高野達男
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高野 達男(たかの たつお、1940年(昭和15年)? - 2005年(平成17年)8月22日)は日本の社会運動家、実業家。三菱樹脂事件の原告。株式会社ヒシテック(現三菱樹脂インフラテック株式会社)代表取締役社長、常勤顧問を歴任。
人物
[編集]1940年(昭和15年)頃に宮城県で出生。
学生時代は学生運動に身を投じていたことがある。1963年(昭和38年)に東北大学法学部を卒業。
同年に三菱樹脂株式会社に入社するが、学生運動での活動歴を秘匿していたことを問題視され、経歴詐称を理由に本採用を拒否された。
→「三菱樹脂事件」も参照
採用拒否は被用者の思想・良心の自由を侵害するものとして法廷で会社と争った末、1976年(昭和51年)に東京高等裁判所で和解が成立し、現職に復帰する。以後、1999年(平成11年)まで三菱樹脂に勤務し、部長等を務めた。
1999年(平成11年)には三菱樹脂の100 %出資である株式会社ヒシテックの代表取締役専務、2000年(平成12年)には同社代表取締役社長に就任し、2003年(平成15年)から2004年(平成16年)まで同社常勤顧問となった。
三菱樹脂事件の原告として、講演活動[1]を行ったこともあるが、2005年(平成17年)8月22日、脳梗塞により宮城県川崎町の病院で死去。享年65[2]。