カール・ミュンヒンガー

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カール・ミュンヒンガーKarl Münchinger, 1915年5月29日 - 1990年3月13日)は、ドイツ指揮者

シュトゥットガルトに生まれ、シュトゥットガルト音楽院を経て、ライプツィヒヘルマン・アーベントロートに指揮を学ぶ。

シュトゥットガルトでオルガニスト合唱指揮者としてキャリアをスタートし、1941年ハノーファーニーダーザクセン国立管弦楽団の指揮者となった。1945年シュトゥットガルト室内管弦楽団を結成、バッハなどのバロック音楽の清新な演奏で世界的名声を得た。1956年に初来日し、バッハやヴィヴァルディの神髄を伝える演奏として高く評価された[1]1961年にはこの室内管弦楽団を45名編成のオーケストラに拡大したシュトゥットガルト・クラシック・フィルハーモニーを組織するが、こちらの試みは成功しなかった。晩年はバロック音楽でオリジナル楽器による演奏が主流となったことで人気が衰え、シュトゥットガルト室内管弦楽団からも離れ、不遇であった[2]

いわゆるバロック音楽の演奏家としてその普及に努めた。ヴィヴァルディの『四季』などポピュラーなもので大変成功したが、その録音(デッカ・レコードに多数の録音がある)をたどる限りバッハ演奏に力をいれていたと言うことができる。特に4大宗教曲(マタイ受難曲ヨハネ受難曲ロ短調ミサクリスマス・オラトリオ)は全てエリー・アメリンクソプラノ独唱に採用して録音し、成功を収めた。また『フーガの技法』、『音楽の捧げもの』など晩年の作品を弦楽合奏を中心として演奏し、現在でも典型的な解釈のひとつとされている。また、珍しいところではウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と組んでのハイドンの録音がある。

脚注[編集]

  1. ^ 礒山雅「J・S・バッハ」講談社現代新書、P188
  2. ^ バッハの研究家で1972年のミュンヒンガーの来日公演にも接している礒山雅は「死去をきっかけにかつての録音を聞き直してみたが、率直に言ってまったく面白くなかった。それは年齢的なものとかいうよりも、すべての音符を均一に演奏しようというミュンヒンガーの姿勢がバッハの音楽と合わないせいだろう」と述べている(「J・S・バッハ」講談社現代新書、P188~P189)

参考文献 [編集]

  • 「世界の指揮者名鑑866」音楽之友社、2010年