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まんだらけ

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まんだらけは、漫画専門の古書店、及びそれを運営する会社。会社としての商号は株式会社まんだらけ

1980年ガロで執筆していた漫画家古川益三が、東京都中野区の商業施設、中野ブロードウェイに漫画専門の古書店を開店した事が始まりである。当時は相場が確立しておらず、古書店でも取り扱いが適切になされていなかった漫画に対し、初めて適切といえる価格設定をして古書としての取引を確立させた。開業当初は既存の古書店からの反発も大きかったが、だんだんと定着していき、特に手塚治虫の最初期の代表作『新宝島』の初版単行本に500万円という超高値を付けて話題となった。こうした価格設定のノウハウから、古川は後に「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)にも鑑定士として出演するようになった。

店自体も急成長を遂げ、中野ブロードウェイ内で坪数を拡大させていき、1987年には株式会社まんだらけを設立、以降中野ブロードウェイ内で店舗を増殖させ、中野ブロードウェイを日本屈指のおたくビルへと変貌させるきっかけを作った。さらに漫画だけではなくアニメゲーム等に関する音楽・映像ソフトや各種おもちゃ、アニメグッズ、同人誌コスプレ衣装など、あらゆるジャンルのマニア・おたく向け商品を扱うようになる。また、中古漫画の目録「まんだらけ漫画目録」や、通信販売用のカタログも作成、取り扱っている商品の価格一覧として取引相場の基準となった。

1994年には、初めて中野から離れた店舗を渋谷に開店、以後全国各地に店舗を拡大させ、また、各地の店舗には通常の店員に加え、常時何らかのコスプレをした店員を常時配置させたことでも話題となった。1999年にはアメリカロサンゼルスに進出、海外にも店舗を出すほどまでになった(現在海外店舗は全て閉店、海外向けにはインターネット通信販売を行っている)。2000年には東証マザーズに株式公開を果たすまでになる。現在では出版やインターネットテレビなどの事業も展開している。

あらゆるマニアが好みそうなグッズ類が集まるため、「まんだらけにない物はない」とも言われる事もある。しかし、あらゆる物が集まる以上、出所不明の商品を扱う事もあり、それが原因でトラブルを起こす事も多数ある。最近の代表的な事例として、倒産した出版社から流出したと思われる漫画原稿が大量にまんだらけに持ちこまれ、それがさらに一般に販売された事から、大規模な騒動となった(参照リンク)。この他、実際にアニメで使われたセル画が無断で販売されて制作会社から提訴されたり、ワンダーフェスティバル当日版権が許可された上で発売されたガレージキットを制作者・版権所有者に無断で再販するなど、数々の事例がある。

現在の店舗

外部リンク