アマラリック

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アマラリック
Amalaric
西ゴート王
12-AMALARICO.JPG
在位 511年 - 531年
出生 500年頃(502年?)
死去 531年
バルセロナ
配偶者 クロティルド
  詳細不明の女性(愛人、側室)
子女 ゴイスウィンタ(アナタギルド王妃、後にレオヴィギルド王妃)
王家 バルト家
父親 アラリック2世
母親 東ゴート王女ティウディゴート(テオデゴンダ)
宗教 アリウス派キリスト教
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アマラリック (Amalaric、500年頃(502年?)- 531年)は、西ゴート王(在位:511年 - 531年)。アラリック2世とテオデゴンド(東ゴートテオドリックの娘)の子。故にテオドリックの外孫であり、第2代東ゴート王アタラリックの従兄、第3代王(女王)アマラスンタの甥、第4代王テオダハドの従甥にあたる。

父アラリック2世が戦死した時、彼は幼児であった。身の安全のため彼はヒスパニアへ連れて行かれ、その後祖父テオドリックが治めるプロヴァンスへ連れて行かれた。

成人したアマラリックは522年に親政を開始した。4年後にテオドリックが死ぬと、プロヴァンスはいとこのアタラリックに割譲された。アマラリックはクロヴィス1世の娘クロティルドと結婚したが、アマラリックがアリウス派でクロティルドがカトリックであったために彼は妻を虐待し、フランク族の侵入を受けたため、531年に殺害された。

摂政政治[編集]

アマラリックの最初の治世は祖父テオドリックの摂政政治で始まった。西ゴート族がローマに供給される穀物の支払いを要求したことが知られている。見返りとして毎年西ゴートは贈り物をした。税金を集めることが重要であったが、テオドリックは大規模な領土を支配していたエウリックやアラリック2世と同じレベルに増やすよう要求した。普通税の徴収者と、延滞税の徴収者は、不当な行動に出ることが多かったため、穀物を測定するために偽造されたはかりを用いることが起こった。王家の領地からあがる税収は過剰なまでに増加し、関税は誇張されるほどになった。同時に殺人は珍しいことでなく、西ゴート社会の情勢はかなり不安定であった。

テオドリックは新しい種類の通貨を用意した。既に半島では硬貨が鋳造されており、それは帝国の領土内では流通していなかった。ブルグントフランクの通貨を模造したもので、重量と合金が良好であるビザンティン通貨との区別が容易になった。

テオドリックは摂政政治が終わるまでに、東ゴートの将軍テウディスを西ゴートの司令官に任命した。テウディスは裕福なヒスパノ・ローマ人女性を娶っていた(約2000人ほどの私設軍隊を雇うことができるほどだった)。イタリアには毎年年貢を送って無視はしなかったが、彼は気ままに統治を行った。

親政と死、子孫[編集]

最初に、彼はテオドリックの後継者でいとこにあたるアタラリックとの条約(両国の国境線を確定すること、西ゴートが東ゴートに行う年貢をやめること)に署名した。プロヴァンスは東ゴートのものとなり、半島にあった駐屯地は廃止され、2つの王国は個々に独立した。彼は西ゴート王国の宝物庫を取り戻した。東ゴートとの条約のもとでガリア・ナルボネンシスが両国の国境となりセプティマニアまたはガリアと呼ばれるようになった。アマラリックは本拠地と宮廷をナルボンヌにおいた。

526年、彼はブルグントの血を引くフランクの王女クロティルドと結婚した。結婚したときから、カトリックの彼女を強制的にアリウス派に改宗させようとして虐待が始まった。王女を守る名目でメロヴィング朝が侵攻し、怒りに駆られたアマラリックは妻を殴って死亡させた。531年にフランク族はナルボンヌを陥落させ、アマラリックはバルセロナに逃亡し、そこで暗殺された。没年齢は30歳前後。テウディスが王位についた。アマラリックの死でバルト朝(バルト家)の正系は断絶し、この時点から東ゴート族が王となり、再び選挙制のプロセスがとられるようになった。ただし、バルト朝(バルト家)の血筋自体は下記のように続いている。

クロティルドとの間に子は無かったが、出自や名前が不明の女性との間に一人娘ゴイスウィンタ(生年不明 - 589年)がいる。ゴイスウィンタは非嫡出子とはいえ、バルト朝(バルト家)の血筋を女系という形で後世に伝えた。後にアタナギルドと結婚。ブルンヒルド(543年頃 - 613年)とガルスウィント(540年頃 - 568年)の2女を儲けた。ガルスウィントはキルペリク1世の2番目の妻となったが、子は無かった。ブルンヒルドはシギベルト1世の妻となり、イングンド(イングンデ)、Chlodosind、キルデベルト2世の3子の母となった。このうち、イングンデはヘルメネギルド(ゴイスウィンタが再婚したレオヴィギルドとその先妻テウドシアの長男)と結婚し、一人息子アタナギルドを儲けた。アタナギルドはフラウィア・ユリアナ(テオドシウス朝ローマ帝国末期の有力貴族アニキア家の末裔、東ローマ帝国皇帝アナスタシウス1世の姪の来孫(玄孫の子、曽孫の孫、孫の曽孫)、東ローマ帝国将軍アスパルの末裔、ユスティニアヌス1世の皇后テオドラの私生児の1人テオドラの玄孫)と結婚。その血筋は少なくとも8世紀初めまで、キルデベルト2世の血筋は7世紀初めまで存続した。

なお、ゴイスウィンタとレオヴィギルドとの間に子は無かった。レオヴィギルドの長男ヘルメネギルドとゴイスウィンタの孫娘イングンデとの結婚で、ゴイスウィンタの先夫アナタギルドと後夫レオヴィギルドの家系が合体することになる。

先代:
ゲサリック
西ゴート王
511年 - 531年
次代:
テウディス