藤野秀夫

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ふじの ひでお
藤野 秀夫
本名 島田 卯平 (しまだ うへい)
生年月日 (1878-05-16) 1878年5月16日
没年月日 (1956-02-11) 1956年2月11日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市京橋区出雲町(現在の東京都中央区銀座8丁目)
死没地 日本の旗 日本
職業 俳優
ジャンル 映画舞台
活動期間 1894年 - 1945年
主な作品
京屋襟店』 / 『萩寺心中』
戸田家の兄妹
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藤野 秀夫(ふじの ひでお、1878年5月16日 - 1956年2月11日[1])は、日本俳優。本名は島田 卯平(しまだ うへい)[1]

新派俳優から映画俳優となり、全盛期の日活向島撮影所では温厚で誰からも愛される正統派の二枚目俳優[1]として活躍し、日活新派の全盛期を築いた。後に松竹蒲田撮影所専属となってからは脇役・老け役で出演し、俳優陣の長老的存在[1]となった。亡くなるまでに300本近い作品に出演した[2]

来歴・人物

1878年(明治11年)5月16日東京市京橋区出雲町(現在の東京都中央区銀座8丁目)に生まれる[3][4]。少年時代から芝居狂で[4]、旧制中学中退後の1894年(明治27年)、横浜蔦座に出演中の新派の山口定雄一座に入り、初舞台を踏む[3][5]1905年(明治38年)から喜多村緑郎の門下となって各地を巡演し、やがて東京座の舞台で幹部となる[3][6]

1915年(大正4年)9月、浅草御国座で井上正夫一座による連鎖劇に出演。これが映画界入りの最初で、同年公開の『搭上の秘密』(天活製作)が初出演作となった[3][6][7]。翌1916年(大正5年)1月、秋月桂太郎の死去によって、師の喜多村の推薦で大阪・浪花座に代役として出演した後、福井茂兵衛小織桂一郎らの成美団に加わって九州地方を巡演する[3][6]

1917年(大正6年)8月、桝本清の紹介で日活向島撮影所に入社[3]。同年公開の『白萩』で主演デビューし、二枚目の立ち役として多くの映画に出演。日活向島のトップスターとして小口忠監督の『七色指環』『不如帰』、田中栄三監督の『桜の園』等の新派映画に主演し、田中監督の革新映画『生ける屍』にも出演する。1922年(大正11年)11月25日、田中監督の『京屋襟店』の完成試写後、衣笠貞之助横山運平新井淳島田嘉七ら12名の所属俳優と共に日活を退社して、国際活映に移籍するが、1923年(大正12年)5月1日には松竹蒲田撮影所に入社する[6]野村芳亭監督の『萩寺心中』、島津保次郎監督の『蕎麦屋の娘』などに主演、川田芳子水谷八重子らの相手役を演じて好評を得る。1925年(大正14年)以降は年齢のせいか主演作は少なくなるが[1]、一流監督の作品に起用され、大船撮影所移転後も脇役・老け役で活躍を続けた。1929年(昭和4年)1月8日に井上正夫、岩田祐吉栗島すみ子川田芳子柳さく子とともに大幹部に昇格する[8]

1956年(昭和31年)2月11日、死去。77歳没。

出演映画

『山男の恋』(1924年)のスチル写真。右は柳さく子
  • 搭上の秘密(1915年、天活
  • 不如帰(1915年、天活)
  • 大尉の娘(1917年、小林商会
  • 白萩(1917年、日活
  • (1918年、日活)
  • 生ける屍(1918年、日活)
  • 金色夜叉(1918年、日活) - 貫一
  • 続金色夜叉(1918年、日活)
  • 黒水晶(1918年、日活)
  • 乳姉妹(1918年、日活)
  • 乃木将軍(1918年、日活)
  • 恋の浮島(1918年、日活)
  • 復活(1919年、日活) - コルチヤキン公爵
  • 不如帰(1919年、日活)
  • 己が罪(1919年、日活)
  • 京屋襟店(1922年、日活) - 山田新七
  • 鷲津村の娘(1922年、国活
  • 老僧の恋(1923年、国活)
  • 萩寺心中(1923年、松竹キネマ
  • お父さん(1923年、松竹キネマ)
  • 蕎麦屋の娘(1924年、松竹キネマ)
  • 女殺油地獄(1924年、松竹キネマ)
  • 大尉の娘(1924年、松竹キネマ)
  • 山男の恋(1924年、松竹キネマ) - 岩吉
  • 黄金地獄(1924年、松竹キネマ)
  • 大地は微笑む(1925年、松竹キネマ)
  • 京子と倭文子(1926年、松竹キネマ) - 川辺宗太郎
  • お坊ちゃん(1926年、松竹キネマ) - 木崎義房
  • カラボタン(1926年、松竹キネマ)
  • 清水次郎長全伝 安政殺人剣の巻(1926年、松竹キネマ)
  • 真珠夫人(1927年、松竹キネマ)
  • 白虎隊(1927年、松竹キネマ) - 西郷頼母
  • 秋草燈籠(1927年、松竹キネマ) - 岡野主膳
  • お夏清十郎(1926年、松竹キネマ)
  • 陸の王者(1928年、松竹キネマ) - 父良策
  • 森の鍛冶屋(1929年、松竹キネマ) - 村長・松岡幸作
  • 彼と人生(1929年、松竹キネマ) - 遠山の父
  • 大都会 労働篇(1929年、松竹キネマ) - 父源吉
  • 新女性鑑(1929年、松竹キネマ)
  • 進軍(1930年、松竹キネマ) - 父・庄作
  • 麗人(1930年、松竹キネマ) - 黒津専三
  • 若者よなぜ泣くか(1930年、松竹キネマ) - 上杉毅一
  • 愛よ人類と共にあれ(1931年、松竹キネマ) - 工場長岡田
  • 生活線ABC(1931年、松竹キネマ)
  • 金色夜叉(1932年、松竹キネマ) - 工場長岡田
  • 蝕める春(1932年、松竹キネマ) - 父・安太郎
  • 天国に結ぶ恋(1932年、松竹キネマ) - 父弘定
  • 忠臣蔵(1932年、松竹キネマ) - 千阪兵部
  • 天一坊と伊賀亮(1933年、松竹キネマ) - 大岡越前守
  • 金環蝕(1934年、松竹キネマ) - 岩城圭之輔
  • 春琴抄 お琴と佐助(1935年、松竹キネマ) - 安左衛門
  • 雪之丞変化 第一篇(1935年、松竹キネマ) - 脇田一松斎
  • 家族会議(1936年、松竹キネマ) - 池島信助
  • 男性対女性(1936年、松竹キネマ) - 渥美恭平
  • 人妻椿(1936年、松竹キネマ) - 有村喜助
  • 大坂夏の陣(1937年、松竹キネマ) - 徳川家康
  • 朱と緑 朱の巻・緑の巻(1937年、松竹) - 裁判長
  • 人肌観音(1937年、松竹) - 牧野備前守
  • 愛染かつら(1938年、松竹) - 父・保樹
  • 噫!南郷少佐(1938年、新興キネマ) - 司令
  • 月夜鴉(1939年、松竹) - 杵屋和十郎
  • 暖流(1939年、松竹) - 志摩泰英
  • 五人の兄妹(1939年、松竹) - 北川徳太郎
  • 水戸黄門(1940年、松竹)
  • お絹と番頭(1940年、松竹)
  • 戸田家の兄妹(1941年、松竹) - 戸田進太郎
  • 歌女おぼえ書(1941年、松竹) - 平松庄輔
  • 日本の母(1942年、松竹) - 原田教授
  • 男の意気(1942年、松竹) - 山岩の主人
  • すみだ川(1942年、松竹) - 菊岡芦風
  • 幽霊大いに怒る(1942年、松竹) - 為三
  • 間諜未だ死せず(1942年、松竹)
  • をぢさん(1943年、松竹) - 父
  • 必勝歌(1945年、松竹) - 田中中尉の老父
  • 乞食大将(1952年、大映) - 徳川家康

脚注

  1. ^ a b c d e 藤野秀夫、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2015年9月21日閲覧
  2. ^ 藤野秀夫日本映画データベース、2015年9月21日閲覧
  3. ^ a b c d e f 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年、p.505
  4. ^ a b 泉沢悟朗『裸にした映画女優』、日本映画研究会、1925年、p.55
  5. ^ 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』、映画世界社、1934年、p.108
  6. ^ a b c d 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版 第10巻』、映画世界社、1929年p.112
  7. ^ 『日本映画年鑑 大正13・4年度』、アサヒグラフ編輯局(編)、東京朝日新聞発行所、1925年、p.157
  8. ^ 『松竹七十年史』、松竹、1964年、p.263

外部リンク