エリザ・ボナパルト
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| エリザ・ボナパルト Élisa Bonaparte | |
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トスカーナ女大公 ルッカ・エ・ピオンビーノ女公 | |
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| 在位 | 1809年3月3日 - 1814年2月1日 |
| 在位 | 1805年3月19日 - 1814年3月18日 |
| 全名 | マリア=アンナ・“エリザ”・ボナパルト=バッチョッキ |
| 出生 |
1777年1月13日 |
| 死去 |
1820年8月7日(43歳没) |
| 埋葬 |
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| 配偶者 | フェリーチェ・バチョッキ |
| 子女 |
フェリックス=ナポレオン ナポレオン エリザ・ナポレオーヌ ジェローム=シャルル フレデリック=ナポレオン |
| 家名 | ボナパルト家 |
| 王朝 | ボナパルト朝 |
| 父親 | シャルル・マリ・ボナパルト |
| 母親 | マリア・レティツィア・ボナパルト |
| 宗教 | キリスト教カトリック教会 |
マリア=アンナ・“エリザ”・ボナパルト=バッチョッキ[1](仏: Maria-Anna "Élisa" Bonaparte Bacciocchi Levoy, 1777年1月13日 - 1820年8月7日)は、フランス皇帝およびイタリア王であるナポレオン1世の妹[2]。フランス帝国の皇女にして、イタリアにおける、ルッカ・エ・ピオンビーノ公国、トスカーナ大公国の君主である。エリザは本来の名ではなく愛称であった。夫は同郷コルシカ人のフェリーチェ・バチョッキ。
略歴
[編集]1777年、コルシカ島で生まれる。1784年に当時の女子教育の最高学府であるサン=シール学院(fr)に入学するも、フランス革命による同校閉鎖によって1792年に中退を余儀なくされた。1797年にコルシカの軍人フェリーチェ・パスクヮーレ・バチョッキと結婚した。
1804年にフランス第一帝政が始まるとともに帝国の皇女となり、1805年にはルッカおよびピオンビーノ公国の女公になった。1809年にトスカーナ大公国が復活すると女大公に封じられたが、1814年にナポレオンが失脚するとともにローマに亡命した。
脚注・出典
[編集]外部リンク
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