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{{See also|マイソール王国}}
{{See also|マイソール王国}}
マイソールは1947年まで[[マイソール王国]]の首都であり、18世紀に[[ハイダル・アーリー]]と[[ティープー・スルタン]]が支配した時期以外は[[ウォディヤール家]]に支配されていた。
マイソールは1947年まで[[マイソール王国]]の首都であり、18世紀に[[ハイダル・アーリー]]と[[ティープー・スルタン]]が支配した時期以外は[[ウォディヤール家]]に支配されていた。
ウォディヤール家は芸術を後援しており、これがマイソールの文化面での成長に大きく寄与しており、マイソールが''[[マイソールの文化|カルナータカの文化の中心地]]''と呼ばれる背景にもなっている。
ウォディヤール家は芸術を後援しており、これがマイソールの文化面での成長に大きく寄与しており、マイソールが''[[マイソールの文化|文化的首都]]''と呼ばれる背景にもなっている。


ヒンドゥー教の神話によれば、マイソール周辺の地域は古くは「マヒシュール(''Mahishūru'')」と呼ばれ、魔神マヒシャ・アスラに支配されていたが、マヒシャ・アスラは女神チャームンディーシュワリーに倒された。<ref name="Tourism"/>
ヒンドゥー教の神話によれば、マイソール周辺の地域は古くは「マヒシュール(''Mahishūru'')」と呼ばれ、魔神マヒシャ・アスラに支配されていたが、マヒシャ・アスラは女神チャームンディーシュワリーに倒された。<ref name="Tourism"/>
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[[India Today]]のビジネス部門である''Business Today''が2001年に行った調査によると、マイソールは会社経営に適した都市でインド第5位、また清潔さでチャンディガルに次ぐインド第2位という評価だった<ref name="rank5">{{cite web|url=http://www.india-today.com/btoday/20011223/cover.html|work=The Business Today|date=2001-12-23|title=India's Best Cities For Business, 2001|accessdate=2007-10-04|archiveurl = http://web.archive.org/web/20071017045520/http://www.india-today.com/btoday/20011223/cover.html |archivedate = October 17, 2007|deadurl=yes}}</ref>。またマイソールはカルナータカ州の[[観光|観光事業]]におけるハブとしての役割も果たすようになっており、2006年には250万人の観光客が訪れている<ref name="tourin">{{cite web|url=http://www.hindu.com/2007/08/17/stories/2007081755371000.htm|work=The Hindu|date=2007-08-17|author=R. Krishna Kumar|title= Mysore Palace beats Taj Mahal in popularity|accessdate=2007-10-04}}</ref>。マイソールの南60〜100km<!-- (40-60miles) -->には[[Bandipur National Park]]および[[Mudumalai National Park]]があり、[[ガウル]]、[[アクシスジカ]]、[[ゾウ]]、[[トラ]]、[[インドヒョウ]]、その他[[絶滅危惧種]]の[[保護区]]となっている。
[[India Today]]のビジネス部門である''Business Today''が2001年に行った調査によると、マイソールは会社経営に適した都市でインド第5位、また清潔さでチャンディガルに次ぐインド第2位という評価だった<ref name="rank5">{{cite web|url=http://www.india-today.com/btoday/20011223/cover.html|work=The Business Today|date=2001-12-23|title=India's Best Cities For Business, 2001|accessdate=2007-10-04|archiveurl = http://web.archive.org/web/20071017045520/http://www.india-today.com/btoday/20011223/cover.html |archivedate = October 17, 2007|deadurl=yes}}</ref>。またマイソールはカルナータカ州の[[観光|観光事業]]におけるハブとしての役割も果たすようになっており、2006年には250万人の観光客が訪れている<ref name="tourin">{{cite web|url=http://www.hindu.com/2007/08/17/stories/2007081755371000.htm|work=The Hindu|date=2007-08-17|author=R. Krishna Kumar|title= Mysore Palace beats Taj Mahal in popularity|accessdate=2007-10-04}}</ref>。マイソールの南60〜100km<!-- (40-60miles) -->には[[Bandipur National Park]]および[[Mudumalai National Park]]があり、[[ガウル]]、[[アクシスジカ]]、[[ゾウ]]、[[トラ]]、[[インドヒョウ]]、その他[[絶滅危惧種]]の[[保護区]]となっている。


== 行事 ==
== 教育 ==
{{節stub}}
10月から11月にかけて、[[ダシャハラーの祭り]]が催され、宮殿を始めとした市街が[[イルミネーション]]で彩られる。
[[Image:Mysore university building.JPG|thumb|[[マイソール大学]]の管理本部があるCrawford Hall]]

イギリス式の教育制度が取り入れられる前は、''agrahara''が[[ヴェーダ]]に基づく教育課程をヒンドゥー教徒に行い、''madrasa''がイスラム教徒に対する教育の中心としての役割を果たしていた<ref name="gaz1929">Hayavadana Rao (1929), p459</ref>。近代的教育が始まるのは1833年に無償のイギリス式の学校が設立されてからのことである<ref name="hd">{{rp|p.50}}{{cite web|url=http://data.undp.org.in/shdr/kar/Karnataka1999.pdf|format=PDF|work=Human Development in Karnataka 1999|title=Education and Literacy|accessdate=2007-09-30}}</ref>。

== 文化・芸術 ==
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{{Main|マイソールの文化}}
[[File:oldpaint file.jpg|thumb|right|古いマイソールペインティングの絵画]]

マイソールはカルナータカ州の''文化的首都''<ref name="culcap">{{cite web|author=The Correspondent|title=Goodbye to old traditions in 'cultural capital'|url=http://www.deccanherald.com/archives/mar172006/state1751562006316.asp|work=The Deccan Herald|date=2006-03-17|publisher=2005, The Printers (Mysore) Private Ltd|accessdate=2007-10-04}}</ref>とも呼ばれており、通常9月から10月にかけて行われるカルナータカ州の祭りである[[マイソールのダサラ|ダサラ]]の期間中に行われる祭典はよく知られている。ダサラ祭は1610年に国王ラジャ・ウォディヤール1世によって行われたのが始まりである<ref name="das">{{cite web|author=Ravi Sharma|url=http://www.flonnet.com/fl2221/stories/20051021005611300.htm|title=Mysore Dasara: A historic festival|work=The Frontline, Volume 22 - Issue 21|accessdate=2007-04-04}}</ref>。

== 交通 ==
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[[File:KSRTC-MCTC-Bus.jpg|thumb|Mysore city bus]]

=== 空路 ===
2010年10月に[[マイソール空港]](地名から「マンダカリ空港」とも)が開港し<ref>{{cite news|url=http://www.karnataka.com/watch/mysore-airport|work=Karnataka|date=March 2009|title=DGCA says Mandakalli airport will be open|accessdate=26 January 2011}}</ref>)、[[キングフィッシャー航空]]による[[バンガロール]]便および[[チェンナイ]]便が運行されていた<ref>{{cite news|url=http://www.deccanchronicle.com/bengaluru/mysore-airport-begins-operations-971|work=Deccan Chronicle|date=2 October 2010|title=First commercial flight to Mysore|accessdate=1 November 2010}}</ref>が、現在は中断している<ref>{{cite news|url=http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2012-02-05/mysore/31026833_1_mysore-airport-air-operators-airport-expansion|work=The Times Of India|date=2012-2-5|title=Hope brightens for airport expansion|accessdate=2012-2-19}}</ref>。

=== 鉄道 ===
[[マイソール駅]]にはそれぞれ[[バンガロール]]、Hassan、Chamarajanagarに向かう3つの路線がある。最初にマイソール市内に敷設されたのはバンガロールとマイソールをつなぐ[[軌間|メーターゲージ]]の路線で、1882年に運用が開始された<ref name="comm">{{cite web|url=http://www.hindu.com/2004/06/03/stories/2004060309430300.htm|work=The Hindu|date=2004-06-03|title= Mysore Rail Museum celebrates silver jubilee|accessdate=2007-09-26}}</ref>。しかしながら、敷設されている路線はすべて単線で、都市間の接続の高速化の妨げとなっている。最低でもマイソール-バンガロール間の路線は複線化する計画があるが、プロジェクトは完了していない<ref name="soub">{{cite web|url=http://www.hindu.com/2007/07/07/stories/2007070757960500.htm|work=The Hindu|date=2007-07-07|title= MP promises to press for early Bangalore-Mysore line doubling|accessdate=2007-09-26}}</ref>。マイソールへ接続するすべての列車は[[インド鉄道]]が運行しており、最も高速な列車は[[シャターブディー急行]]である。


== 注釈 ==
== 注釈 ==

2012年2月18日 (土) 16:48時点における版

マイソール
ಮೈಸೂರು
Mysore
マイソールの藩王宮殿
マイソールの藩王宮殿
位置
マイソールの位置の位置図
マイソールの位置
座標 : 北緯12度18分 東経76度39分 / 北緯12.300度 東経76.650度 / 12.300; 76.650
行政
インドの旗 インド
  カルナータカ州
 県 マイソール県
 市 マイソール
市長 Ayub Khan
地理
面積  
  市域 128.42 km2
標高 763 m
人口
人口 (2001年現在)
  市域 799,228人
その他
等時帯 インド標準時 (UTC+5:30)
夏時間 なし
Pincode 570001
市外局番 821
公式ウェブサイト : http://www.mysorecity.gov.in/

マイソール (Mysore (maɪˈsɔər)[注釈 1], カンナダ語: ಮೈಸೂರು Maisūru)はインド南部カルナータカ州で2番目の規模を持つ都市。 カルナータカ州の州都バンガロールから南西146kmの位置にある。かつてはマイソール王国の首都として知られた。 都市の名称は、ヒンドゥー教の神話において女神チャームンディーシュワリーに倒された魔神マヒシャに由来する(「マヒシャ」とは「水牛」の意味)。[1] 都市南部のチャームンディーの丘、およびその頂上にあるチャームンディーシュワリー寺院はヒンドゥー教徒の巡礼地としても名高い。 インドの伝統工業地帯のひとつであり、絹サリー白檀香油象牙などを産する。

歴史

マイソールは1947年までマイソール王国の首都であり、18世紀にハイダル・アーリーティープー・スルタンが支配した時期以外はウォディヤール家に支配されていた。 ウォディヤール家は芸術を後援しており、これがマイソールの文化面での成長に大きく寄与しており、マイソールが文化的首都と呼ばれる背景にもなっている。

ヒンドゥー教の神話によれば、マイソール周辺の地域は古くは「マヒシュール(Mahishūru)」と呼ばれ、魔神マヒシャ・アスラに支配されていたが、マヒシャ・アスラは女神チャームンディーシュワリーに倒された。[1] 「マヒシュール」という名前は次第に「マヒスール(Mahisūru)」「マイスール(Maisūru)」と変化し[2]、後にカンナダ語の「マイスール」が英語化され「マイソール(Mysore)」となった。[1] 2005年12月、カルナータカ州政府は英語式の「マイソール」という名前を「マイスール(Mysuru)」に変更する意思を表明した。 [3] この変更はインド政府には認可されているが、名前の変更に必要な手続きはいまだに完了していない。 [4]

チャームンディーの丘の頂上にある、魔神マヒシャ・アスラの像

現在のマイソール市街地は、15世紀まで「プラゲレ(Puragere)」と呼ばれていた[5]。 1524年にはチャマラヤ・ウォディヤール3世(1513-1553)によりマヒシュール城が建設され、後に主権は息子のチャマラヤ・ウォディヤール4世(1572-1576)に受け継がれた。 この地域が一般的に「マヒシュール」と呼ばれるようになるのは16世紀のことである。[5] ヴィジャヤナガル朝の統治下においては、ウォディヤール家の治めるマイソール王国はヴィジャヤナガル朝の封建国であったが、1610年にラジャ・ウォディヤールがシュリーランガパトナムを治めるヴィジャヤナガル朝の総督を追放すると、マイソールはウォディヤール家による支配の中心となった。 1565年にヴィジャヤナガル朝が消滅すると、マイソール王国の独立は徐々に達成され、Narasaraja Wodeyarの時代(1637)に王国は主権国家となった。[6] その後王国を支配したティープー・スルタンにより、ウォディヤール家による統治の痕跡を消すため、マイソールの街のほとんどは一度取り壊されている[7]が、1799年にティープー・スルタンが第四次マイソール戦争で戦死すると、マイソールは再び王国の首都となった。[8][9] この際、イギリスの保護の下で再建されたマイソール王国の国王Mummadi Krishnaraja Wodeyarはまだ幼なかったため、政治はDiwan Purnaiahによって行われた。Purnaiahはマイソール市街の発展に関する功績で知られており、特に公共事業が有名である。[10] 1831年にはイギリスの行政官Mark Cubbonが王国の首都をバンガロールに移し、マイソールは王国の支配の中心としての地位を失った[11]が、1881年になるとイギリスは権力をウォディヤール家に返還し、マイソールは再び王国の首都となった。[12] マイソールの街は、マイソール宮殿とともに1947年までウォディヤール家による支配の中心であり続けた。

マイソール宮殿の入口

マイソールが自治体となったのは1888年のことで、市街は8つの区に区分けされた。[13] 1897年には腺ペストの流行により人口の半数が死亡した。[14] 1903年に都市改良トラスト(City Improvement Trust Board (CITB))が設立されると、マイソールはアジアで初めて都市計画が行われるれ都市の一つとなった。[15] 1940年代前半に「インドを去れ」運動が起こると、マイソール市はその一翼を担うことになった。 H. C. DasappaやSahukar Channayyaといったインド独立運動のリーダー達は扇動の最前線に立った。[16] Maharaja's Collegeの宿舎はマイソール地区における運動のコントロールの中心であったし、Subbarayana Kereのグラウンドは公衆のデモにとって重要な場所であった。

インド独立後、マイソール市はマイソール州の一部となったが、マイソール王ジャヤ・チャーマ・ラージャ・ウォディヤールは肩書を持ち続けることを許され、また州知事にも指名された。 ジャヤ・チャーマ・ラージャ・ウォディヤールが1974年に逝去した際には、マイソール市において火葬されている。[17] その後、マイソールは観光の中心として有名になり、また時折発生するカーヴィリ川の水の分配に関する論争に関係した騒ぎを除けば、非常に平和な都市となっている。[18] 最近マイソールで起こったと全国的なニュースとしては、多くの人名が失われたPremier Studiosの火災、マイソール動物園で発生した動物の大量突然死、Infosysのキャンパスで発生したインド国歌に関する論争などが挙げられる。[19][20][21]

地理

Mysore
雨温図説明
123456789101112
 
 
1.9
 
28
16
 
 
5.2
 
31
18
 
 
8.5
 
33
20
 
 
61
 
34
22
 
 
148
 
32
21
 
 
73
 
29
20
 
 
80
 
27
20
 
 
64
 
28
20
 
 
106
 
29
19
 
 
167
 
28
20
 
 
58
 
28
18
 
 
17
 
27
17
気温(°C
総降水量(mm)
出典:IMD
インペリアル換算
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0.1
 
82
62
 
 
0.2
 
87
65
 
 
0.3
 
92
68
 
 
2.4
 
93
71
 
 
5.8
 
90
70
 
 
2.9
 
84
69
 
 
3.2
 
81
68
 
 
2.5
 
82
67
 
 
4.2
 
84
67
 
 
6.6
 
83
67
 
 
2.3
 
82
65
 
 
0.6
 
81
62
気温(°F
総降水量(in)
チャームンディーの丘の麓にマイソール市街地が広がっている

デカン高原南部のカーベーリ川上流に位置し、半乾燥気候に属する。都市は新旧に分かれ、旧市の中央に台形状の城壁と、1897年から1913年にかけて建設されたイスラム様式の壮麗な藩王宮殿(現在は州立博物館として機能)がある。現在の市街地はチャームンディーの丘のふもとに広がっている。

面積は128.42km²、標高は平均770mである[22]。 季節は夏季(3~6月)、モンスーン(7~11月)、冬(12~2月)に分けられ、観測史上最高気温は38.5℃(2006年5月4日)[23]で、また同じ年の冬には観測史上最低気温9.6℃を観測した。年平均降水量は798.2mmである[22]。 マイソール自体は比較的地震の少ない土地であるが、近辺ではリヒタースケール4.5以上の地震が観測されたこともある[24][25]

Karanji湖

マイソールにはKukkarahalli湖、Karanji湖、Lingambudhi湖をはじめとして大小いくつかの湖がある。2001年時点での土地利用面積は以下の通りである[26]

宅地 道路 公園 工場 公共施設 商業施設 農用地 水面
39.9% 16.1% 13.74% 13.48% 8.96% 3.02% 2.27% 2.02%

行政

人口統計

チャームンディーの丘の頂上にあるチャームンデースワリー寺院

2001年の国勢調査によれば、マイソール市の総人口は799,228人(男性が406,363人、女性が392,865人)であり、カルナータカ州で2番目に人口の多い都市である[27][28]。男女比は男性1000人に対し女性967人で、人口密度は6223.55人/km2である。宗教は76.8%がヒンドゥー教徒、19%がムスリム、2.8%がキリスト教徒で、 残りがその他となっている[29]。市の人口が100,000人を超えたのは1931年の国勢調査の際で、1991年〜2001年の間の人工の伸び率は20.5%であった。識字率は82.8%で、これはカルナータカ州の平均である67%を上回っている[26]:p.32。最も広く話されているのはTemplate:カンナダ語だが、ヒンディー語ウルドゥ語も通じる。貧困線以下の生活にある人口は19%で、9.0%がスラムに住んでいる。カルナータカ州の都市部に住んでいる人口の35.7%が労働者である一方、マイソール市の人口のうち労働者階級にあるのは33.3%だけである[28]指定カーストと指定部族に属する市民は人口の15.1%である[28]。マイソールは2005年に届出のあった犯罪件数は805件で、2003年の510件と比べて急増している[30]

マイソール市の居住者は英語でMysoreansあるいはカンナダ語でMysoorinavaruと呼ばれている。カルナータカ州タミル・ナードゥ州の間で続いているカーヴィリ川の水の分配に関する論争が繰り返しぶり返していることが原因で、小規模な口論や抗議運動が度々発生している[31]。マイソールの人口統計学上の概観は情報技術産業の成長が原因で変化しており、またこれは一部市民の心配の種ともなっている[32]

産業と経済

マイソールにあるInfosys社敷地内の映画館

観光事業がマイソールの主要産業である一方、2000年代にIT関連産業が成長したことにより、マイソール市はバンガロールに次いでカルナータカ州におけるソフトウェア輸出で第2位となる飛躍を遂げた。 マイソールにはマイソール大学があり、出身者にはKuvempuGopalakrishna AdigaS. L. BhyrappaU. R. AnanthamurthyN.R.ナラヤナ・ムルティがいる。インド政府初のラジオ放送部門であるAll India Radioもこの土地で発足している。

マイソールは伝統的には織物、サンダルウッドの彫刻、青銅細工、石灰や食塩の製造といった産業の中心地であった[33]。マイソール市およびカルナータカ州による計画的な産業振興に関しては、1911年に開催されたMysore economic conferenceで初めて構想が示され[33][34]、これにより1917年にはMysore Sandalwood Oil Factory、1920年にはSri Krishnarajendra Millsといった産業施設が設立された[35][36]

India Todayのビジネス部門であるBusiness Todayが2001年に行った調査によると、マイソールは会社経営に適した都市でインド第5位、また清潔さでチャンディガルに次ぐインド第2位という評価だった[37]。またマイソールはカルナータカ州の観光事業におけるハブとしての役割も果たすようになっており、2006年には250万人の観光客が訪れている[38]。マイソールの南60〜100kmにはBandipur National ParkおよびMudumalai National Parkがあり、ガウルアクシスジカゾウトラインドヒョウ、その他絶滅危惧種保護区となっている。

教育

マイソール大学の管理本部があるCrawford Hall

イギリス式の教育制度が取り入れられる前は、agraharaヴェーダに基づく教育課程をヒンドゥー教徒に行い、madrasaがイスラム教徒に対する教育の中心としての役割を果たしていた[39]。近代的教育が始まるのは1833年に無償のイギリス式の学校が設立されてからのことである[40]

文化・芸術

古いマイソールペインティングの絵画

マイソールはカルナータカ州の文化的首都[41]とも呼ばれており、通常9月から10月にかけて行われるカルナータカ州の祭りであるダサラの期間中に行われる祭典はよく知られている。ダサラ祭は1610年に国王ラジャ・ウォディヤール1世によって行われたのが始まりである[42]

交通

Mysore city bus

空路

2010年10月にマイソール空港(地名から「マンダカリ空港」とも)が開港し[43])、キングフィッシャー航空によるバンガロール便およびチェンナイ便が運行されていた[44]が、現在は中断している[45]

鉄道

マイソール駅にはそれぞれバンガロール、Hassan、Chamarajanagarに向かう3つの路線がある。最初にマイソール市内に敷設されたのはバンガロールとマイソールをつなぐメーターゲージの路線で、1882年に運用が開始された[46]。しかしながら、敷設されている路線はすべて単線で、都市間の接続の高速化の妨げとなっている。最低でもマイソール-バンガロール間の路線は複線化する計画があるが、プロジェクトは完了していない[47]。マイソールへ接続するすべての列車はインド鉄道が運行しており、最も高速な列車はシャターブディー急行である。

注釈

  1. ^ アルファベット表記では他にも Maisuru, Mhaisur, Mysooru, Mysuru, Maisu-ru 等と綴られることがある。

参考文献

  1. ^ a b c Mysore City Corporation - Tourism”. 2009年10月4日閲覧。
  2. ^ Deve Gowda Javare Gowda(1998), p82
  3. ^ They will be Belagavi, Mangalooru, Mysuru from November next”. The Hindu (2005年12月19日). 2007年12月14日閲覧。
  4. ^ Rajyotsava celebrated without usual fanfare”. The Hindu (2007年11月2日). 2007年12月5日閲覧。
  5. ^ a b B L Rice (1897), p31
  6. ^ Kamath (2001), p228
  7. ^ B L Rice (1897), p281
  8. ^ Kamath (2001), p249
  9. ^ Various authors (1998). Kannada Vishwakosha. University of Mysore. Volume 12 
  10. ^ Kamath (2001), p249
  11. ^ Kamath (2001), p251
  12. ^ Kamath (2001), p254
  13. ^ B L Rice (1897), p283
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  15. ^ Tree ownership rights to growers may boost green cover”. The Hindu (2004年8月26日). 2007年11月20日閲覧。
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外部リンク

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