田中大輝
國學院大學時代 (2014年5月27日、明治神宮野球場) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市 |
生年月日 | 1992年8月7日(31歳) |
身長 体重 |
182 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2014年 ドラフト4位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田中 大輝(たなか だいき、1992年8月17日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
小学校4年生の時、家の隣の先輩に勧められ川尻ドリームスで野球を始める[1]。城南中学では軟式野球部に所属、卒業後は熊本市立必由館高等学校へ進学。
必由館高では1年春からベンチ入りし、2年春から背番号1。3年春の県大会では全6試合を完投し準優勝に導いた。1学年先輩に阪神タイガースの岩貞祐太がいる[2]。
卒業後は國學院大學へ進学。3年まで故障等でほとんど出場機会がなかったが、2014年の4年春の東都リーグ戦で4勝(1敗)を挙げ、7月に第27回ハーレムベースボールウィークの大学代表として選ばれたが大会で左肩を痛め、その後はドラフト会議に指名されるまで登板しなかった[3]。
2014年10月25日のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツからの4巡目指名を受けて入団[4]。当時の一軍監督であった原辰徳は、「肩の故障がなければ、2位ぐらいで指名されていたんじゃないか」と評価していた。その一方で、田中自身は、「4位まで進んだ時に(指名は)もうないな」と内心諦めていたという。また、指名後も、左肩の怪我を考慮しながらノースロー調整を続けていた[5]。
プロ入り後
2015年には、左肩のリハビリに専念したため、一・二軍とも公式戦での登板機会がなかった。10月29日には、球団から自由契約を通告された[6]。11月22日に育成選手として再契約。12月8日に左肩関節鏡視下手術を受けたことが発表された[7]。
2017年10月31日、自由契約公示された[8]。11月20日、再度育成選手契約を結んだことが発表された[9]が、2018年10月26日付をもって来季の契約を結ばないことを通告され[10]、10月31日、自由契約公示された[11]。
2019年は打撃投手として巨人に残っていたが、同年限りで退団。退団後は野球とは関係のない職へ転職している[12]。
選手としての特徴・人物
左のスリークオーターから投げる球は最速144キロ、球種はキレのあるスライダーとツーシームで、コントロールの良さとスタミナが武器。
目標の投手は杉内俊哉。
4人家族だが、父親と母親が歯科技工士で、姉が歯科衛生士という家系で、田中本人も父親と同じ職種を継ぐ話があったが断っている[13]。
詳細情報
年度別投手成績
一軍公式戦出場なし
登場曲
背番号
- 69 (2015年)
- 024 (2016年 - 2018年)
- 206 (2019年)※打撃投手
脚注
- ^ 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年3月30日閲覧)
- ^ 阪神・岩貞、因縁の後輩に宣戦布告!「負けない自信ある」(2015年1月04日)
- ^ ルーキーたちの軌跡 : 巨人4位・田中大輝(國學院大)「忘れられない反省の“1球”」(2014年12月05日)
- ^ “2014年ドラフト会議 全指名選手”. 読売ジャイアンツ (2014年10月23日). 2014年10月23日閲覧。
- ^ ドラ4田中「目標は杉内さん」馬肉パワーでプロ1勝目指す!(2015年3月30日)
- ^ “自由契約の通知について”. 読売ジャイアンツ (2015年10月29日). 2015年10月29日閲覧。
- ^ 巨人田中大が左肩関節鏡視下手術、来季は育成契約 日刊スポーツ 2015年12月8日
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2017年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2017年10月31日). 2017年11月1日閲覧。
- ^ http://www.giants.jp/G/gnews/news_3912266.html
- ^ Giants(読売巨人軍), Yomiuri. “来季の契約について”. www.giants.jp. 2018年10月26日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2018年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2018年10月31日). 2018年11月4日閲覧。
- ^ 田中大輝 [@11Tndi] (2019年12月14日). "2019年12月14日の投稿". X(旧Twitter)より2020年10月4日閲覧。
- ^ 巨人ドラ4田中 野球人も「歯が命」(2014年10月30日)