麗水・順天事件

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麗水・順天事件
各種表記
ハングル 여순 14연대 반란사건
漢字 麗順14聯隊反乱事件
発音 ヨス・スンチョン ハンジェン
日本語読み: れいじゅん じゅうよんれんたいはんらんじけん
英語 Yeosu-Suncheon Rebellion
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全羅南道

麗水・順天事件(れいすい・じゅんてんじけん、ヨス・スンチョンじけん)は、1948年10月19日大韓民国全羅南道麗水郡(現在の麗水市)で起こった軍隊反乱と全羅南道麗水郡慶尚北道盈徳郡京畿道金浦郡(現在の金浦市)で起きた民間人殺害事件[1]。韓国内では「麗順14連隊反乱事件여순 14연대 반란사건)」「麗水反乱[1]」「10.19事件」とも。

概要

大韓民国建国直後の1948年10月19日、全羅南道麗水郡に駐留していた国防警備隊第14連隊は、済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧の命令を受けていたが、南朝鮮労働党を支持していた連隊将校は命令に服さず、反乱に至った。

反乱は麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市)にも及んだが、李承晩は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に事件は鎮圧された。反乱軍はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続いた。事件では反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された[1]。民間人はアメリカ軍機、韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、パルチザンにより殺害された[1]

この事件の際に日本へ密航し在日韓国・朝鮮人となるものがあった[2]

事件の経過

麗水・順天事件の現場となった麗水郡
  • 10月19日、反乱を決意した第14連隊(以下、反乱軍)2000名によって、直ちに麗水邑の麗水警察署、麗水郡庁などが占拠される。反乱軍は抵抗する警察官のほか、李承晩派の韓民党員、右翼幹部など数十名を連行し殺害。
  • 10月20日、麗水邑内をほぼ掌握した反乱軍は、順天郡に駐留する第14連隊2個中隊と合流。その日の午後には順天をほぼ手中にした。
  • 10月21日、李承晩政権は麗水・順天地域に戒厳令を敷き、鎮圧部隊10個大隊(以下、正規軍)に出動命令を出す。反乱軍は更に周辺地域にも掌握の手を広げ、光陽、谷城、宝城、求礼へと展開。22日も周辺集落へ展開し、徐々に求礼から智異山へ移動を続けた。
  • 10月23日、早朝、正規軍による順天攻撃が開始される。この時すでに反乱軍の主力は麗水及び北部山岳地帯に退いており、市内には守備についていた学生や市民が残っていただけであった。この為、ほとんど抵抗も無いまま午前11時に市内は鎮圧。正規軍は更に反乱軍を追って麗水邑に移動を開始する。
  • 10月24日、麗水へ向かう正規軍が反乱軍の待ち伏せに遭い、正規軍270名余が戦死。この時に鎮圧部隊総司令官も重傷を負う。この間に反乱軍の主力は北部の智異山へ移動。
  • 10月25日、麗水邑内へ正規軍侵攻。市内は反乱軍兵士200名余と学生、市民1000名余によって防御されていたが、正規軍の圧倒的武力により僅かな抵抗にとどまった。それでも市街戦は2日間続いたが、10月27日未明には完全に鎮圧された。同時に、市内の各所で大規模な共謀者のあぶり出しが行われ、市民数千人が反乱共謀者として殺害された。中には、全く無関係の市民も多数含まれていたといわれ、軍による大量虐殺の疑いが持たれている。
  • 非常に複雑な地形を持つ智異山に逃げ込んだ反乱軍は山中に分散して潜伏し、ゲリラ闘争へと展開。正規軍は度々山中に侵攻したが幾度となく抵抗に遭い、完全な終結を見たのは、10年後の1957年であった。
  • 市街地における鎮圧は10月27日中に落ち着きを見せたが、正規軍による共謀者あぶり出しは周辺の村落へも続いた。軍に疑われ連行された住民の多くが処刑された。この時殺害を免れた者も、後の朝鮮戦争の混乱に乗じて殺害されたという。

影響

李承晩政権はこの事件により反共路線を強め、南朝鮮労働党への徹底的な弾圧をおこなった。軍部内では左翼や光復軍出身者など李承晩に反対する勢力が排除された(後に大韓民国の大統領となる朴正煕無期懲役を宣告させたが、助命された)。また国家保安法が制定されて、学徒護国団が創立された。

事件後、済州島と同様、地域全体に国家反逆のレッテルを貼られた住民は長い沈黙を強いられることとなった。事件の全容が公にされたのは民主化後の1990年代に入ってからである。

脚注

  1. ^ a b c d “Famillies commemorate 8,000 civilian victims the Korean War at Jogye Temple Bereaved family members demand a government apology and compensation for civilian victims” (英語). ハンギョレ. (2009年12月15日). http://english.hani.co.kr/arti/english_edition/e_national/393446.html 2010年1月26日閲覧。 
  2. ^ “【その時の今日】「在日朝鮮人」北送事業が始まる”. 中央日報. (2010年8月23日). http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132367&servcode=100&sectcode=120 2010年8月27日閲覧。 

関連項目