石狩炭田

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北炭幌内炭鉱幌内立坑櫓
三菱美唄炭鉱立坑巻き揚げ櫓(炭鉱メモリアル森林公園)

石狩炭田(いしかりたんでん)とは、北海道夕張空知両山地にある炭田。日本最大の炭田であり、地質構造の違いから北部を空知炭田、南部を夕張炭田という。

代表的な炭鉱

歴史

  • 古くから石炭の産地として知られ、明治時代の初期には早くもアメリカからの技術導入により鉄道が敷設され(1880年 手宮線 - 1882年 幌内線など)大規模な炭田の開発が進んだ。こうした流れは北海道開拓はもとより日本を近代国家に押し上げる原動力の一つとなった。石炭に限らずメタンガスの埋蔵量も多い。
  • 第二次世界大戦後も大量の石炭を全国各地の工業地帯へ供給し続けたが、エネルギー革命による石油燃料への転換、コスト増などを理由により続々と閉山。現在は、小規模な露天掘り鉱山[1]が残るのみとなっている。
  • 近年は、輸入に依存する石炭や石油やLNGが発電コストを圧迫し、これを代替する原子力発電も事故の危険があり、さらに自然エネルギーも代替出来るほどまで普及していないことから、炭層メタンと二酸化炭素を利用した発電の研究もおこなわれている。

脚注

  1. ^ 砂子組による露天掘り事業

関連項目

炭素に富むC型小惑星であることからクレーターに世界の炭鉱地帯の名が付けられており、日本から唯一"Ishikari"が命名されている。

関連文献

外部リンク