野本栄二

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のもと えいじ

野本 栄二
職業 料理人
活動拠点 日本の旗 日本
島根県隠岐郡知夫村知夫里島
肩書き 「元祖海老そば札幌らーめん縁や」創業者
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「縁や」の店舗写真
(札幌市西区、2000年撮影)

野本 栄二(のもと えいじ、1967年(昭和42年)3月14日[要出典] - )は、日本ラーメン職人で元ラーメン店経営者。北海道札幌市「元祖海老そば札幌らーめん縁や」の創業者である。

甘エビの頭から出汁を取ったラーメン「えびそば」の元祖創作者。「エビラーメンの父」と呼ばれる。

来歴[編集]

26歳の時に独立して自営となる[1]。しかし1997年の北海道拓殖銀行の破綻などで北海道の経済状況が悪化(特に建設業)した時期にラーメン店に転業する[1]。1997年、30歳の時に札幌市西区二十四軒にラーメン店(らーめん縁や)を開業[要出典]

1999年に新横浜ラーメン博物館が開催したコンテスト「激突ラーメン登竜門」において参加344軒の中から準優勝(日本初の海老出汁ラーメン「海老そば」)となった[2][3]。「エビだし」によるラーメンを着想後、スープの開発には5年を要した[3]。「従来になかった味」と支持を受ける[3]

2001年から全国の百貨店で催される北海道物産展への出店を始める[要出典]。首都圏の東武百貨店池袋店や渋谷の「麺喰王国(ヌードルカフェ)」にも出店した[3][4]。「いろんな店が競って独自の味を生んでほしい」という理由で「海老そば」という名称を商標登録しなかったとのちに取材に対して述べている[3]

2度の脳卒中発症を機に、2015年にラーメン店を譲渡、既存ラーメン店およびラーメン店経営志願者等をサポートする講師に転身した[2]

2020年時点では中小企業庁が実施する専門家派遣事業(未来サポート、略称ミラサポ)においてラーメン専門家として登録されており[2]、日本各地にて経営指導をおこなっていた。

2022年1月より島根県隠岐郡知夫村知夫里島)に移住し、3月には特産品を活用した商品開発や店舗開設の準備を進めていると報じられた[5]。移住理由は「ミネラル豊富な水と海産物」だったという[6]。3月には島のレストハウスで臨時の「出張営業」をおこなった[5]。6月には、開発に当たったスープ付き乾麺「島根県知夫里島天然わかめラーメン」の販売が開始された[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b “北の業務用最前線(20)らーめん縁や(えにしや) 店名の由来は偶然の出会い”. 日本食糧新聞. (2005年5月30日). https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-9494-0044 2020年4月29日閲覧。 
  2. ^ a b c ラーメン専門家 野本栄二 - あさひフーズ
  3. ^ a b c d e “エビの時代がやってきた 札幌ラーメン最前線出張グルメの達人・札幌編(1)”. 日本経済新聞. (2012年7月13日). https://style.nikkei.com/article/DGXBZO43440530W2A700C1000000?channel=DF130120166105&style=1 2020年4月29日閲覧。 
  4. ^ 「オイ、叶 美香さんの割り箸をとっておけよ」――東京渋谷に麺店の集合施設がオープン - ASCIIデジタル、2003年12月22日
  5. ^ a b “「海老そば」創始者の野本さん、知夫村で初のラーメン出張営業 人口600人の村に行列”. 山陰中央新報. (2022年3月28日). https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/184924 2022年8月19日閲覧。 
  6. ^ a b “知夫里ワカメ主役のラーメン 人気のコンサルタントが開発”. 山陰中央新報. (2022年6月10日). https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/221085 2022年8月19日閲覧。 

外部リンク[編集]