薔薇族
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『薔薇族』(ばらぞく)とは、日本初の男性同性愛者向け雑誌(ゲイ雑誌)である。かねてから社会的弱者や様々な病気等のドキュメント取材を行い出版してきた、伊藤文學率いる第二書房より1971年7月(9月号)から創刊された。なお、編集長の伊藤自身は異性愛者である。誌名は「男同士の愛の場所は薔薇の木の下だった」 というギリシア神話が元になっている。
概要
ヌードグラビアばかりではなく、同性愛や、エイズなどの性病について真面目に取り組んだ文面や、おすぎを含むサブカルチャー系のコラム・官能小説を中心に掲載した。さらに、内藤ルネのイラスト表紙、竹本小太郎や山川純一の漫画、文通欄もあり充実した内容であった。特に文通欄は、出会いの手段が少なかった男性同性愛者に好評だった。また一時期喫茶店を開業し、ハッテン場とは異なる同性愛者同士の出会いの場を設けようとしたこともあった。
初期の編集に関しては、『薔薇族』を創刊すると発表した際に伊藤にコンタクトし創刊に尽力した藤田竜と間宮浩の影響も大きかった。伊藤が同性愛者ではないのに対し、この2人はスポーツマンタイプの男性が好きな同性愛者で、ゲイの中でもマジョリティとされるタイプだったため、雑誌の方向性をポピュラーな方向に持って行くことができたという。[1] 特に、内藤ルネのパートナーでもあり、中原淳一のひまわり社にも勤務していた藤田の力は大きく、伊藤自身も後年「藤田竜君が本当の編集長だった」と語っている。[2] また、編集方針においての大きな特色は常設の編集部の部屋を置かず、必要なときだけ編集員・ライターが集まる形で編集を行っていたことである。これについて伊藤は「いつ起きていつ寝るのか解らない人たちばかりだったから」とも語っている。
しかしインターネットの普及で文通欄の衰退や、特定の体型にターゲットを絞るといった新しいコンセプトで創刊してきた新興のゲイ雑誌に販売部数を抜かれた事もあって経営不振に陥り、2004年9月の11月号を持って33年の歴史に一度幕を閉じた[3]。最終号ではゲイ雑誌史上初の企業広告としてコンドームを発売するオカモトの広告が掲載され、ゲイ雑誌での企業広告掲載という伊藤の悲願は達成された。
2004年11月から2005年2月にかけ、ウェブサイト「裏探偵ファイル」にて「ネットで薔薇族」コーナーが設けられ、伊藤のコラムが掲載された。
その後、発行元を英和出版系の出版社メディアソフトに変え、編集長は伊藤が続投、新しいメンバーを加え従来の「ゲイからゲイへ」の発信ではなく「ゲイから世間一般へ」というコンセプトを掲げ、2005年4月に復刊した[4]。唐沢俊一や一文字カルトといったライターのコラム掲載や、11月号からは内田春菊といったメジャー漫画家の作品等も掲載し、復刊記念号では美輪明宏へのインタビューもあり、サブカルチャー色の強い方向の誌面作りを行っていたが、2005年11月に発売された2006年1月号をもって再び休刊となってしまった。
2006年7月にナビゲイターから再復刊されるが、会社の消滅により1号発行されただけで終わってしまう。
2007年4月には第二書房自らにより3度目の復刊が果たされる。発行ペースは季刊。伊藤の意向により、通巻400号となる第9号が最終号となる予定であった。[5]
しかし、2011年7月、伊藤が編集長を勇退し、季刊『薔薇族』の副編集長であった竜超が2代目編集長に就任し通巻400号を刊行。『薔薇族』を継続することが決定した。[6]
関連項目
脚注
- ^ 「『薔薇族』編集長」25-28頁
- ^ 藤田竜君が本当の編集長だった!(『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室「祭」、2011年11月5日)
- ^ 33年間の歴史に幕、「薔薇族」が廃刊
- ^ 「薔薇族」が4月に復刊、初回発行部数は3万部
- ^ なんとか頂上(通巻400号)が見えてきた!(『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室「祭」、2008年12月11日)
- ^ 竜超2代目『薔薇族』編集長の創刊号が!!(『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室「祭」、2011年7月19日)
外部リンク
- 月刊薔薇族ホームページ
- 月刊 『薔薇族』 編集長伊藤文學の談話室 「祭」
- 「伊藤文学・薔薇族創刊の頃を語る」 (Youtube動画)
- 竜超の超竜 - 季刊『薔薇族』副編集長のブログ