クラウンレコード1万円クイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クラウンレコード1万円クイズ』(クラウンレコードいちまんえんクイズ)は、日本クラウン提供のラジオ番組シリーズ。「今週の推薦曲」と題する同社の楽曲のヘヴィー・ローテーションおよび、賞金または賞品付きのクイズ企画からなる。

放送開始当初から帯番組として放送されており、この種の番組では最古参の部類に属する。

歴史[編集]

1967年文化放送NRN)をキー局に『クラウンレコード千円クイズ』の名で開始。インフレ進行に伴い、賞金を増額して『クラウンレコード1万円クイズ』に改称。1969年度~1972年度は放送局をTBSラジオJRN)に移し、小川哲哉(当時TBSアナウンサー)の司会で月曜~土曜の帯番組として放送[1][2][3]。1972年10月からは小川のTBS退社に伴い、TBSラジオでの放送枠は昼のワイド番組『榎さんのお昼だよ~!』に内包され、月曜日~金曜日の放送となる[4]

1973年度より、キー局をニッポン放送(NRN)に再移転し、最盛期には全国32局でネットされていた。

配信を受ける局は基本的に完パケ受け流しで同一内容だったが、制作元のニッポン放送では、担当ディスクジョッキー(DJ)梶幹雄が生ワイド番組『梶みきおの昼休み天国』(1977年10月~1987年4月)を兼任していた時期に、同ワイド内の独立コーナー扱いで、ネット向けとは別内容の『クラウンレコード1万円クイズ』を生放送していた[注 1]

更に朝日放送(ABCラジオ)においても、企画ネット扱いで、生ワイド番組中の独立コーナーとして生放送だった時期があるが、何れにしろ今週の推薦曲とクイズの内容は全国で同期されていた。

この間、懸賞金総額については「毎週お1人様に賞金1万円」(ネット局。後に独自制作局のみ「2名様」)、「毎月20名様に賞金1万円」(全国統一)、「毎日お1人様に賞金1万円」(全国統一)等と微妙に変化している。応募葉書の宛先は当初「【有楽町の旧ニッポン放送の住所】か、今お聞きの放送局のクラウンレコード1万円クイズの係」と案内されていたが、読み上げ時間節約のため、独自制作局を除き「今お聞きの放送局のクラウンレコード1万円クイズの係」に途中から短縮された。

1983年4月からは、『クラウンレコード・ラッキープレゼント』にリニューアルすると同時に、テーマ曲に『函館の女』のインストを採用。1万円の賞金を、自転車やバスタオルセットといった賞品に変更した以外は、【クラウンレコードの新曲及び注目曲の紹介(依然演歌が多く、ポップス系の曲が流れるのは極く希)】→【季節の話題を交えた軽めのトーク】→【クイズの課題曲】という番組構成に変化はなかった。クイズのルールは基本的に3択で(稀にそうでない時もあり 1ヶ月ごとに問題が更新された)、毎月最終火曜日の放送分にて当選者を発表した。終盤に差し掛かったところでアシスタントが「それでは、クイズです。」と発言すると課題曲が流れ、そこから問題を出す。

なお『ラッキープレゼント』に改編後暫くして、DJの梶に加え村上幸子真咲よう子[注 2]ら日本クラウン専属の若手女性演歌歌手がアシスタントとして登場するようになったが、テコ入れも虚しくリニューアルは不評に終わり、その後、時期こそわからないが(CBCラジオ1992年8月番組表に記載されていた)再び、従前の『クラウンレコード1万円クイズ』に題名と内容を戻したものの、梶がニッポン放送を退職しフリーになった1992年頃、一旦は四半世紀にわたるシリーズの歴史に幕を降ろした。

ところがニッポン放送は、『クラウンレコード1万円クイズ』と同じ枠で番組内容も酷似した『東芝EMIミュージックスクランブル』を、競業社の東芝EMIをスポンサーに付けて新規に開始し(その後途中でスポンサーを降板)、NRN系列局向けに裏送りし続けて2021年3月まで放送された[注 3]

本家の『クラウンレコード1万円クイズ』は、10余年の中断を経て、2004年春改編から再び文化放送をキー局に復活した。クラウンレコード(日本クラウン、クラウンミュージック)専属歌手の新曲・推薦曲を紹介し、それにちなんだ簡単なクイズを1週間連続で出題する番組形式は不変である。ただし、3分枠の企画ネット扱いに短縮され、全国版の消滅に伴いゲスト出演の機会もなくなり、ネット局数も極端に減っている。

題名の変遷[編集]

  • クラウンレコード千円クイズ - 1967年 - 1969年。文化放送制作
  • クラウンレコード1万円クイズ(TBSラジオ版、第一シリーズ)- 1969年 - 1973年3月。TBSラジオ制作
  • クラウンレコード1万円クイズ(第二シリーズ) - 1973年4月 - 1983年3月。ニッポン放送制作
  • クラウンレコードラッキープレゼント - 1983年4月 - 不明。ニッポン放送制作
  • クラウンレコード1万円クイズ(第三シリーズ) - 不明 - 1992年頃。ニッポン放送制作
  • クラウンレコード1万円クイズ(第四シリーズ) - 2004年 - 。文化放送制作

ネット局[編集]

2011年9月現在

関連項目[編集]

1970年代よりCBCラジオでは「1万円クイズ」をネットしてきたが[注 5]、1980年代に入ってからも同局は、既に昼間の主婦向けに特化した内容となっていたにもかかわらず、なぜか若者向けの時間帯である21時台に、ずっと「1万円クイズ」を編成し続けてきた(当時のネット局で、夜にこの番組を編成していた局は、唯一同局だけだった)。その流れから、「わ!Wide」が開始されるとそのまま「1万円クイズ」も組み込まれていった。
当然ながら、「わ!Wide」においては異彩を放つ『コーナー』となったが、そんななかで当時、デビュー曲の“超ロングセラー”「兄弟船」が、「1万円クイズ」→「ラッキープレゼント」で幾度も流れたことから、「わ!Wide」リスナーの間で鳥羽一郎が注目を集めた。
前項からのち、「ラッキープレゼント」は「わ!Wide」が存続中に同番組の枠から離れ、午後の時間帯(当初14時台→のちに16時台)に移動する。ただしCBCラジオにおいて、プロ野球のデーゲーム中継(主として中日ドラゴンズ絡みのカード)が行われた場合、「ラッキープレゼント」→「1万円クイズ」は臨時に夜の時間帯に移動して放送することがあった。そのため「わ!Wide」だけでなく、その後継番組である「冨カン」にも、開始時間の遅れなどといった弊害を与えた。
全国ネットで、特定のレコード会社(キャニオンレコード、後にキングレコードも加わる)の新曲紹介と、軽いトークを交えた帯番組「圓蔵(円鏡)の歌謡一直線」を内包。
  • 中根幸夫 - 芸能評論家。「ラッキープレゼント」時代の当番組に不定期に出演し、その時々の歌謡界に関する解説を行った。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ つまり、テープネットまたは裏送り用の番組は、いわゆる同時パケ方式ではなく、生放送の前に別途収録していたことになる
  2. ^ アシスタントはその他に、青木まり子(同名のフォークシンガーとは別人)、立樹みか など。渡辺博美や真帆香ゆりも一時期務めた。
  3. ^ クイズがないところを除けば、曲を2つか3つ流し、合間に季節の話題を挟むスタイルは同じ。
  4. ^ 昼のワイド番組内で放送されていた。
  5. ^ ただし70年代前半の一時期、東海ラジオの夕方に放送された時もあり。「東海ラジオ放送二十年史」304ページに掲載の、'71年12月番組表(写真)に、月 - 金の18:50 - 19:00に「クラウン1万円クイズ」とある。

出典[編集]

  1. ^ ラジオ東京スピリッツ TBSラジオ番組表1970年5月”. TBSラジオ&コミュニケーションズ. 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月6日閲覧。
  2. ^ ラジオ東京スピリッツ TBSラジオ番組表1971年5月”. TBSラジオ&コミュニケーションズ. 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月6日閲覧。
  3. ^ ラジオ東京スピリッツ TBSラジオ番組表1972年5月”. TBSラジオ&コミュニケーションズ. 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月6日閲覧。
  4. ^ ラジオ東京スピリッツ TBSラジオ番組表1972年10月”. TBSラジオ&コミュニケーションズ. 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月6日閲覧。

外部リンク[編集]