独立自主管理労働組合「連帯」

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独立自主管理労働組合「連帯」(どくりつじしゅかんりろうどうくみあい「れんたい」、通称:連帯、Niezależny Samorządny Związek Zawodowy "Solidarność"、略称:NSZZ "Solidarność")は、ポーランドにおいて労働組合から公然たる反共運動へと発展した組織である。1980年社会主義国として初の労働者による自主的かつ全国規模の労働組合として結成。

概要

「連帯」は、ポーランドにおける民主化運動において、主導的な役割を担った。

同労働組合は、自由な組合活動が認められていない中で成立したもので、成立当時、ポーランドの労働組合といえば政府主導の「労働組合中央評議会」であった。ポーランド政府によって一度非合法化されたものの、非合法化された後も活動を続けた。その後、ミハイル・ゴルバチョフによってペレストロイカが始まると、その流れの中でポーランド政府は「連帯」等の勢力との妥協を模索し、「連帯」運動は合法的地位を獲得する。

円卓会議が開催されると、政権維持を模索するポーランド統一労働者党に対し、「連帯」は民主化を求める民衆勢力を背景として強気の姿勢で交渉に臨み、最終的には、民主的手続きによる政権奪取に成功した。

なお、ポーランド出身のローマ教皇であるヨハネ・パウロ2世は、ポーランド政府による「連帯」の非合法化に対して度々憂慮する発言を行っていた上に、「連帯」を事実上支持する発言を行っていた。さらにアメリカCIAが「連帯」への資金調達を行う際の抜け道として、ヨハネ・パウロ2世の黙認のもとで、ローマ教皇庁の資金管理、運営組織である宗教事業協会が利用されたという報道がなされたこともある。

略歴

詳細についてはポーランド民主化運動#略歴を参照の事。

歴代議長

「連帯」選挙行動

「連帯」選挙行動「れんたい」せんきょこうどうAkcja Wyborcza "Solidarność"、略称:"AWS")は、ポーランドの政党連合

概要

1996年6月8日ポーランド統一労働者党の流れを汲む政党連合である民主左翼連合[1]に対抗するためにキリスト教系の政党や団体、非キリスト教系の政党や団体、各種の社会運動組織など40近くの組織が結集して、結成された。政治的には穏健保守で、キリスト教の伝統的な価値観を重視し、経済的には市場経済を基盤としながら国家の役割も重視する立場を採り、労使の継続的対話、農村の開発・現代化、欧州連合への復帰を主張していた。1997年の議会選挙で、セイム(下院)において得票率33.8%で201議席を獲得、セナト(上院)でも過半数の51議席を獲得して両院で第一党になり、イェジ・ブゼクを首班として自由連合(UW)と連立政権を組んだ。

しかし、2000年10月大統領選挙で、代表のクシャクレフスキ(Marian Krzaklewski)が敗北、財政危機や「4大改革(地方制度年金医療教育)を巡る混乱から、AWSは党支持率を大きく減らし、2001年に入ると市民プラットフォーム(PO)や法と正義(PiS)、そして選択肢-社会運動(Alternatywa-RS)が次々と離脱した。2001年議会選挙ではAWSに留まっていた社会運動やカトリック国民連盟、ポーランドキリスト教民主主義連盟を軸として連帯選挙行動右派(AWSP)を結成して選挙に臨んだが、得票率は5.6%に留まり、政党連合が議席を獲得するために最低限必要な8%の議席阻止条項を突破できず全議席を失った。そのAWSは、主要勢力が脱退したため、自然消滅した。

脚注

  1. ^ 1999年4月に単一の政党になった。

関連項目

外部リンク

参考文献

  • "Solidarnosc: Acid Test for Trotskyists" (Pamphlet published by the Bolshevik Tendency in 1988)

http://www.bolshevik.org/Pamphlets/Solidarnosc/solidarnosc.html

  • 『世界革命過程と日本共産党 ポーランド反革命の挫折と日本革命の途』著者・発行者 後藤和夫/発売 ウニタ書舗

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