ウィ=ディ=ジョリ=ヴィラージュ

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Wy-dit-Joli-Village

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) ヴァル=ドワーズ県
(arrondissement) ポントワーズ郡
小郡 (canton) ヴォーレアル小郡
INSEEコード 95690
郵便番号 95420
市長任期 ジョルジュ・モワセ
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) Communauté de communes Vexin Val de Seine
人口動態
人口 326人
2015年
人口密度 39人/km2
住民の呼称 Vicusiens
地理
座標 北緯49度06分00秒 東経1度50分00秒 / 北緯49.1000度 東経1.8333度 / 49.1000; 1.8333座標: 北緯49度06分00秒 東経1度50分00秒 / 北緯49.1000度 東経1.8333度 / 49.1000; 1.8333
標高 平均:115m
最低:99m
最高:199m
面積 8.37km2
Wy-dit-Joli-Villageの位置(フランス内)
Wy-dit-Joli-Village
Wy-dit-Joli-Village
公式サイト www.wy-dit-joli-village.fr
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ウィ=ディ=ジョリ=ヴィラージュWy-dit-Joli-Village)は、フランスイル=ド=フランス地域圏ヴァル=ドワーズ県コミューン

地理[編集]

ウィ=ディ=ジョリ=ヴィラージュは、ヴェクサン・フランセ地方の小さな村で、オベット川谷沿いの中に位置する。ポントワーズのおよそ20km西、パリの北西50km圏内にある。

コミューンには、教会やコミューン庁舎のあるブール(bourg)や、アンフェールと呼ばれる集落、そしてアズヴィルという集落がある。

1995年以降、コミューンはヴェクサン・フランセ地域圏自然公園に含まれている。

由来[編集]

12世紀にHuis、1337年にVy、そしてVuyであった[1]

地名の古いつづりが示すように、Huis、Vy、Wi、Wuic、Vic、Wy、Vicは、ラテン語で町を意味するvicusからきている[2]。したがって、Village-dit-Joli-Village(読みはヴィラージュ=ディ=ジョリ=ヴィラージュ、「ジョリ=ヴィラージュという村」)という意味となり、重複していることになる[2]

別の語源によれば、「かわいらしい」「美しい」を意味するjoliは、敬意を表している。アンリ4世時代のウィは1200人の人口の村で、騎乗で通りを横断することが難しく、乗り物ではさらに不可能な、大きな石が転がる荒れた通りを持っていた。アンリ4世は愛妾ガブリエル・デストレを伴い狩りのため村を横切る際、村の名を尋ねた。家臣はWyであると答えた。王は「おお、なんとかわいらしい村であろう!(Ah ! le joli village)」と叫んだのだろう。

歴史[編集]

砕かれた燧石性石器と磨かれた燧石製石器の発見は、その地に先史時代から人が定住していたことを示している。

アンフェール集落はカルヴァン主義の歴史と結びついている。なぜならここにはユグノーの墓地があったからである。ジャン・カルヴァンは1532年から1535年までそこに住んでいた。

1870年の普仏戦争とそれに続くパリ包囲戦の間、村は幾度も、マニー=アン=ヴェクサンに駐留していたプロイセン軍を支援しなければならなかった。1871年3月10日、176人のプロイセン人と彼らの馬がウィに滞在し、村を略奪した。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2015年
228 206 158 233 262 307 329 326

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[3]、2006年以降INSEE[4][5]

史跡[編集]

  • ノートル・ダム・エ・サン・ロマン教会 - 歴史的記念物[6]。言い伝えによれば、この地方で生まれたとされる聖ロマンが625年頃建設。
  • 墓地の古い十字架 - 歴史的記念物[7]
  • ガロ=ローマ時代の浴場跡 - ハイポコーストを備える。歴史的記念物[8]
  • アズヴィルのマノワール - 1560年当時のアズヴィル領主が建てたルネサンス様式の邸宅。歴史的記念物[9]

参照[編集]