田代ともや

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田代 ともや(たしろ ともや)は、日本フォークシンガー。本名は三代朋宏。デビュー当時は「田代友也」と表記。

デビュー曲はEP「だからこの朝街を出る/夢を見ました」。LPでは「今、この時から」(なぎら健壱プロデュース)でデビュー。収録されている、森永ヒ素ミルク中毒事件による障害者が石段を登る訓練をする「石段の戦い」(放送自粛状態)が話題を呼んだ。セカンドLPは1980年10月に自主制作の「君はもう帰らない」。アレンジは渡辺勝で、ライナーノートを直木賞作家の古川薫、弟子の福田康英(ライナーノートでは深田康史名義)が書いている。バックバンドは、テキーラジャム、渡辺勝バンドが担当。

「今、この時から」は発売元・ローヤルレコード株式会社 ON-2201 JASRAC録認第R-50369

「君はもう帰らない」のディレクターは大参秀一(キティレコード、中山ラビマネージャー)TOMOYA RECORD T-8084

山口県下関市から上京、コンテスト荒らしの異名をとり、なぎら健壱とコンサートやラジオに出演するが、交通事故により山口県下関市に帰郷、ライブハウスTOMOを経営。後に埼玉県に転居。ライブハウスやビデオ編集、イベント企画の会社を経営しつつ、フォーク歌手の活動も継続。

「アジアの子どもたちに美味しいものをごちそうする会[1]」を発起して、代表者となる。この会は「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうする会」が発展したもの。

2016年8月2日、大腸がんのため死去。

関連ミュージシャン

主な曲

シングル

  • だからこの朝街を出る(オニオン・レコード、ローヤル・レコード)
    なぎら健壱プロデュースによる、LP「今この時から」からのシングルカット。
    「だからこの朝街を出る」の作者はなぎら健壱。名前は田代友也で表記。
  • HeyLady(サウンド・ワールド、ポリドール・レコード)
    B面は「あて名を書かないラブレター」。名前は田代ともやで表記。演奏は田代ともや&TOMO TOMO CLUB。

アルバム

  • 今この時から(オニオン・レコード、ローヤル・レコード) 田代友也
  • 君はもう帰らない(サウス・レコード) 田代友也
  • ASAKUSA DOWN TOWN FESTIVAL 1982.3.31~4.11(ライブ・オムニバス盤)(ツーパーワンレコード) 表記は、田代ともや TOMO TOMO CLUBが演奏
    なぎら健壱高田渡の漫才の様な会話も聴ける。「渡辺勝バンド」、友部正人中川五郎の演奏も収録。
    明石家さんまがネタに使用しているなぎら健壱による替え歌「ギャラより高い交通費」を高田渡が歌っている。
  • Thousands of smiles vol.1(cafe recoreds)
    「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうする会」自主制作CDの第1作目。オムニバス。
  • Thousands of smiles vol.2(cafe recoreds)
    「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうする会」自主制作CDの第2作目。オムニバス。
  • 笑顔がいっぱい Special Edition(トランジスタレコード)
    サブタイトル「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうするために・・・」通常販売。オムニバス。
    斉藤哲夫シバ茶木みやこさかうえけんいち瀬戸口修らが参加
  • Tomoya Tashiro BEST 「過去と未来との遭遇」(トランジスタレコード)通常販売のベスト盤。
    既存の音源と新規録音(アレンジは渡辺勝)の「レインコート」「町には雨が」などを収録。
    新規録音のコーラスに瀬戸口修阿部敏彦ユミカ須賀俊幸福田康英らが参加。
    新規録音の打楽器を三輪和則永谷晃子、ドブロを阿部敏彦、バンジョーを福田康英が担当。
    2006年1月に永眠したレコーディングエンジニア川崎克己氏の追悼の意味を持つCD。
    売り上げの一部が「アフガンの子どもたちに美味しいものをごちそうする会」への募金となる。

脚注

  1. ^ アジアの子どもたちに美味しいものをごちそうする会