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聖母出現の報告は数千例以上あり、調査しきれていない。このため、<u>教区[[司教]]は認可したが、バチカン([[ローマ教皇庁|教皇庁]])によって承認されていない</u>出現も含まれる。 |
聖母出現の報告は数千例以上あり、調査しきれていない。このため、<u>教区[[司教]]は認可したが、バチカン([[ローマ教皇庁|教皇庁]])によって承認されていない</u>出現も含まれる。 |
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2015年9月20日 (日) 23:29時点における版
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聖母の出現(せいぼのしゅつげん、英: Marian apparition)とは、聖母マリアが人々の前に現れたとされる出来事をいう。
概説
この出来事を目撃した人はキリスト教徒に限らない。民衆の間に伝えられている話や噂は非常に多数あり、その数は数千にもおよぶ。
ただし、そのうちカトリック教会が公認したのは16ほどにすぎない。カトリック教会は、各地区の司教・バチカン(教皇庁)の担当者などの認定作業を経てこれらの出来事を公認するか否かを表明している。カトリック教会によると、これは人々が聖母の形をとった悪霊に支配されないために必要な手順であるとされる。
カトリック教会には従来、聖母マリアは受胎の瞬間から原罪を免れていたとする教えがある。これを「無原罪の御宿り」という。原罪を免れているということは、罪の結果である死を免れることになり、さらには死の前兆である老いも免れていたことになる。このために、西ヨーロッパのカトリック圏で描かれる聖母はみな若い女性であり、有名なミケランジェロのピエタの聖母も、とても推定30歳前後のイエスの母とは思えない若い女性として描かれている[1]。そして聖母は生涯の終わりに死ぬのではなく、身体とともに天に上げられたとされる。これを「聖母被昇天」という。このために、カトリックの教えでは聖母は未だに身体とともに生き続けていることになり、これが聖母の出現を即座に否定できない根拠となっている。
聖母の警告や聖母への誓いをないがしろにしたために、悲惨な結果を迎えたとカトリック信者などに信じられている歴史上の人物の例としては、フランス王朝があげられる。フランス王朝は、ルイ14世が聖母に奉献した聖堂建設などの誓いを放棄した結果、破綻し、革命でとらえられた王が後悔して牢内で命令を発した際は既に手遅れであった。
空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)と呼ばれた聖ヨハネ・パウロ2世は、聖母の出現地とその意向をくまなく網羅したとされる。
カトリック教会・教皇庁公認の出現
- ピラールの聖母(柱の聖母)
- 西暦40年、現在のスペイン・サラゴサ(当時はローマ帝国領)において、布教がうまくいかないと嘆く聖大ヤコブの前に聖母が幼きイエスと天使を伴い出現。ただしこの時、聖母は存命中であったとされる。聖母が柱(ピラール)の上に立っていたので「ピラールの聖母」と呼ばれる。ローマ・カトリック教会公認ではあるが、伝説の聖母出現に数えられている。[2]。
- 雪の聖母
- イタリア・ローマにおいて、子供がいないと嘆いていた裕福な夫妻の夢に聖母が現れ、雪で示す場所に教会を建てるよう勧めた。教皇も同じ日に同じ夢を見た。現在の雪の聖母教会は、非常に暑い8月に雪に覆われていた場所に建てられた。この話は1250年頃にトレントのフラ・バルトロメオによって記述されたものであり、出現の正確な年代は分かっていない[3]。
- 茶色のスカプラリオ(カルメル山の聖母)
- 1251年、イングランドのケンブリッジにおいて、カルメル会の聖サイモン・ストックのもとに現れる。茶色のスカプラリオによる救霊・危険からの保護・平和と永遠の約束。[4]
- ロウの聖母
- 1664年から1718年の54年間にわたり、フランスのサン=テティエンヌ=ル=ロウにおいて、ブノワット・ランキュレルに出現。1665年に教区司教認可。2008年教皇庁より公認、21世紀初の認可となる。「罪人の避難場所としての聖母」とも呼ばれる。[5]
- 緑のスカプラリオの聖母
- 1840年、フランスにおいて、愛徳姉妹会の修道女ジュスティーヌ・ビスケイブリュに数回の出現。ビスケイブリュに対して緑のスカプラリオを渡し、このスカプラリオによって、信仰のない人は信仰の恵みを受け、特に臨終の時に大きな助けを受けると告げた。
- シオンヌの聖母(シオンの聖母)
- 1842年、イタリア・ローマにおいて、アンチ・カトリックのユダヤ教徒の前に出現。そのユダヤ教徒はカトリック信者に改宗した。なお、このユダヤ教徒は「試しに」と揶揄しながら奇蹟のメダイを付けていた。[6]
- ルルドの聖母
- 1858年、フランスのルルドにおいて、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーの目の前に現れた。病者への癒しと慰め。
- ギエトシュヴァウトの聖母
- 1877年、ポーランドのギエトシュヴァウトにおいて、2人の女子(12~13歳)に御出現になった。ロザリオの祈りの勧め。癒しの泉と、村人の回心。[9]
- ファティマの聖母
- 1917年、ポルトガルのファティマにおいて、3人の少女の前に出現。第一次世界大戦の終焉と第二次世界大戦の勃発、人々の回心への要求と地獄の実在、などを預言。またロシアの奉献の必要性を訴える。1930年、レイリア司教が公認。教皇庁認可。
- シラクサの涙の聖母像
- 1953年、イタリア・シラクサにおいて出現。病者への励ましと慰め。
- キベホの聖母
- 1981年から1991年にかけて、ルワンダのキベホにおいて、7人の男女に個々に出現。ただし、教皇庁承認となったのは3人の事例のみ。紛争直前に出現、ロザリオの祈りの強い勧め、断食と罪の償いを求める。2001年、教皇庁承認。[14]
カトリック教会・教皇庁未公認の出現
聖母出現の報告は数千例以上あり、調査しきれていない。このため、教区司教は認可したが、バチカン(教皇庁)によって承認されていない出現も含まれる。
- フランス レ・ピュイでの出現
- 歴史学者のキャノン・ファイア(Cannon Fayard)によると、西暦250年7月にフランスのレ・ビュイで、ビラ(Villa)と言う女性に聖母の出現記録がある。[15]
- フランス各地
- 900年代にフランス各地に聖母が幾度か出現。滅びないようにと人々に回心と祈りを呼びかけ、人々は仕事もそこそこに聖母の教え通り祈りに祈って祈り続けた。1000年を過ぎてしばらくすると、人々は今度は何事もなかったことについてあらためて聖母に感謝の祈りを捧げている。[要出典]
- カラヴァッジョの聖母
- 1432年5月26日にイタリア北部のミラノ領域であるカラヴァッジョの野原で出現。人々の信仰の刷新と戦争における幻視者の家族の安全、東西教会の和解を預言した。
- モンタニャーガの聖母
- 1729年から1730年にかけ、チロル地方(現在はイタリア)のモンタニャーガにおいて羊飼いの少女に出現。教区司教が公認。
- カンピーナスの聖母(涙の聖母)
- ブラジルのカンピーナスで、1930年3月8日に修道女に出現。罪人の回心を願う。出現の信仰を許される状態であり、公認はされていない。
- ロビンソンヴィルの聖母
- 1859年、アメリカ合衆国ウィスコンシン州において28歳の女性に出現。荒れているこの世界を正しく導く学校を作るように願った。[16]
- カステルペトローゾの聖母
- 1888年3月22日から1890年6月まで、当初イタリアのカステルペトローゾ付近で暮らしていた2人の農婦に起こったとされる。2人には幻視としてイエス・キリストが十字架から降ろされ、その亡骸を聖母が抱くシーン(ピエタ)を見せられている。その後に巡礼が始まり、多くの巡礼者たちも聖母の出現を受け、出現地には湧水が出ている。
- 奇しき薔薇の聖母
- 1947年、イタリア・モンティキアリにおいて看護師をしていたピエリナ・ジリに出現。その後、モンティキアリとフォンタネレ(モンティキアリの一地区)に数回出現。司祭や修道者の刷新を特別に望む。
- アメリカの聖母
- 1956年9月25日から1959年12月20日にかけてアメリカ合衆国・インディアナ州・ローマ・シティで修道女シスター・ミルドレッド・メアリー・ヌージルに起こったとされる。出現した聖母は、被出現者を通じ、「アメリカの聖母、無原罪の御宿り」を名乗り、人々の悔い改め、将来の天罰等の危機が迫っていると警告した。地元司教非公認。崇敬の表明を許される段階。
- ガラバンダルの聖母
- 1961年から1965年にかけて、スペインのサン・セバスチャン・デ・ガラバンダル村において出現。大天罰の警告が四人の少女によって預言された。全世界と司祭の回心を求められた。地区司教認可。
- 司祭のマリア運動
- 聖母マリアから内的語らいと呼ばれる私的啓示を受けたカトリック教会の司祭・ステファノ・ゴッビ神父によって始められた聖母への崇敬運動である。ゴッビ神父によると、1972年に彼がポルトガルファティマの聖母を巡礼中に、この「私的啓示」を受け、その後も大量のメッセージを受け、それをまとめた書籍「題名:聖母から司祭へ」が出版されている。[20]
- 秋田の聖母
- 1973年、日本の秋田市において、アムステルダムの聖母像をモデルに作られた聖母像から涙、回心を警告。1984年、教区司教が書簡で「奇跡としての超自然性を否定できないので、ローマ聖座より最終判定が示されるまで教区信者の巡礼を禁じない」[21]と発表し、1988年に教皇庁のヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(のちの教皇ベネディクト16世)が受理。その後、教皇庁による公式声明はない。
- サン・ニコラスの聖母(サン・ニコラスのロザリオの聖母)
- 1983年から1990年にかけ、アルゼンチン・サン・ニコラス (ブエノスアイレス)において、一般の神学教育を受けていない主婦に聖母が出現、多くのメッセージを語った。そのメッセージは人々に語り継がれ、人々の生き方を変えた。その他、病気の治癒等の奇蹟が起きる。地元司教公認[24]
- サルタの聖母
- 1990年、アルゼンチンのサルタにおいて、ごく普通の主婦に聖母が出現。超自然現象で難病が治癒するなどの現象が起こっている。地元司教の公認は出ていない。地元司教の「信仰(崇敬)表明の認可」の段階。[25]
- アイオペの聖母
- 1992年、ナイジェリアのアイオペ村において、12歳の少女に聖母が出現。その他太陽の奇蹟などが続き、多くの巡礼者を集めるが、地元司教の「信仰(崇敬)表明の認可」の段階で、地元司教から出現の公認は出ていない。
出現の意向は、「苦難を受けている人々への励まし」「救命」「救霊」「警告」に区分される。
カトリック教会が否定する出現
- ヴェロニカ・ルーケンが主張する聖母出現
- カトリック信者の主婦、ヴェロニカ・ルーケンが1970年から、アメリカ・ニューヨークベイサイドにおいて、一連の聖母出現を受けたと主張する。地元のブルックリン司教は出現を公的に否定。[26]
- リトル・ペブル
- 1985年ごろ「聖シャーベル修道会」を結成したオーストラリアの宗教指導者リトル・ペブル(本名ウィリアム・カム)は、聖母マリアの幻視を主張した。実現しない過激な予言や司祭の貞潔・一夫一婦制の否定により、否定される。
- メジュゴリエの聖母
- 1981年より、ユーゴスラビア(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ)のメジュゴリェに出現、回心と平和を求めた。聖母は「これが私の最後の出現です」と伝えた。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などの旧ユーゴスラビア解体に伴う戦争の中での「出現」。これに対し、現地モスタル司教区のザニチ司教、ならびに後任のラトゥコ・ペリッチ司教はその超自然性を否定し、公的な巡礼禁止の声明を出している。
正教会
正教会でも生神女マリヤが現れたと伝えられる聖人伝などはある。
脚注
- ^ フランスのカトリック作家であるジョルジュ・ベルナノスは、『田舎司祭の日記』(1936)のなかで、マリアは原罪なきゆえに、「罪よりも若く、人祖よりも若い」としいている。cf. Journal d’un curé de champagne in Œuvres complètes, Paris, coll.《Pléiade》, Gallimard, 1961, p.1194.
- ^ [1]New Advent Nuestra Señora Del Pilar
- ^ [2]New Advent Our Lady of the Snow
- ^ [3] Our Lady of Mount Carmel
- ^ Mann, Stephanie A. "Who Is Our Lady of Laus?", Our Sunday Visitor, March 28, 2014
- ^ [4] Our Lady of the Miracle / Our Lady of Zion
- ^ “Marian Apparitions”. University of Dayton. 2013年11月23日閲覧。
- ^ 聖母の出現 現代フォークカトリシズム考 関 一敏著 日本エディタースクール出版部版 ISBN4-88888 C3022 P2800E
- ^ http://www.miraclehunter.com/marian_apparitions/approved_apparitions/gietrzwald/index.html]The Miracle Hunter Gietrzwald, Poland (1877)
- ^ [5]
- ^ [6]
- ^ [7]
- ^ [8] The Apparition at Tre Fontane
- ^ [9] The Mircle Hunter Kibeho, Rwanda (1981-1989)
- ^ The Miracle Hunter Le Puy-en-Velay, Haute-Loire, France (250)
- ^ [10] Robinsonville (now Champion), WI, USA (1859)
- ^ [11] Our Lady of Heede, Queen of the Poor Souls in Purgatory
- ^ Miravalle, Mark and Russell, Richard L., "The Fifth Marian Dogma: The Church’s Unused Weapon", Catholic Exchange, September 24, 2013
- ^ [12]Philippine Marian Site
- ^ [13]司祭のマリア運動とは何か
- ^ 故ヨハネ伊藤庄治郎司教による「秋田の聖母像に関する司教書簡」(1984年4月22日・PDF) 秋田の聖母マリア(101 New Life Network)
- ^ [14] The Betania Apparitions of the Blessed Virgin Mary
- ^ [15] The Miracle Hunter Cuapa
- ^ [16] HISTORY OF MARY OF THE ROSARY OF SAN NICOLAS
- ^ [17]Peregrinaciones desde Jujuy al cerro de las apariciones de la Santísima Virgen María, la Inmaculada Madre del Divino Corazón Eucarístico de Jesús
- ^ Mugavero, Francis. "Declaration Concerning the 'Bayside Movement'"
参考文献
邦文
- 関一敏『聖母の出現 – 近代フォーク・カトリシズム考』日本エディタースクール出版部、1993年 ISBN 4-88888-200-2
- シルヴィ・バルネイ『マリアの出現』せりか書房、1996年 ISBN 978-4796701976
- シルヴィ・バルネイ『聖母マリア』創元社、2001年 ISBN 978-4422211558
- 関一敏「19世紀フランス聖母出現考察:ルルドとポンマン」(日本文化人類学会『民族學研究』第48巻、1983年)
- 藤原久仁子「『マリア出現に見られる物語性』」(地中海歴史風土研究所『地中海歴史風土研究史』第12巻、2000年)
- 岡本亮輔「聖地体験における真正性の多様化 ―パリ・奇蹟のメダル教会における巡礼/ツーリズム」(筑波大学宗教学・比較思想学研究会『宗教学・比較宗教学論集』第10巻、2009年)
- シスター・エマヌエル『メジュゴリエの証言者たち』三上茂訳 ドン・ボスコ社、2000年 ISBN 4-88626-279-1
- ルネ・ローランタン、リュデヴィット・ルプツィッチ『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』尾崎正明訳 聖母の騎士社、1987年
欧文
- Francisco Sanchez-Ventura y Pascua, Y el agua seguira curando : Apariciones de la Virgen en el Alto de Umbe, Zaragoza, Circulo, 1973.
- Janice T. Connell, Meetings with Mary : Visions of The Blessed Mother, New York, Ballantine Press, 1996.
- René Laurentin (dir.), Dictionnaire des « apparitions » de la Vierge Marie : Inventaire des origines à nos jours : Méthodologie, bilan interdisciplinaire, prospective, Paris, Fayard, Paris, 2007.
- Marie-Gabrielle Lemaire, Les Apparitions mariales, Namur, Fidélité, 2008.