祖先崇拝

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日本や中国では祖先の墓に線香を供える。

祖霊信仰(それいしんこう)もしくは祖先崇拝(そせんすうはい)とは、死亡した祖先が、生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰に基づく宗教体系である。中国日本沖縄)、朝鮮などに見られる。中国では祖先崇拝と呼ばれ、清明節などの習慣がある。日本では、学問的には祖先崇拝の名称が用いられているほか、祖霊信仰という名称も用いられている。先進国では、過去に存在しても、一神教などに置き換わられて、超越されている事が、一般的とされる[1][2]

概要

人間がこの世に生まれるのに親、祖父母、曾祖父母などの存在が必要ではあるが、これらの人たちが、世界中の全ての社会において「先祖」として社会的に特別な意味づけをされている訳ではない。たとえ生物学的・遺伝的には辿ることができたとしても社会的には特別な役割や機能は果たしていない、としている社会は数多くある。

出自集団との関連性

「先祖」を社会的に意味づけする社会においても、生物学的・遺伝的に見て繋がりのある先行者が全て「先祖」と見なされている訳では必ずしもない。特定のタイプ、カテゴリーの人間を「先祖」としている。 祖先崇拝を行う社会において、「先祖」とされる人は、その社会の親族構造と関連性がある。すなわち父系社会においては、父方の生物学的先祖であった人が「先祖」とされるなど、崇拝する側の親族構造・社会制度、「先祖」とされる対象のヒエラルキー・システムに、相関性・関係性があるのである。[3][4][5]

日本の祖先崇拝

祖先の霊を祀り、崇拝する。日本では先祖のことを「ご先祖様」「ホトケ様」と言い、一般家庭で位牌仏壇の中央にまつる慣習や、お盆彼岸にこれらの霊をまつる行事が祖霊信仰に属する。なお、以下は主に日本における祖霊信仰について解説する。沖縄奄美(旧琉球領)における祖霊信仰については琉球の信仰の項を参照のこと。

概要

死者が出ると、初七日・四十九日と法要を行い供養し(詳しくは中陰を参照)、さらに1年後に一周忌、2年後に三回忌、七回忌と法要を行う。その後、三十三回忌(地域によって差がある。四十九回忌、五十回忌のところもある)を迎えると、「弔い上げ」といって、このような法要を打ち切る。この「弔い上げ」は、生木の葉がついた塔婆を建てたり、位牌を家から寺に納めたり、川に流したりと、地域によって異なる。この「弔い上げ」を終えると、死者の供養は仏教的要素を離れる。それまで死者その人の霊として個性を持っていた霊は、「先祖の霊」という単一の存在に合一される。これが祖霊である。祖霊は、清められた先祖の霊として、家の屋敷内や近くの山などに祀られ、その家を守護し、繁栄をもたらす神として敬われるのである。前述の通り、先祖の霊を「ホトケ様」「カミ様」「ご先祖様」と呼ぶことにはこのような意味がある。

起源

祖霊信仰は、前述のように、盆や彼岸の行事などの形で日本全国に普通に見られる信仰である。しかし、祖霊信仰がいつ頃から始まったかを明確に知ることは難しい。祖霊信仰のような祖先崇拝は日本を除いては、中国太平洋地域の一部の限られた場所にしか見ることしかできない。そこで、祖先から「家」に関して考えてみることができれば、祖霊信仰の発生時期について多少の理解の手助けにはなる。原始段階においてのそのような信仰があったかは不明であるが、日本で稲作が伝播した農耕時代以後、農村社会の中で家という集団は確立されていった。つまり、水田耕作のための共同作業における労働力や財産の共有、子孫を残すという意義に関して家という存在は重要になってきたのである。そのため、時代が下り、ヤマト王権になると、氏姓制度によって、氏という同じ先祖を持つ集団が勢力を持つようになる。こうした農耕時代からヤマト王権にかけての家もしくはという存在が重要視されるようになった段階になって、共通の祖先の霊を崇拝するという信仰が発生したという考え方もある(このあたりには氏神信仰との関連も指摘されている)、というのが今の民俗学歴史学上での見解であるが、あくまでそれは推測の域を出ないので、確証ある考え方という訳ではない。

形態

夏の7月15日を中心に行われるお盆の行事は、祖先の霊をまつる行事を言う。古くからインドで7月15日を中心に死者の苦悩を払い、死者の霊を慰め供養する盂蘭盆会 (うらぼんえ) の略語であるとされたが、実際に日本におけるお盆の行事は、それまでの日本の祖霊信仰と習合して発生した行事だと考えられている。また、春と夏に行われる彼岸という行事も、元々浄土思想に由来し、西方浄土を希求する中国の念仏行事であったものが、日本仏教において、先祖崇拝の行事になった。このような経緯からも日本における祖霊信仰という土壌を考えることができる。また、先祖の霊を祖霊社(地域によっては総霊社)という社に祀る場合もある。一般の家に神徒壇、神棚や祭壇を設けて、先祖を祀っている場合も多く見られる。

民俗の祖霊信仰

祖霊信仰に関連する事項として、民俗の両墓制について触れる。両墓制とは、死者が出た時に二つの墓所を作ることである。かつては遺体を埋葬する墓としての、埋め墓(捨て墓)と呼ばれる墓と、自分の家の近くや寺院内に建てる参り墓、詣で墓を作ることがあった。遺体を直接埋葬する埋め墓、捨て墓は、人が近づかない山奥や野末に作られ、埋められた遺体や石塔は時が経つにつれ荒れ果て不明になる。この埋め墓、捨て墓は、そこ自体を死者供養のための墓所としている訳ではないので、永く保存する事を目的としていない。一方の参り墓、詣で墓は家の近くや田畑、寺院など参詣に便利な場所に建てられることが多い。こちらの墓こそが、永く死者供養をすることを目的とした墓所になる。こうして、先祖の霊を居住地の近くに配置し、供養し、家の安泰を願うことも、祖霊信仰のうちの一つと言っていい。また、近世に至ると、直接遺体を葬った場所に墓所を建てることも多くなった。

屋敷神

祖霊信仰に関連する事項では、やはり墓所について屋敷墓の存在が挙げられる。屋敷墓は、自分の屋敷の中に墓を設けることである。史料や遺構で確認されるのは中世期である。この時代の墓制や葬送習慣についての詳細は、地域や身分階級によって異なるから、一概には言えない面もあるが、屋敷の中に死者を葬る特殊な墓制があるため、屋敷神としての先祖を家の中に祀った祖霊信仰の一種と考えることができる。

韓国の祖霊信仰

家族制度と絡み合い、韓国では祖霊信仰が根強い。日本の法事に当たる祭祀(チェサ)がソルラル (旧正月) 、秋夕 (チュソッ) 、曾祖父、祖父、父の命日に家族が集まって行われる。また、祭祀は普通長男が行う。 ただし信仰の対象になるのは、自分の直接の祖先のみで、傍系の祖先は信仰の対象にならない。従って、子孫を残さないまま死去したら、無縁仏として扱われる。

関連項目

参考文献

  • 赤田光男 『祖霊信仰』(民衆宗教史叢書) 雄山閣出版 1991
  • 福田アジオ他 『日本民族大辞典 上』 吉川弘文館 1999
  • 日本民俗学協会 『日本社会民俗辞典 第2巻』 日本図書センター 2004
  • 民俗学研究所・日本民俗学会 『民俗学辞典』 東京堂出版 1966
  • Lafcadio Hearn(小泉八雲), Japan:An attempt at Interpretation, 1904

脚注

  1. ^ Encyclopedia Britannica,15th edition,1994,vol.26,page545,Systems of Religious and Spiritual Belief
  2. ^ ジョン・ダワー、容赦なき戦争、2001年、平凡社ライブラリー、259ページ
  3. ^ マイヤー・フォーテス(Meyer Fortes)によるガーナのタレンシの社会における祖先崇拝の分析
  4. ^ フュステル・ド・クーランジュによる古代ローマの親族制度および宗教の研究
  5. ^ Maurice Freedmanによる中国の親族制度などの研究