イアン・クルーク
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | チッピー(CHIPPY) | |||||
ラテン文字 | Ian CROOK | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1963年1月18日(61歳) | |||||
出身地 | ロンドン・ロムフォード | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF/DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1976–1980 | トッテナム・ホットスパーFC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980-1987 | トッテナム・ホットスパーFC | 20 | (1) | |||
1987-1997 | ノリッジ・シティFC | 342 | (18) | |||
1997-1998 | サンフレッチェ広島 | 24 | (4) | |||
1998-2000 | ノーザン・スピリットFC | 24 | (2) | |||
通算 | 410 | (25) | ||||
代表歴2 | ||||||
1988-1989 | イングランド | 0 | (0) | |||
1992-1994 | イングランドB | 3 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1999-2001 | ノーザン・スピリットコーチ | |||||
2001-2004 | ニューカッスル・ジェッツ監督 | |||||
2004 | アメリカ領サモア代表監督 | |||||
2004 | オーストラリアU-20代表コーチ | |||||
2005-2006 | シドニーFCアシスタントコーチ | |||||
2007-2008 | アビスパ福岡ヘッドコーチ | |||||
2008 | ニューカッスル・ジェッツディレクター | |||||
2009-2010 | ノリッジ・シティFCコーチ | |||||
2010 | シドニー・オリンピックFCディレクター | |||||
2010-2011 | ニューサウスウェールズ州スポーツ研究所(NSWIS)ヘッドコーチ | |||||
2011 | シドニーFCアシスタントコーチ | |||||
2012 | シドニーFC | |||||
2014- | WシドニーFCアシスタントコーチ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月5日現在。 2. 2007年10月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イアン・スチュワート・クルーク(Ian Stuart Crook、1963年1月18日 - )は、イングランド出身の元サッカー選手(MF)、サッカー指導者。
来歴
[編集]現役時代
[編集]トッテナム・ホットスパーFCでプロとしてのキャリアを始める。同クラブではグレン・ホドル、オズワルド・アルディレス、スティーブ・ペリマンらとプレーしている[1]。
1987年、移籍金80,000ポンドでノリッジ・シティFCに移籍する。レギュラーを獲得しキャプテンも務め、フットボールリーグに300試合以上出場経験を持っている。この時代にイングランド代表の選出歴はあるものの試合出場は無い。1995-96シーズン終了後、クラブ財政難のため放出されることになり、クルークはイプスウィッチ・タウンFCと仮契約した。そこへ1996年6月ノリッジ監督にマイク・ウォーカーが就任、クルークを必要な戦力として評価したことからノリッジと契約することになった。この契約は裁判にまで発展し、ノリッジは罰金を払っている[1]。
1997年、エディ・トムソンにスカウトされてサンフレッチェ広島へ移籍する[1]。当初コーチとして契約していたが日本についた後に選手契約へ切り替えている[1][2]。スルーパスやフリーキックが得意で運動量豊富な守備的なMF[3] であり、またDFラインに怪我人が出ればリベロにも入った。
1998年5月、広島を退団し現役引退したが、広島時代の同僚であったグラハム・アーノルドに誘われ、オーストラリアのノーザン・スピリットFCで現役復帰、1999年に引退した[1]。
指導者時代
[編集]その後はノーザン・スピリットFCで指導者としてのキャリアをはじめる[1]。
2001年、オーストラリアNSLのニューカッスル・ユナイテッドFC監督に就任し、下位にいたチームは躍進しリーグ戦2位となり、同シーズンにオーストラリア最優秀コーチを受賞している。2004年4月、チームは下位に低迷してため途中解任された[1]。
2004年5月、サッカーアメリカ領サモア代表に短期間ながら就任している[1]。
2005年、ピエール・リトバルスキー率いるAリーグのシドニーFCアシスタントコーチに就任した。2007年、リトバルスキーのアビスパ福岡監督就任に伴い福岡のヘッドコーチに就任、2008年7月リトバルスキー監督解任に伴い退団した[1][4]。
2008年10月、オーストラリアに戻りニューカッスル・ジェッツのスタッフ入りし、ジェッツ下部組織の統括責任者および同クラブホームタウンのニューサウスウェールズ州ハンター地域の育成普及責任者(high performance manager)に就任した[5]。
2009年1月、古巣ノリッジ・シティFC監督にブライアン・ギャン就任したことに伴い、トップチームコーチに就任する。同シーズン成績不振によりギャンは退任したものの、クルークは同シーズン末までコーチを務めた[1]。
2010年6月、2年契約でシドニー・オリンピックFCのコーチングダイレクターに就任した[6]。同年末、オーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)のニューサウスウェールズ州支部にあたる、ニューサウスウェールズ州スポーツ研究所(New South Wales Institute of Sport、NSWIS)のサッカー部門のヘッドコーチに就任した。
2011年、ヴィテズラフ・ラヴィチュカ監督のもと古巣シドニーFCのアシスタントコーチに復帰した。2012年5月監督に昇格したものの、同年11月成績不振に伴う自身の健康不良と家族のことを鑑みて辞任した[7]。
2014年、過去に広島で共にプレーした経験を持つトニー・ポポヴィッチ率いるウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCのアシスタントコーチに就任した[8]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
1980-81 | トッテナム | ファーストディヴィジョン | |||||||||
1981-82 | |||||||||||
1982-83 | |||||||||||
1983-84 | |||||||||||
1984-85 | |||||||||||
1985-86 | |||||||||||
1986-87 | |||||||||||
1987-88 | ノリッジ・シティ | ||||||||||
1988-89 | |||||||||||
1989-90 | |||||||||||
1990-91 | |||||||||||
1991-92 | |||||||||||
1992-93 | プレミアリーグ | ||||||||||
1993-94 | |||||||||||
1994-95 | ディヴィジョン1 | ||||||||||
1995-96 | |||||||||||
1996-97 | |||||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 広島 | 35 | J | 15 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 3 |
1998 | 7 | 9 | 1 | 0 | 0 | - | 9 | 1 | |||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
1998-99 | ノーザン・スピリット | NSL | |||||||||
1999-00 | |||||||||||
通算 | イングランド | プレミア | |||||||||
イングランド | ディヴィジョン1 | ||||||||||
日本 | J | 24 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 | 4 | ||
豪州 | NSL | ||||||||||
総通算 |
タイトル
[編集]- 選手
- UEFAカップウィナーズ優勝 1984年
- ノーウィッチ・シティ殿堂入り 2001年
- 監督
- オーストラリア最優秀コーチ 2002年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Flown From The Nest
- ^ “終始攻勢運なし 3連敗”. 中国新聞 (1998年4月4日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “サンフレ3連勝、市原封じる”. 中国新聞 (1997年8月30日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “クルーク(ヘッドコーチ)・クレア(フィジカルコーチ)解任のお知らせ”. アビスパ福岡 (2008年7月11日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “Jets Swoop To Land Crook” (英語). AU FourFourTwo (2008年10月23日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “Ian Crook Director of Coaching of Sydney Olympic Football Club” (英語). シドニー・オリンピック (2010年6月16日). 2012年5月19日閲覧。
- ^ “シドニーFCのクルーク監督が辞任”. フランス通信社 (2012年11月11日). 2012年11月13日閲覧。
- ^ “Ian Crook Signs on with Wanderers”. オーストラリアサッカー連盟 (2014年6月12日). 2014年6月13日閲覧。
参考資料
[編集]- “Ian Crook” (英語). Flown From The Nest. 2012年5月19日閲覧。
- “Ian Crook Biography” (英語). シドニーFC. 2012年5月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- イアン・クルーク - Soccerway.com
- イアン・クルーク - FootballDatabase.eu
- イアン・クルーク - WorldFootball.net
- イアン・クルーク - Transfermarkt.comによる選手データ
- イアン・クルーク - Transfermarkt.comによる指導者データ
- イアン・クルーク - J.League Data Siteによる選手データ
- イアン・クルーク - TheFinalBall.com
- イアン・クルーク - BDFutbol.com
- Ian Crook (@chippycrook63) - X(旧Twitter)
|