ガイウス・テレンティウス・ウァロ

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ガイウス・テレンティウス・ウァッロ (ラテン語: Gaius Terentius Varro) は、共和政ローマの政治家・将軍。紀元前216年執政官の職に就いた。

紀元前218年、ウァッロはプラエトル(法務官)に選出された。第二次ポエニ戦争中の紀元前216年ルキウス・アエミリウス・パウルスとともに執政官に選出された。同年8月2日、当日の軍の指揮官にあたり、ハンニバル率いるカルタゴ軍との決戦を望んだためカンナエの戦いが起こった。ハンニバルの包囲作戦によってローマ軍は壊滅的打撃を受けたが、ウァッロは逃亡した。

紀元前215年から紀元前213年にかけてウァッロはプロコンスルに選出されピケヌムを担当した。さらに紀元前208年から紀元前207年にかけてプロプラエトルに選出されエトルリアを担当し、ハンニバルの弟のハシュドゥルバルと対峙した。紀元前200年、ウァッロは大使としてアフリカへ赴いた。