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ワタリ (漫画)

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ワタリ』は、白土三平による日本漫画作品。実写映画化もされた。

概要

週刊少年マガジン』(講談社)で連載された。全三部構成。単行本は全7巻。「第一部」が 1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)に、「第二部」が 1966年(昭和41年)に、「第三部」が 1967年(昭和42年)にそれぞれ執筆された。

1966年(昭和41年)には、『大忍術映画ワタリ』のタイトルで映画化。1969年(昭和44年)には『忍風カムイ外伝』の後番組としてエイケンによってテレビアニメ化が企画され、パイロットフィルム[1]も製作されたが、実現しなかった[2]

ストーリー

百地党と藤林党の争いが続く伊賀の里。そこでは下忍たちの命は使い捨ての駒として軽く扱われていた。そこへ突如、伊賀の里に現れた謎の忍者、ワタリとじい(四貫目)。彼らは伊賀、甲賀、いずれにも属さない「ワタリ一族」と呼ばれていた。この争いは仕組まれていると感じたワタリとじいは百地党につき、陰謀を暴こうとする。

登場人物

  • ワタリ
ワタリ一族の少年忍者。じいこと四貫目と共に、伊賀の忍を脅かす死の掟の謎を解くために旅を続け、強敵たちと戦う。
  • じい(四貫目)
ワタリ一族の老忍者。ワタリと共に旅をしている。スター・システムにより同作者の別作品『サスケ』にも同名の同じ姿をした忍者が登場している。
  • カズラ
  • 新堂の小次郎
  • ツユキ
  • ドンコ
  • 百地三太夫
  • 雲組小頭
  • カンネ
  • カンパチ
  • 藤林長門
  • 楯岡の道順
  • ハンザキ
  • シジマ
  • ヨサメ
  • トリコ
  • ツブキ
  • クグツメ
  • 音羽の城戸

映画

大忍術映画ワタリ』のタイトルで映画化。東映の劇場映画として、1966年(昭和41年)7月21日に公開。カラー、シネスコ、82分。東映京都撮影所制作。同時上映は『サイボーグ009』(東映動画)で、金子吉延演じるワタリが同作主役の「島村ジョー」と握手する合成写真が劇場や宣伝で使われた。

本作の企画は、東映テレビ部の渡邊亮徳次長(当時)が、東映映画部門に働き掛けて実現したものである。渡辺はこの人気漫画の映画化を皮切りに、連続テレビドラマ化を構想していた。しかし、脚本を一読した原作者の白土三平は、ライフワークである階級解放闘争が消されている[3]として激怒。渡邊次長が直接説得に当たり、撮影そのものは終えることが出来た。

ところが、完成試写を観た白土は「こんな映画を上映させるわけにはいかない」と再び激怒、席を蹴って帰ってしまった。しかし、企画に参加した平山亨東映プロデューサー(当時)が、「誰がどう説得したかわからない」という中、作品は無事に封切られることが出来、興行的には大ヒットとなった。

渡邊次長はこの『ワタリ』の映画化と続くテレビシリーズ化を、大阪電通入江雄三関西テレビ芝田研三副社長[4](当時)と協力してプロジェクト化していた。しかし原作者の白土の怒りは収まらず、公開後には「こんな映画はもってのほかだ、今後一切東映とは付き合わない」として東映と縁を切ってしまった。

このような事情で『ワタリ』カラーテレビ番組化のプロジェクトは頓挫したが、渡邊は今度は原作を忍者漫画のもう一方の第一人者であった横山光輝に依頼、このテレビ時代劇企画は、翌年に『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ)として実現に至った。こうして作品は変わったが、渡邊や芝田らの目指した「カラーテレビ番組」制作の夢が叶うこととなり、『ワタリ』で培われたカラーでの撮影・合成技術のノウハウや、金子吉延牧冬吉天津敏らのキャスティングは、そのまま本作で特撮を担当した倉田準二監督によって、『赤影』に受け継がれた。本作の楽曲も、一部が『赤影』に流用されている。

監督は1964年(昭和39年)に、東映京都で映画版『隠密剣士』を撮った船床定男が担当。『隠密剣士』の設定および脚本を手掛けた西村俊一伊上勝ら、宣弘社系列のスタッフが本編を手掛けている。この映画を前に、東映京都撮影所は、米国「オックスベリー社」の最新式オプチカル・プリンターや、ブルーバック合成設備を購入。船床監督も、「カラー作品」であることを念頭に、忍術の表現に東映動画のスタッフによる幻想的なアニメーションを合成するなど、色彩豊かでファンタジックな映像作りに努め、内外でも評判となった。

本作は海外にも輸出され、オリエンタルな要素が受け、フランスなど欧州や、台湾でも大ヒットした。『ワタリ』を観た台湾の映画プロデューサー黄銘船床定男監督の演出手腕に注目し、西村俊一プロデューサーを説得して『銀姑』という映画を撮らせている。またさらに台湾映画界は「ワタリ」役の金子吉延を招き、1970年(昭和45年)に、金子の主演で特撮冒険映画『神童桃太郎』、『桃太郎斬七妖』を制作している。

ワタリ役の金子は『少年マガジン』に連載されていた原作の大ファンで、当時『丹下左膳 飛燕居合斬り』(五社英雄監督、東映京都)の撮影で京都にいた。そこで『ワタリ』が東映京都で映画化されると聞き、「せっかく京都にいるんだから、出演させてもらおう」と、企画室に日参して売り込んだという。本人は脇役でのつもりだったが主役に選ばれ、漫画原作を読んでいただけに「こんなのできねえ」と戸惑ったという。


スタッフ

特殊撮影班

挿入歌

2曲ともに、作詞:たなかゆきお、作曲:小川寛興

配役

脚注

  1. ^ このパイロットフィルムは『忍風カムイ外伝』のDVDに特典収録されている。
  2. ^ 後番組となったのは『サザエさん』だった。
  3. ^ 「階級社会」としての忍者の掟は、作中に描き込まれている。
  4. ^ 東映京都テレビプロの田口直也所長(当時)の遠縁だった。

参考文献

  • 『大特撮』(有文社)
  • 『赤影大辞典』(たちばな出版)
  • 『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書)

リダイレクトの所属カテゴリ
  • 大忍術映画ワタリ
Category:日本の映画作品 Category:1966年の映画 Category:漫画が原作の映画作品