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Patsfan (会話 | 投稿記録)
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{{Infobox NFLplayer
|選手名=トム・ブレイディ
|欧文表記=Tom Brady
|写真ファイル名=
|写真サイズ=171
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|現所属チーム=ニューイングランド・ペイトリオッツ
|背番号=12
|引退選手背番号=
|ポジション=QB
|他のポジション=
|生年月日={{生年月日と年齢|1977|8|3}}
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|受賞歴・記録=<nowiki></nowiki>
*[[プロボウル]]選出4回(2001,2004,2005,2007)
*オールプロ選出2回(2005,2007)
*[[スーパーボウル]]チャンピオン3回(第36回、第38回、第39回)
*スーパーボウルMVP2回(第36回、第38回)
*シーズンMVP1回(2007)
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'''トム・ブレイディ'''(Thomas Edward Brady, Jr., [[1977年]][[8月3日]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]出身の[[アメリカンフットボール]]選手で、ポジションは[[アメリカンフットボールのポジション#クォーターバック|クオーターバック(QB)]]。[[NFL]]・[[ニューイングランド・ペイトリオッツ]]所属。両親は[[アイルランド]]系。最もよく比較されるQB[[ジョー・モンタナ]]を見て育った。
'''トム・ブレイディ'''(Thomas Edward Brady, Jr., [[1977年]][[8月3日]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]出身の[[アメリカンフットボール]]選手で、ポジションは[[アメリカンフットボールのポジション#クォーターバック|クオーターバック(QB)]]。[[NFL]]・[[ニューイングランド・ペイトリオッツ]]所属。両親は[[アイルランド]]系。最もよく比較されるQB[[ジョー・モンタナ]]を見て育った。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
出身高校は[[バリー・ボンズ]]などを輩出したジュニペロ・セラ高校。高校卒業時は[[モントリオール・エクスポズ]]から捕手としてドラフト指名を受けている。教育熱心な父親で、ブレイディが高校時代に通っていたQBスクールにはピッツバーグスティーラーズの現QBベン・ロスリスバーガーやシンシナティベンガルズのカーソン・パーマーらが通っていた。その名門QBスクールの月謝は日本の私立大学レベルの額と言われている。大学へ行く際にはその父親がブレイディの試合のビデオを全米の大学に送り、ミシガン大学から声がかかった。大学4年間は名門[[ミシガン大学]]で過ごした(当初2年間は[[ブライアン・グリーシー]]の控え)が、[[2000年]]の[[ドラフト]]指名はペイトリオッツの6巡(全体199位)と決して高い評価ではなかった。
出身高校は[[バリー・ボンズ]]などを輩出したジュニペロ・セラ高校。高校卒業時は[[モントリオール・エクスポズ]]から捕手としてドラフト指名を受けている。教育熱心な父親で、ブレイディが高校時代に通っていたQBスクールには[[ベン・ロスリスバーガー]][[カーソン・パーマー]]らが通っていた。その名門QBスクールの月謝は日本の私立大学レベルの額と言われている。大学へ行く際にはその父親がブレイディの試合のビデオを全米の大学に送り、ミシガン大学から声がかかった。大学4年間は名門[[ミシガン大学]]で過ごした(当初2年間は[[ブライアン・グリーシー]]の控え)が、[[2000年]]の[[ドラフト]]指名はペイトリオッツの6巡(全体199位)と決して高い評価ではなかった。


2000年シーズン:ペイトリオッツの看板QB[[ドリュー・ブレッドソー]]の控えで出場機会はなかった。
2000年シーズン:ペイトリオッツの看板QB[[ドリュー・ブレッドソー]]の控えで出場機会はなかった。


2001年シーズン:開幕直後に転機が訪れる。第3のQBという評価であったが、開幕第2週のジェッツ戦でエースQBブレッドソーが相手守備選手からハードタックルを受け、胸部内出血の重症を負い、ブレイディが大抜擢される。それ以降、ペイトリオッツの正QBに定着し、シーズン11勝5敗。プレイオフ進出。ディビジョナル・プレイオフでは[[オークランド・レイダーズ]]を豪雪の中、撃破し[[AFCチャンピオンシップ・ゲーム]]では負傷ブレイディに代わりブレッドソーが先発し、スティーラーズを撃破。AFC制覇。[[第36回スーパーボウル]]では、タッチダウンパスを通し、残り0秒でキッカーの[[アダム・ビナティエリ]])のフィールドゴールにつながるウィニングドライブを決め、20-17で[[セントルイス・ラムズ]]を倒し、スーパーボウル優勝。スーパーボウルリングを手にする。スーパーボウルMVPにも輝いている。ブレイディはルックスの良さも手伝って一躍NFLのスーパースターとなった。
2001年シーズン:開幕直後に転機が訪れる。第3のQBという評価であったが、開幕第2週の[[ニューヨーク・ジェッツ]]戦でエースQBブレッドソーが相手守備選手からハードタックルを受け、胸部内出血の重症を負い、ブレイディが大抜擢される。それ以降、ペイトリオッツの正QBに定着し、シーズン11勝5敗。プレイオフ進出。ディビジョナル・プレイオフでは[[オークランド・レイダーズ]]を豪雪の中、撃破した。[[AFCチャンピオンシップ・ゲーム]]では負傷したブレイディに代わりブレッドソーが先発し、スティーラーズを撃破してスーパーボウル出場を果たした。[[第36回スーパーボウル]]では、タッチダウンパスを通し、残り0秒でキッカーの[[アダム・ビナティエリ]])のフィールドゴールにつながるウィニングドライブを決め、20-17で[[セントルイス・ラムズ]]を倒し、スーパーボウル優勝。スーパーボウルリングを手にする。スーパーボウルMVPにも輝いている。ブレイディはルックスの良さも手伝って一躍NFLのスーパースターとなった。


2002年シーズン:シーズン9勝7敗。プレーオフを逃す。
2002年シーズン:シーズン9勝7敗。プレーオフを逃す。


2003年シーズン:シーズン14勝2敗。[[第38回スーパーボウル優勝]]。第38回スーパーボウルでは自身2つ目となるスーパーボウルMVPを受賞した。
2003年シーズン:シーズン14勝2敗。[[第38回スーパーボウル]]優勝。第38回スーパーボウルでは自身2つ目となるスーパーボウルMVPを受賞した。


2004年シーズン:シーズン14勝2敗。[[第39回スーパーボウル優勝]]。2年連続でAFC、そしてスーパーボウルを制覇することになった。
2004年シーズン:シーズン14勝2敗。[[第39回スーパーボウル]]優勝。2年連続でAFC、そしてスーパーボウルを制覇することになった。


2005年シーズン:シーズン10勝6敗。プレーオフ進出。ワイルドカード・プレイオフで[[ジャクソンビル・ジャガーズ]]を倒したものの、ディビジョナル・プレイオフで[[デンバー・ブロンコス]]に敗れプレーオフ敗退。恩師[[チャーリー・ワイズ]](現[[ノートルダム大学]]HC)の離脱や、[[スポーツヘルニア]]の痛みに悩まされるなど、決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが自身の成績は自己ベストを記録した。
2005年シーズン:シーズン10勝6敗。プレーオフ進出。ワイルドカード・プレイオフで[[ジャクソンビル・ジャガーズ]]を倒したものの、ディビジョナル・プレイオフで[[デンバー・ブロンコス]]に敗れプレーオフ敗退。恩師[[チャーリー・ワイズ]](現[[ノートルダム大学]]HC)の離脱や、[[スポーツヘルニア]]の痛みに悩まされるなど、決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが自身の成績は自己ベストを記録した。


2006年シーズン:シーズン12勝4敗。プレーオフ進出。ワイルドカード・プレイオフでは[[ニューヨーク・ジェッツ]]に大勝し、デビジョナル・プレーオフでは[[サンディエゴ・チャージャーズ]]を逆転勝利で下す。、続くAFCチャンピオンシップで[[インディアナポリス・コルツ]]に逆転で敗れスーパーボウル進出なら
2006年シーズン:シーズン12勝4敗。プレーオフ進出。ワイルドカード・プレイオフではニューヨーク・ジェッツに大勝し、デビジョナル・プレーオフでは[[サンディエゴ・チャージャーズ]]を逆転勝利で下した[[AFCチャンピオンシップ・ゲーム]]で[[インディアナポリス・コルツ]]に逆転で敗れスーパーボウル進出ならなかった


2007年シーズン:シーズン16勝0敗を達成。[[ランディ・モス]]、ウェス・ウェルカーといった超強力レシーバーを得たブレイディは、2004年に[[ペイトン・マニング]]が記録したシーズン49TDパスを更新するシーズン50TDパスを記録し、NFL新記録を達成。自身初となるシーズンMVPを獲得し、度目のスーパーボウル出場る。
2007年シーズン:シーズン16勝0敗を達成。[[ランディ・モス]]、ウェス・ウェルカーといった超強力レシーバーを得たブレイディは、2004年に[[ペイトン・マニング]]が記録したシーズン49TDパスを更新するシーズン50TDパスを記録し、NFL新記録を達成。自身初となるシーズンMVPを獲得し、4度目のスーパーボウル出場を果たした。しかし対戦相手の[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]の守備陣に5サックされなど活躍できず、また相手QB[[イーライ・マニング]]の活躍等によって逆転負けを喫し、パーフェクトシーズン達成はならなかった
しかし、対戦相手の[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]の守備陣に5サックを許すなど活躍できず、また相手QB[[イーライ・マニング]]の活躍等によって逆転負けを喫し、パーフェクトシーズン達成はならなかった。


== プレイスタイル ==
== プレイスタイル ==
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== その他 ==
== その他 ==
第36回スーパーボウルMVPにはファンによる後押しがあった。MVPを選ぶ19票のうち、メディア関係者には15票が与えられ、[[ジョン・マッデン]]らはブレイディに投票したが4票。チームメートの[[タイ・ロー]]が5.5票、アダム・ビナティエリには5票が入った。40万人に及ぶファン投票の結果は[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙]]における[[ジョージ・W・ブッシュ]]と[[アル・ゴア]]の争いのような僅差のものとなりブレイディに29.02%がビナティエリに28.74%が投票、その差はわずか0.28%であった。ファン投票でトップに立ったブレイディは残りの4票を独占して[[キャデラック・エスカレード]]を手にした。<ref>[http://www.sptimes.com/2002/02/08/Sports/Fan_vote_helps_Brady_.shtml St. Petersburg Times article on Brady's first Super Bowl MVP]</ref>

People誌の全米でもっとも理想的な男性にも選ばれた。[[ジョージ・W・ブッシュ]]大統領の[[一般教書演説]]に招待された。
People誌の全米でもっとも理想的な男性にも選ばれた。[[ジョージ・W・ブッシュ]]大統領の[[一般教書演説]]に招待された。
フォーブス誌の「世界のセレブリティランキングトップ100」にもたびたび選ばれている。(彼女のジゼルも選ばれている。)
フォーブス誌の「世界のセレブリティランキングトップ100」にもたびたび選ばれている。(彼女のジゼルも選ばれている。)


ブレイディはNFLのスーパースターとなってから[[ハリウッド]]女優の[[ブリジット・モイナハン]]と2006年まで恋人関係を続けたが、2006年12月ブレイディの浮気(後の恋人の[[ジゼル・ブンチェン]]が相手とされている)発覚とともに破局、彼女は翌年の8月にブレイディとの間にできた男の子を産んでいる。ちなみに妊娠期間から逆算すると同時に2人の女性と付き合い片方を妊娠させたことが明らかとなっている。そのことがタブロイド誌では大きく報道された。2007年3月には、スーパーモデルの[[ジゼル・ブンチェン]]と付き合って、パリやローマでのバカンスが目撃された。
ブレイディはNFLのスーパースターとなってから[[ハリウッド]]女優の[[ブリジット・モイナハン]]と2006年まで恋人関係を続けたが、2006年12月ブレイディの浮気(後の恋人の[[ジゼル・ブンチェン]]が相手とされている)発覚とともに破局、彼女は翌年の8月にブレイディとの間にできた男の子を産んでいる。ちなみに妊娠期間から逆算すると同時に2人の女性と付き合い片方を妊娠させたことが明らかとなっている。そのことがタブロイド誌では大きく報道された。2007年3月には、スーパーモデルの[[ジゼル・ブンチェン]]と付き合って、パリやローマでのバカンスが目撃された。

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
*[http://www.patriots.com/team/index.cfm?ac=playerbio&bio=566 Tom Brady on the New England Patriots' Official Website]
{{NFLstats |nfl=BRA371156 |espn=2330 |pfr=BradTo00.htm |dbf=BRADYTOM01 |sportsline=}}
*{{imdb name|id=1530018|name=Tom Brady}}



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[[Category:NFL選手]]
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[[Category:カリフォルニア州の人物]]
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[[Category:1977年生]]
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2008年3月22日 (土) 17:11時点における版

トム・ブレイディ
Tom Brady
ニューイングランド・ペイトリオッツ #12
ポジション QB
生年月日 (1977-08-03) 1977年8月3日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サン・マテオ
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 225 lb =約102.1kg
経歴
大学 ミシガン大学
NFLドラフト 2000 - 6巡目全体199位
初出場年 2000
初出場チーム ニューイングランド・ペイトリオッツ
所属歴
ニューイングランド・ペイトリオッツ (2000-)
受賞歴・記録

  • プロボウル選出4回(2001,2004,2005,2007)
  • オールプロ選出2回(2005,2007)
  • スーパーボウルチャンピオン3回(第36回、第38回、第39回)
  • スーパーボウルMVP2回(第36回、第38回)
  • シーズンMVP1回(2007)
NFL 通算成績
(2007年終了時点)
タッチダウン 197
インターセプト 86
通算パス獲得ヤード 26,370
QBレーティング 92.9
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

トム・ブレイディ(Thomas Edward Brady, Jr., 1977年8月3日 - )は、アメリカカリフォルニア州出身のアメリカンフットボール選手で、ポジションはクオーターバック(QB)NFLニューイングランド・ペイトリオッツ所属。両親はアイルランド系。最もよく比較されるQBジョー・モンタナを見て育った。

経歴

出身高校はバリー・ボンズなどを輩出したジュニペロ・セラ高校。高校卒業時はモントリオール・エクスポズから捕手としてドラフト指名を受けている。教育熱心な父親で、ブレイディが高校時代に通っていたQBスクールにはベン・ロスリスバーガーカーソン・パーマーらが通っていた。その名門QBスクールの月謝は日本の私立大学レベルの額と言われている。大学へ行く際にはその父親がブレイディの試合のビデオを全米の大学に送り、ミシガン大学から声がかかった。大学4年間は名門ミシガン大学で過ごした(当初2年間はブライアン・グリーシーの控え)が、2000年ドラフト指名はペイトリオッツの6巡(全体199位)と決して高い評価ではなかった。

2000年シーズン:ペイトリオッツの看板QBドリュー・ブレッドソーの控えで出場機会はなかった。

2001年シーズン:開幕直後に転機が訪れる。第3のQBという評価であったが、開幕第2週のニューヨーク・ジェッツ戦でエースQBブレッドソーが相手守備選手からハードタックルを受け、胸部内出血の重症を負い、ブレイディが大抜擢される。それ以降、ペイトリオッツの正QBに定着し、シーズン11勝5敗。プレイオフ進出。ディビジョナル・プレイオフではオークランド・レイダーズを豪雪の中、撃破した。AFCチャンピオンシップ・ゲームでは負傷したブレイディに代わりブレッドソーが先発し、スティーラーズを撃破してスーパーボウル出場を果たした。第36回スーパーボウルでは、タッチダウンパスを通し、残り0秒でキッカーのアダム・ビナティエリ)のフィールドゴールにつながるウィニングドライブを決め、20-17でセントルイス・ラムズを倒し、スーパーボウル優勝。スーパーボウルリングを手にする。スーパーボウルMVPにも輝いている。ブレイディはルックスの良さも手伝って一躍NFLのスーパースターとなった。

2002年シーズン:シーズン9勝7敗。プレーオフを逃す。

2003年シーズン:シーズン14勝2敗。第38回スーパーボウル優勝。第38回スーパーボウルでは自身2つ目となるスーパーボウルMVPを受賞した。

2004年シーズン:シーズン14勝2敗。第39回スーパーボウル優勝。2年連続でAFC、そしてスーパーボウルを制覇することになった。

2005年シーズン:シーズン10勝6敗。プレーオフ進出。ワイルドカード・プレイオフでジャクソンビル・ジャガーズを倒したものの、ディビジョナル・プレイオフでデンバー・ブロンコスに敗れプレーオフ敗退。恩師チャーリー・ワイズ(現ノートルダム大学HC)の離脱や、スポーツヘルニアの痛みに悩まされるなど、決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが自身の成績は自己ベストを記録した。

2006年シーズン:シーズン12勝4敗。プレーオフ進出。ワイルドカード・プレイオフではニューヨーク・ジェッツに大勝し、ディビジョナル・プレーオフではサンディエゴ・チャージャーズを逆転勝利で下したがAFCチャンピオンシップ・ゲームインディアナポリス・コルツに逆転で敗れスーパーボウル進出はならなかった。

2007年シーズン:シーズン16勝0敗を達成。ランディ・モス、ウェス・ウェルカーといった超強力レシーバーを得たブレイディは、2004年にペイトン・マニングが記録したシーズン49TDパスを更新するシーズン50TDパスを記録し、NFL新記録を達成。自身初となるシーズンMVPを獲得し、4度目のスーパーボウル出場を果たした。しかし対戦相手のニューヨーク・ジャイアンツの守備陣に5サックされるなど活躍できず、また相手QBイーライ・マニングの活躍等によって逆転負けを喫し、パーフェクトシーズン達成はならなかった。

プレイスタイル

ベリチックの理想とするフットボールを忠実に再現するQBであり、まさに現代フットボールが求めるQBの理想形であると言える。ディフェンスを読む能力やパスの精度、的確なプレイ選択などNFL屈指の実力を持つ。ここ数年のチームの経緯などからインディアナポリス・コルツのQBペイトン・マニングとのライバル関係は、ここ数年のNFLの盛り上げに大役を買った。2ミニッツ・オフェンスを得意としており、NFL解説者の河口正史は「ありえないシチュエーションでありえないパスを連発するブレイディゾーン。彼が攻撃モードに入るとディフェンスは手をつけられない。」と語っている。現代のジョー・モンタナと呼ばれている。スーパーボウルではMVPを獲得していたが、ディフェンス主体のチームであったのとモンタナほどのドライブをしたわけではないので現地ではMVPには賛否両論が巻き起こった。

その他

第36回スーパーボウルMVPにはファンによる後押しがあった。MVPを選ぶ19票のうち、メディア関係者には15票が与えられ、ジョン・マッデンらはブレイディに投票したが4票。チームメートのタイ・ローが5.5票、アダム・ビナティエリには5票が入った。40万人に及ぶファン投票の結果は2000年アメリカ合衆国大統領選挙におけるジョージ・W・ブッシュアル・ゴアの争いのような僅差のものとなりブレイディに29.02%がビナティエリに28.74%が投票、その差はわずか0.28%であった。ファン投票でトップに立ったブレイディは残りの4票を独占してキャデラック・エスカレードを手にした。[1]

People誌の全米でもっとも理想的な男性にも選ばれた。ジョージ・W・ブッシュ大統領の一般教書演説に招待された。 フォーブス誌の「世界のセレブリティランキングトップ100」にもたびたび選ばれている。(彼女のジゼルも選ばれている。)

ブレイディはNFLのスーパースターとなってからハリウッド女優のブリジット・モイナハンと2006年まで恋人関係を続けたが、2006年12月ブレイディの浮気(後の恋人のジゼル・ブンチェンが相手とされている)発覚とともに破局、彼女は翌年の8月にブレイディとの間にできた男の子を産んでいる。ちなみに妊娠期間から逆算すると同時に2人の女性と付き合い片方を妊娠させたことが明らかとなっている。そのことがタブロイド誌では大きく報道された。2007年3月には、スーパーモデルのジゼル・ブンチェンと付き合って、パリやローマでのバカンスが目撃された。

脚注

外部リンク