クーデンホーフ=カレルギー

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クーデンホーフ=カレルギー家
Coudenhove-Kalergi
クーデンホーフ家の紋章
名の由来 クーデンホーフ家とカレルギー家の複合
家祖 ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー
著名な人物 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー
ロンスペルク城

クーデンホーフ=カレルギードイツ語: Coudenhove-Kalergi)は、ボヘミア貴族の一族。1903年よりこの複合姓(二重姓)を用いている。

歴史[編集]

クーデンホーフ家ブラバントフランス系の貴族で十字軍にも参加したジェラール1世・ドゥ・クーダンノヴに遡り、その後八十年戦争の端緒となったネーデルラントの反乱英語版ハプスブルク家の側について戦い、ハプスブルク家とクーダンノヴ(クーデンホーフ)家が共にその戦争によりオーストリアへ追いやられる以前にフランドルへ移動した。1790年以来帝国伯英語版の称号を持つ。

カレルギス家英語版は10世紀前後からのヨーロッパ最古級の貴族家系のひとつ[1]東ローマ帝国ニケフォロス・フォカスの末裔でクレタ島の一地域の領主になった。13世紀に「カロン」(καλόν:美しい)と「エルゴン」(ἔργον:行為)に由来するカレルギス(Καλλέργης)の姓を創始し、後にカレルギーに改めた。

クーデンホーフ家のフランツ・カール・クーデンホーフドイツ語版伯爵はカレルギー家のマリー・カレルギーと1857年6月27日にパリで結婚した。やがてケルンテンの山脈のツァマト(Zamato) の屋敷とオッテンスハイム英語版の城とロンスペルク英語版Ronsperg)の屋敷と城を含む両家の領地は合わさった。フランツ・カールとマリーは6人の子を儲けた。長男ハインリヒ日本青山みつ(光子)と1892年に結婚し、東京で子供が2人誕生した。1896年にハインリヒは妻子とともにオーストリア=ハンガリーへ帰国し、後に子供が5人誕生し、合わせて7人の子をロンスペルク城で育てた[1]。ハインリヒは両親死後の1903年に、母方のカレルギー姓を加えて最初のクーデンホーフ=カレルギー伯爵(複合姓を使った最初の伯[2])になった。ハインリヒの次男は欧州連合(EU)の礎を築いたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(栄次郎)である。

人物一覧[編集]

マクシミリアン・クーデンホーフ
マックス・クーデンホーフ
マリア・カレルギス
マリー・カレルギー
クーデンホーフ=カレルギー・光子
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー

クーデンホーフ家[編集]

カレルギス家[編集]

クーデンホーフ=カレルギー家[編集]

  • ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー(1859年 - 1906年) - フランツ・カールとマリーの長男。1892年に青山みつと結婚。初代クーデンホーフ=カレルギー伯爵。
  • クーデンホーフ=カレルギー・光子(1874年 - 1941年) - 旧名は青山みつ。青山喜八と津禰(つね)の三女。親戚に青山二郎。ハインリヒと結婚。夫を引き継いでクーデンホーフ=カレルギー伯爵家第2代当主となる。
    • ヨハン・エヴァンゲリスト・クーデンホーフ=カレルギー(光太郎、Johann Evangelist Coudenhove-Kalergi)(1893年 - 1965年) - ハインリヒと光子の長男。東京生まれ。チェコ語でヨハンの名前(「JOANNES」)と肖像と刻印されたコインが1917年に発行され、将来ヨハンが領主になることを暗示(「ロンスペルク、ストッカウドイツ語版ディアナホーフドイツ語版の領主」と刻印されている[3])しており、後に領主になった[4]。クーデンホーフ=カレルギー伯爵家第3代当主。裕福なユダヤ人実業家の娘で女性飛行家のリリー・シュタインシュナイダーと結婚し一女をもうけたが、66歳で離婚し、69歳でドイツ人の女優と再婚[5]、その2年後にドイツのレーゲンスブルクで没[6]。変わり者としても知られ、自宅に自分の像を模した暖炉を取り付けたり[7]、ペンネームでスキャンダラスな本も執筆した[8]
    • リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(栄次郎)(1894年 - 1972年) - ハインリヒと光子の次男。オーストリアの作家、政治家。国際汎ヨーロッパ連合の創設者。ヨーロッパをユーロ、EUに導いた1人。
    • ゲロルフ・クーデンホーフ=カレルギードイツ語版(1896年 - 1978年) - ハインリヒと光子の三男[15]。オーストリアのジャーナリスト。7人の兄弟姉妹で唯一、貴族と結婚した[1]。妻はオーストリア=ハンガリー帝国の貴族Pálffy ab Erdöd家出身のSophie Marie[16]
      • ハンス・ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー(Hans Heinrich Coudenhove-Kalergi)(1926年 - 2004年) - ゲロルフの長男。プラハで生まれる。コーネリア・カーター・ロバーツ(Cornelia Carter Roberts、1936年ワシントン生まれ)と1969年に結婚。ロンドンで死没。
        • ソフィア・ボウイ・マリー・クーデンホーフ=カレルギー(Sophia Bowie Marie Coudenhove-Kalergi)(1970年 - ) - ロンドンで生まれる。2000年にジェレミー・ワインバーグと結婚。
        • ドミニク・コルネリウス・ヴァレンティン・ゲロルフ・オイゲン・クーデンホーフ=カレルギー(Dominik Cornelius Valentin Gerolf Eugene Coudenhove-Kalergi)(1973年 - ) - ロンドンで生まれる。政治家ヴィンツェンツ・リヒテンシュタインの娘アーデルハイト(1981年ウィーン生まれ、オーストリア皇帝カール1世の曾孫)と2009年に結婚。
      • カール・ヤコブ・マリア(Karl Jakob Maria)(1928年 - ) - ゲロルフの次男。
      • バルバラ・クーデンホーフ=カレルギー英語版(1932年 - ) - ゲロルフの長女。オーストリア放送協会のチェコ特派員を務めていたジャーナリスト。著書に自叙伝『Zuhause ist ueberall』[17]
      • ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー(1937年 - 2018年) - 画家[18]、ゲロルフの三男。
    • エリーザベト(Elisabeth Maria Anna)(1898年 - 1936年) - ハインリヒと光子の長女。オーストリアの独裁者エンゲルベルト・ドルフース首相の秘書。
    • オルガ(Olga Marietta Henriette Maria)(1900年 - 1976年) - ハインリヒと光子の次女。
    • イーダ・フリーデリケ・ゲレス英語版(1901年 - 1971年) - ハインリヒと光子の三女(第6子)。クーデンホーフ=カレルギーの帝国女伯。カトリックの教会史を学んだのち、ベルリン出身のドイツ人エンジニアCarl Josef Görresと結婚。キリスト教の聖人に関する著作を多くものし、とくにリジューのテレーズ研究書で知られる[19]。フランクフルトで没。葬儀には、教皇になる前のベネディクト16世 (ローマ教皇)も参列した。
    • カール・ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー(光、Karl Heinrich Coudenhove-Kalergi)(1903年 - 1987年) - ハインリヒと光子の四男(第7子、末子)。ウィーン出身の女性Anita Karola Neuderと結婚。
  • フリードリヒ・クーデンホーフ=カレルギー(Friedrich Coudenhove-Kalergi)(1861年 - 1882年) - フランツ・カールとマリーの次男。
  • ヨハン・ドミニク・マリア・クーデンホーフ=カレルギー(Johann Dominik Maria Coudenhove-Kalergi)(1863年 - 1925年) - フランツ・カールとマリーの三男。
  • マリア・テクラ・ヴァルブルガ・フランツィスカ・クーデンホーフ=カレルギー(Maria Thekla Walburga Franzisca Coudenhove-Kalergi)(1865年 - 1933年) - フランツ・カールとマリーの長女。
  • リヒャルト・ヨーゼフ・フランツ・マリア・クーデンホーフ=カレルギー(Richard Joseph Franz Maria Coudenhove-Kalergi)(1867年 - 1934年) - フランツ・カールとマリーの四男。
  • マリエッタ・アンナ・ゾフィー・ヴィクトリエ・クーデンホーフ=カレルギー(Marietta Anna Sophie Viktorie Coudenhove-Kalergi)(1874年 - 1938年) - フランツ・カールとマリーの次女。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 牛山貴, 三木茂樹, 中川恵, 猪俣かおる, 松本新 (2007年10月). “国際交流ニュース IHCSA Cafe vol.16” (PDF). 広報紙 IHCSA Cafe. 国際交流サービス協会. 2012年6月18日閲覧。
  2. ^ bischofteinitz.de "Ronsperg"(ドイツ語)
  3. ^ Tomas Kleisner. “The Medals of The Counts Coudenhove”. Academia.edu. p. 152. 2013年6月17日閲覧。 “... JOANNES.EV.S.R.I.COM.COUDENHOVE.KAL.AB.RONSP./ A.D.MCMXVII ... DOMINUS.IN.RONSPERG.ET.STOCKAU.ET.DIANAHOF.”
  4. ^ 倉田稔クーデンホーフ・カレルギー・光子の生涯:EECの母-世紀末ウィーンを生きた黒い瞳の伯爵夫人」『小樽商科大学人文研究』第91巻、小樽商科大学、1996年3月、127-143頁、ISSN 0482458XNAID 110006610105 
  5. ^ Johannes Evangelist Virgilio Coudenhove-Kalergi von Ronspergheim, 1893-1965MyHeritage
  6. ^ Johannes Evangelist Virgilio Coudenhove-Kalergi von RonspergheimGeni
  7. ^ RICHARD COUDENHOVE-KALERGIKohoutí kříž
  8. ^ JOHANNES EVANGELIST VIRGILIO COUDENHOVE-KALERGI VON RONSPERGHEIMKohoutí kříž,
  9. ^ Raymond W. Daum collection - Online Archive of California
  10. ^ Raymond Witham DaumMarek Jerzy Minakowski,Genealogia Potomków Sejmu Wielkiego
  11. ^ a b Saying Goodbye to a Jewel of a PersonLos Angeles Times,March 28, 2001
  12. ^ Tiara Thursday: Archduchess Isabella's Peridot and Diamond TiaraOrder of Splendor、2013.10
  13. ^ PRECIOUS ROYAL PARURE DISCOVERED IN VAULT WILL BE SOLD AT SOTHEBYS IN LONDONSotheby’s, 2001.03.01
  14. ^ Glittering past of jewels found wrapped in kitchen paperThe Telegraph,12 Jun 2001
  15. ^ プランタンでクーデンホーフ光子の孫、M・C・カレルギー展 銀座新聞ニュース 2007年8月23日
  16. ^ Gerolf Joseph Benedikt Maria Valentin Franz Coudenhove-KalergiGeni
  17. ^ Zuhause ist überallBarbara Coudenhove-Kalergi, Zsolnay E-Book, 2013
  18. ^ michael-coudenhove-kalergi.com(英語)
  19. ^ Ida Friederike GörresAmazon.com

関連項目[編集]

外部リンク[編集]