アーチェリー (弓術)

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アーチェリー(英語:Archery)とは、を使用してを射る競技技術戦闘方法の事である[1]

これらの技術は、歴史的に戦争狩猟に使用されてきたが、今日では競技としてのアーチェリーも行われている。

言語について[編集]

アーチェリーは、ラテン語で弓を意味する arcus を語源としている。

歴史[編集]

間接的な根拠から、後期旧石器時代から中石器時代ごろまでに弓矢が発明されたと考えられている。古い痕跡として南アフリカ共和国シブドゥ洞窟英語版から骨で作られた矢じりらしいものが見つかっている[2]。ただ、投げ槍のように使っていた可能性もあり弓も見つかっていない為、明確に弓矢の発明の根拠とはなっていない。

ヨーロッパでの最も古い痕跡は後期旧石器時代後期(BC1万年‐BC9000年)のものとみられるドイツハンブルクから北のStellmoor という場所で見つかった痕跡で、シャフトは松で矢じりは燧石からなり、それらには弓から射られた浅い傷が付いていた[3]

各国の弓術[編集]

騎射

歴史的に流鏑馬パルティアンショットなどのように乗用獣から弓を射て移動する戦術が使用された。

射手[編集]

射手は、ボウマン( bowman )、アーチャー( archer )と呼ぶが、専門家・愛好家はトクソフィライト( toxophilite )と呼ばれる。トクソフィライトとは、イギリス女王エリザベス1世の語学家庭教師・教訓書家ロジャー・アスカムが1545年に執筆した本のタイトル『 Toxophilus 』から来ている。Toxophilus はギリシャ語から作られた造語で「弓の愛する者」の意であり、さらに接尾辞 ite (~の信奉者)が付いてトクソフィライトとなった。この本は、英語で書かれた初の弓術指南書で、ヘンリー8世に献上された。

オスマン帝国での弓の熟練者には ケマンケシュ(トルコ語:Kemankeş ) の称号が与えれた。

訓練[編集]

先のオスマン帝国のケマンケシュや、イギリスのロングボウ兵など各国で弓を扱う兵は重用され、長い月日をかけて各国独自の訓練を行い育成された。その結果、腕の長さが左右で差が出るほどの骨格変化や、軟骨が骨になる骨棘の形成も見られた。

また、モンゴルや日本のようにラクダから矢を射かける騎射技術なども発達した。

神話[編集]

神話や歴史上においても、射手が登場しており、重要な役割を担っていたことが示されている。以下に神話上の名手を示す。

出典[編集]

  1. ^ Paterson Encyclopaedia of Archery p. 7
  2. ^ Backwell, Lucinda; d'Errico, Francesco; Wadley, Lyn (2008). “Middle Stone Age bone tools from the Howiesons Poort layers, Sibudu Cave, South Africa”. Journal of Archaeological Science 35 (6): 1566–1580. doi:10.1016/j.jas.2007.11.006.  "Explicit tests for distinctions between thrown spears and projected arrows have not yet been conducted, and many of the segments could have been employed equally successfully as insets for spears or arrows (Lombard & Pargeter 2008)." Lombard, Marlize; Phillipson, Laurel (2010). “Indications of bow and stone-tipped arrow use 64 000 years ago in KwaZulu-Natal, South Africa”. Antiquity 84: 635–648. doi:10.1017/s0003598x00100134. http://antiquity.ac.uk/ant/084/ant0840635.htm. 
  3. ^ McEwen E, Bergman R, Miller C. Early bow design and construction. Scientific American 1991 vol. 264 pp76-82.

関連項目[編集]