ^ P・R・ハーツ『ゾロアスター教』P.59

参考文献[編集]

  • 関根正雄 「楔形文字の解読」『古代文字の解読』 高津春繁; 関根正雄、岩波書店1964年、99-149頁。

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、ベヒストゥン碑文に関するカテゴリがあります。
  • OLD PERSIAN TEXTS”. Avesta -- Zoroastrian Archives. 2015年7月23日閲覧。 (古代ペルシア語部分の全文の翻字と英訳)