聖母の出現

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『聖ベルナルドゥスの幻視』(フラ・バルトロメオ作、1504年 ウフィッツィ美術館

聖母の出現(せいぼのしゅつげん、Marian apparition)とは、聖母マリアが人々の前に現れたとされる出来事をいう。

概説[編集]

この出来事を目撃した人はキリスト教徒に限らない。民衆の間に伝えられている話や噂は非常に多数あり、その数は数千にもおよぶ。

ただし、そのうちカトリック教会が公認したのは16ほどにすぎない。カトリック教会は、各地区の司教バチカン教皇庁)の担当者などの認定作業を経てこれらの出来事を公認するか否かを表明している。カトリック教会によると、これは人々が聖母の形をとった悪霊に支配されないために必要な手順であるとされる。

カトリック教会には従来、聖母マリアは受胎の瞬間から原罪を免れていたとする教えがある。これを「無原罪の御宿り」という。原罪を免れているということは、罪の結果である死を免れることになり、さらには死の前兆である老いも免れていたことになる。このために、西ヨーロッパのカトリック圏で描かれる聖母はみな若い女性であり、有名なミケランジェロピエタの聖母も、とても推定30歳前後のイエスの母とは思えない若い女性として描かれている[1]。そして聖母は生涯の終わりに死ぬのではなく、身体とともに天に上げられたとされる。これを「聖母被昇天」という。このために、カトリックの教えでは聖母は未だに身体とともに生き続けていることになり、これが聖母の出現を即座に否定できない根拠となっている。

聖母の警告や聖母への誓いをないがしろにしたために、悲惨な結果を迎えたとカトリック信者などに信じられている歴史上の人物の例としては、フランス王朝があげられる。フランス王朝は、ルイ14世が聖母に奉献した聖堂建設などの誓いを放棄した結果、破綻し、革命でとらえられた王が後悔して牢内で命令を発した際は既に手遅れであった。

空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)と呼ばれた聖ヨハネ・パウロ2世は、聖母の出現地とその意向をくまなく網羅したとされる。

カトリック教会・教皇庁公認の出現[編集]

  • スペインサラゴサ 西暦40年、布教がうまくいかないと嘆く聖大ヤコブに聖母が幼きイエスと天使を伴い出現。ただしこの時、聖母は存命中であったとされる。なお、聖母が柱(ピラール)の上に立っていたのでピラールの聖母と呼ばれる。ローマ・カトリック教会公認ではあるが、伝説の聖母出現に数えられている。[2]
  • イタリアローマ:子供がいないと嘆いていた裕福な夫妻の夢に聖母が現れ、雪で示す場所に教会を建てるよう勧めた。教皇も同じ日に同じ夢を見た。現在の雪の聖母教会は、非常に暑い8月に雪に覆われていた場所に建てられた。この話は1250年頃にトレントのフラ・バルトロメオによって記述されたものであり、出現の正確な年代は分かっていない[3]雪の聖母と呼ばれる。
  • ベルギー・ボーレン:1932〜32年。ボーレンの聖母の御出現。5人の子供が目撃「黄金の心の聖母」とも呼ばれる。地元司教区、教皇庁認可。祈りの勧めと教会の建設を希望[11]
  • ベルギーバンヌ(バヌー):1933年 バヌーの聖母(別名「貧しき者たちの聖母)」ベルギーのバンヌ(バヌー)のマリエット・ベコという12歳の少女のもとに出現した。病者への癒しと慰め。地元司教区、教皇庁認可。[12]
  • ルワンダ・キベホ:キベホの聖母 1981年から1991年まで7人の男女に個々に出現。ただし、教皇庁承認となったのは3人の事例のみ。紛争直前に出現、ロザリオの祈りの強い勧め、断食と罪の償いを求める。2001年、教皇庁承認。[13]

カトリック教会・教皇庁未公認の出現[編集]

聖母出現の報告は数千例以上あり、調査しきれていない。このため、教区司教は認可したが、バチカン(教皇庁)によって承認されていない出現も含まれる。

  • フランス各地:900年代にフランス各地に聖母が幾度か出現。滅びないようにと人々に回心と祈りを呼びかけ、人々は仕事もそこそこに聖母の教え通り祈りに祈って祈り続けた。1000年を過ぎてしばらくすると、人々は今度は何事もなかったことについてあらためて聖母に感謝の祈りを捧げている。
  • 日本・仙台:聖母像に助命を懇願した子供の救命。[要出典]
  • ベトナム・ラ・ヴァン:1798年、迫害を受けた信者を守った。
  • 日本・津和野:1867年、拷問を受けている信者に語りかけ、励ました。教区司教が認可。

乙女峠マリア聖堂として建堂されている。

  • ドイツ・ヘーダ:ヘーダの聖母 1937年~1940年、「哀れな煉獄の魂の女王」ロザリオを祈るよう求めた。なお、出現の信仰を許される状態であり、公認はされていない。[16]
  • フィリッピン:1948年:バタンガス州 リパ リパの聖母 別名:全ての恵みの仲介者。地元大司教が認可 バラの花びらがカルメル会リパ修道院で巻かれた奇蹟や、幻視者の眼が治癒した奇蹟など。[18]
  • スペインガラバンダルの聖母:1961年6月18日〜1965年、大天罰の警告が四人の少女によって預言された。全世界と司祭の回心を求められた。地区司教認可。
  • エジプトカイロのコプト派教会:鳩や十字架や幼いイエスとともに100回程出現。コプト派教会公認
  • 日本秋田の聖母:1973年、アムステルダムの聖母像をモデルに作られた聖母像から涙、回心を警告。1984年、教区司教が書簡で「奇跡としての超自然性を否定できないので、ローマ聖座より最終判定が示されるまで教区信者の巡礼を禁じない」[19]と発表し、1988年に教皇庁のヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(のちの教皇ベネディクト16世)が受理。その後、教皇庁による公式声明はない。
  • ベタニアベネズエラ ベタニアの聖母1976年3月26日1990年1月5日聖母マリアの目撃者が100人以上に昇る。 地元司教公認。[21]
  • 司祭のマリア運動 聖母マリアから内的語らいと呼ばれる私的啓示を受けたカトリック教会の司祭・ステファノ・ゴッビ神父によって始められた聖母への崇敬運動である。ゴッビ神父によると、彼がポルトガルファティマの聖母を巡礼中に、この「私的啓示」を受け、その後も大量のメッセージを受け、それをまとめた書籍「題名:聖母から司祭へ」が出版されている。[22]
  • ナイジェリアアイオペの聖母1992年12歳の少女に聖母が出現、その他太陽の奇蹟などが続き、多くの巡礼者を集めるが、地元司教の「信仰(崇敬)表明の認可」の段階で、地元司教から出現の公認は出ていない。
  • イタリア・モンティキアリ・奇しき薔薇の聖母:1947年の春、看護師をしていたピエリナ・ジリに出現。その後、モンティキアリとフォンタネレに数回ご出現。「奇しき薔薇の聖母」としてご出現されたマリア様は、司祭や修道者の刷新を特別に望んでおられます。
  • アルゼンチンサルタサルタの聖母1990年にアルゼンチンのごく普通の主婦に聖母が出現し、最近は超自然現象で難病が治癒するなどの現象が起こっている。地元司教の公認は出ていない。地元司教の「信仰(崇敬)表明の認可」の段階。[23]
  • ニカラグア クアパ・クアパの聖母 1980年に農民のベルナルド・マルティネスに聖母が出現。ロザリオの祈りの勧めと、和解のメッセージを残した。地方司教公認[24]  



出現の意向は、「苦難を受けている人々への励まし」「救命」「救霊」「警告」に区分される。

カトリック教会が否定する出現[編集]

正教会[編集]

正教会でも生神女マリヤが現れたと伝えられる聖人伝などはある。「だが、特に「聖母の出現」といった概念整理は行われていない[要出典]」と述べた人[誰?]がいる。

脚注[編集]

  1. ^ フランスのカトリック作家であるジョルジュ・ベルナノスは、『田舎司祭の日記』(1936)のなかで、マリアは原罪なきゆえに、「罪よりも若く、人祖よりも若い」としいている。cf. Journal d’un curé de champagne in Œuvres complètes, Paris, coll.《Pléiade》, Gallimard, 1961, p.1194.
  2. ^ [1]New Advent Nuestra Señora Del Pilar
  3. ^ [2]New Advent Our Lady of the Snow
  4. ^ [3] Our Lady of Mount Carmel
  5. ^ Mann, Stephanie A. "Who Is Our Lady of Laus?", Our Sunday Visitor, March 28, 2014
  6. ^ Marian Apparitions”. University of Dayton. 2013年11月23日閲覧。
  7. ^ 聖母の出現 現代フォークカトリシズム考 関 一敏著 日本エディタースクール出版部版 ISBN4-88888 C3022 P2800E
  8. ^ http://www.miraclehunter.com/marian_apparitions/approved_apparitions/gietrzwald/index.html]The Miracle Hunter Gietrzwald, Poland (1877)
  9. ^ [4]
  10. ^ [5] Our Lady of the Miracle / Our Lady of Zion
  11. ^ [6]
  12. ^ [7]
  13. ^ [8] The Mircle Hunter Kibeho, Rwanda (1981-1989)
  14. ^ [9] The Apparition at Tre Fontane
  15. ^ [10] Robinsonville (now Champion), WI, USA (1859)
  16. ^ [11] Our Lady of Heede, Queen of the Poor Souls in Purgatory
  17. ^ Miravalle, Mark and Russell, Richard L., "The Fifth Marian Dogma: The Church’s Unused Weapon", Catholic Exchange, September 24, 2013
  18. ^ [12]Philippine Marian Site
  19. ^ 故ヨハネ伊藤庄治郎司教による「秋田の聖母像に関する司教書簡」(1984年4月22日・PDF) 秋田の聖母マリア(101 New Life Network)
  20. ^ [13] HISTORY OF MARY OF THE ROSARY OF SAN NICOLAS
  21. ^ [14] The Betania Apparitions of the Blessed Virgin Mary
  22. ^ [15]司祭のマリア運動とは何か
  23. ^ [16]Peregrinaciones desde Jujuy al cerro de las apariciones de la Santísima Virgen María, la Inmaculada Madre del Divino Corazón Eucarístico de Jesús
  24. ^ [17] The Miracle Hunter Cuapa

参考文献[編集]

邦文[編集]

  • 関一敏『聖母の出現 – 近代フォーク・カトリシズム考』日本エディタースクール出版部、1993年 ISBN 4-88888-200-2
  • シルヴィ・バルネイ『マリアの出現』せりか書房、1996年 ISBN 978-4796701976
  • シルヴィ・バルネイ『聖母マリア』創元社、2001年 ISBN 978-4422211558
  • 関一敏「19世紀フランス聖母出現考察:ルルドとポンマン」(日本文化人類学会『民族學研究』第48巻、1983年)
  • 藤原久仁子「『マリア出現に見られる物語性』」(地中海歴史風土研究所『地中海歴史風土研究史』第12巻、2000年)
  • 岡本亮輔「聖地体験における真正性の多様化 ―パリ・奇蹟のメダル教会における巡礼/ツーリズム」(筑波大学宗教学・比較思想学研究会『宗教学・比較宗教学論集』第10巻、2009年)
  • シスター・エマヌエル『メジュゴリエの証言者たち』三上茂訳 ドン・ボスコ社、2000年 ISBN 4-88626-279-1
  • ルネ・ローランタン、リュデヴィット・ルプツィッチ『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』尾崎正明訳 聖母の騎士社、1987年

欧文[編集]

  • Francisco Sanchez-Ventura y Pascua, Y el agua seguira curando : Apariciones de la Virgen en el Alto de Umbe, Zaragoza, Circulo, 1973.
  • Janice T. Connell, Meetings with Mary : Visions of The Blessed Mother, New York, Ballantine Press, 1996.
  • René Laurentin (dir.), Dictionnaire des « apparitions » de la Vierge Marie : Inventaire des origines à nos jours : Méthodologie, bilan interdisciplinaire, prospective, Paris, Fayard, Paris, 2007.
  • Marie-Gabrielle Lemaire, Les Apparitions mariales, Namur, Fidélité, 2008.

関連項目[編集]