イブラヒム (オスマン帝国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
イブラヒム
オスマン帝国第18代皇帝
Sultan Ibrahim I 2.jpg
在位 1640年2月9日 - 1648年8月8日

出生 1615年11月5日
死去 1648年8月18日
子女 メフメト4世
スレイマン2世
アフメト2世
家名 オスマン家
王朝 オスマン朝
父親 アフメト1世
母親 キョセム・スルタン
宗教 イスラム教スンナ派
Tughra of Ibrahim.JPG
テンプレートを表示

イブラヒムオスマン語:ابراهيم اول, :Ibrahim I, 1615年11月5日 - 1648年8月18日)はオスマン帝国の第18代皇帝(在位:1640年2月9日 - 1648年8月8日)。父はアフメト1世、母はキョセム・スルタンオスマン2世ムラト4世の弟。子にメフメト4世スレイマン2世アフメト2世

狂人皇帝[編集]

即位前[編集]

1615年、アフメト1世とその夫人のキョセム・スルタンとの間に生まれた。イブラヒムが2歳の時、突然父が崩御し、叔父のムスタファ1世が即位し、母のキョセムとイブラヒムも含めた息子たちは旧宮殿に幽閉された。ムスタファ1世の2度目の退位後は兄のムラト4世が即位し、イブラヒムはカフェスに幽閉された。ムラト4世の治世中、兄のスレイマン、バヤズィト、セリム、カースムらが殺害されていく中でイブラヒムの心は病んでいき、長期間トプカプ宮殿の鳥籠ですごした経験が彼の精神の均衡を崩していった。ムラト4世は崩御の間際にイブラヒムを殺害する様に命じたがキョセムによって阻止された。

即位[編集]

1640年、兄ムラト4世の崩御後即位するが、兄の突然の崩御の悲しみや宮殿内の陰謀による恐怖のために皇帝として即位したことを全く嬉しく思っていなかった。即位当初は慈悲深く貧しい人々を助けることに努めたが、母太后や当時の大宰相が実権を握っていたためにあまり多くの業績を残すことがなかった。

イブラヒムは気まぐれで放縦、淫乱な皇帝で、多くの宝石類をプールに放り込んでは、ハレムの女たちが水中で拾い合う様子を眺めて悦に入ったり、1日に24人の女と性行為に及んだり、宮殿の亭から外の道行く人々に矢を射かけて興じたりする等々といった、常軌を逸した数々の奇行を行ったという。そのため彼は「デリ」(トルコ語で狂った人)とあだ名され、さらに、息子で後のメフメト4世風呂に投げ込む、あるいは、ロードス島に配流しようとした、などの異常な振る舞いが見られるようになり、「狂人イブラヒム」とまで言われるようになった。

イブラヒムの宮廷にはいかがわしい人々が出入りし、ハレムにはシェケルパル・ハトゥンという怪しい女性が仕切り、イブラヒムの病気を治す振りをして私腹をこやしたジンジ・ホジャなどの祈祷師が出入りし、そうした人物が政府の高官にまで上りつめてる。ジンジ・ハジは最終的にはアナトリアの裁判官になった。宮廷内は実質的には母のキョセム・スルタンが取り仕切っていた。

治世の前半は、大宰相ケマンケシュ・カラ・ムスタファ・パシャのもと、ムラト4世のような厳格な規律をゆるめた。1642年にはオーストリアと新しく和平を結び、同年にアゾフをコサックから奪還した。さらに貨幣改革で通貨の価値を安定させ、新しい土地調査も行なって財政を安定させようとした。ケマンケシュはイブラヒムを指導するために統治に関するメモを送り、今も現存している。イブラヒムはしばしば変装してイスタンブールの街を視察し大宰相にさまざまな問題を修正する様に命じた。しかし、ケマンケシュは1644年にキョセムによって処刑されている。1645年、軍事的にも行政的にも能力のない取り巻きが始めたクレタ島包囲はヴェネチアの報復を招き、1646年、ダーダネルス海峡はヴェネチア海軍に封鎖されイスタンブールは苦境に陥った。

廃位と殺害[編集]

1648年、突如自らのハレムにいた側妾や女官、宦官ら280人を皆袋詰めにしてボスポラス海峡に投げ込むという暴挙を行った。さらに、イェニチェリ軍団への課税を試みた大宰相に対しイェニチェリが蜂起すると、ウラマーや母のキョセムまでそれに同調されてしまい廃位されて大宰相へザルパレ・アフメト・パシャともども殺された。アフメト・パシャは民衆からも怒りを買っていたため、遺体を切り刻まれ、バラバラにされた。へザルパレの意味は千個を意味している。メフメト4世が次の皇帝に即位した。

イブラヒムの治世末期にヒューマーシャーという奴隷を愛し、オスマン家の慣例に反して正式に結婚している。これも彼の奇行に数えられるが、スレイマン1世とヒュッレムの正式な結婚が同時代の人たちに眉をひそめられたのと同じく、イブラヒムの結婚に関する悪評は、中傷である可能性も考慮すべきである。

子女[編集]

  • メフメト4世 (1642 - 1693)
  • スレイマン2世 (1642 - 1691)
  • アフメト2世 (1643 - 1695)
  • ムラト (1643 - 1646)
  • セリム (1644 - 1669)
  • オスマン (1644 - 1646)
  • バヤズィト (1646 - 1647)
  • ジハンギル (1646 - 1648)
  • オルハン (1648 - 1650) 母はヒュマーシャー

画像[編集]