阪本善尚

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阪本 善尚(さかもと よしたか、1942年2月14日 - )は、日本撮影監督奈良県出身[1]

経歴

1964年日本大学藝術学部映画学科卒業後、岩波映画製作所に契約キャメラマンとして入社[1]。同年開局した東京12チャンネル(現在のテレビ東京)『ハローCQ』でキャメラマンデビュー[2]。その後、成島東一郎の弟子となり、勅使河原宏監督の『インディレース 爆走』(1967年)などの撮影助手に就く[1][2]1969年、大学時代から自主映画製作で知り合いだった大林宣彦に誘われ、コマーシャル(CM)キャメラマンとして、大林とのコンビで多くのテレビCMを手がけた[1][2]

大林とは『HOUSE ハウス』(1977年)以降、多くの劇場映画の撮影監督をコンビで務めている[2]

以降、日本映画界の第一線で活躍を続けている。

デジタル撮影技術の権威としても広く知られ、松下電器産業と共同で映画撮影用のデジタルビデオカメラである「VARICAM」を開発。「突入せよ! あさま山荘事件」でメインキャメラとして全編撮影に使用し、デジタルシネマの時代を切り拓いた。

作品

脚注

参考文献

  • 山口猛『映画撮影とは何か:キャメラマン40人の証言』平凡社、1997年9月。ISBN 9784582282351