コロナートゥス

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コロナートゥスラテン語:colonatus)は、古代ローマにおける大規模所領での農業形態の一つである。

概要[編集]

この前の形態であるラティフンディウムは、奴隷を多数所有する大貴族による大土地所有であった。古代ローマの拡大期においては、戦争捕虜などで安価な奴隷が多数供給され、また同時に領土獲得によって多数の農地がローマの国有地となった。その安価な奴隷を貴族が多数購入し、国有地を借り受け奴隷を使役する事によって低コストで収益をあげた。そしてその収益はいわゆる「パンとサーカス」によって、大土地所有者ではないローマ市民にも還元された。

しかし、パクス・ロマーナの時代では戦争が減り、奴隷の数は減少し市場価格も上がった。そのため奴隷制を前提としたラティフンディウムは成立しなくなった。

そこで大土地所有者である貴族は、奴隷の代わりに没落農民をコロヌス、小作人として使うようになった。彼らは奴隷とは違い自由人であり、またアントニヌス勅令によりローマ市民権を有しており、財産を持つ権利あるいは子孫に財産を贈与する権利などを有していた。彼らコロヌスは自らの財産を殖やすために自発的に働く事が期待できたので、これから地代を取り立てることにより収益を増やすという方針に転換したのである。ローマの政体も軍人皇帝期に入り、各地方の軍閥が割拠する時代となり経済基盤のコロナートゥス化によりローマ帝国は帝国としての求心力を失う要因となった。特に浸透した帝国西部では、都市の経済の繁栄を支えていた裕福な都市市民が農村に所領を構えるようになった。これにより都市の衰退を招くとともに、分権化が進んだ。

後にコンスタンティヌス帝が小作人の移動を禁止したため、移動の自由を奪われた。しかしながらそれでも、従来の奴隷に比べれば、彼ら小作人は権利を有した存在であった。そうした半奴隷の小作人が、後に農奴となっていく。

こうして古代ローマ末期の社会構造は、市民と奴隷からなる奴隷制社会から、領主と農奴からなる農奴制へと移行していき、中世封建社会へと変遷する。