菊地英昭

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菊地英昭
生誕 (1964-12-07) 1964年12月7日(59歳)
出身地 日本の旗 日本, 東京都日野市
学歴 日本大学文理学部
ジャンル ロック
ポップス
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1986年 -
共同作業者 THE YELLOW MONKEY
公式サイト BAJ INC.

菊地 英昭(きくち ひであき、1964年12月7日 - )は、日本ギタリスト東京都日野市出身、八王子市育ち。血液型O型

来歴

日本大学文理学部応用地学科卒業。1986年12月KILLER MAYギタリストとしてメジャーデビュー。 同バンドのドラマー菊地英二は実のである。 1989年3月に解散。

1992年12月、弟の英二に誘われ、THE YELLOW MONKEYのギタリストとして二度目のメジャーデビュー。バンドネームはEMMA(エマ)。 2004年7月に解散。

その後、吉井和哉吉川晃司などのレコーディングやライブサポートを行い、2008年10月にインディーズ・レーベル“Brainchild’s Music(ブレインチャイルズミュージック)”を設立。

YOSHII LOVINSONの2ndアルバム『WHITE ROOM』にギタリストとして参加した。そのアルバムではEMMARSONに(『WHITE ROOM』のクレジットに記載)なっていた。映画『太陽にほえろ!』のテーマソングのギターも担当している。

所属事務所はBAJ INC.(旧BOWINMAN ARTISTS)。

エピソード

  • エアロスミスのギタリストであるジョー・ペリーを敬愛しており、彼のスタイルはジョーの影響を強く受けている。
  • THE YELLOW MONKEY時代にはアルバム曲で作曲を手がけており、「空の青と本当の気持ち」、「TVのシンガー」、「セックスレスデス」は彼が作曲したものである。「This ls For You」、「創生児」、「クズ社会の赤いバラ」など、吉井と共作したものも数曲存在する。
  • プロレスラーである小林健太(当時プロレスリング・ノア所属)が本名で活動していた際、小橋健太を通じて「KENTAという名前はどうだ?」と提案していた。その後、小林は2014年にWWEへ移籍するまで「KENTA」のリングネームで活動していた。

書籍

  • 菊地英昭 表裏一体 LET THE MUSIC DO THE TALKING II(2013年)
    • 『ROCK JET』誌2001年冬号から2012年冬号までの連載45回分、リアルタイム・インタビューからのセレクトに、新規取材(「おわりに」にかえて)を加えて構成されている。

関連項目

外部リンク