浅草神社

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浅草神社
浅草神社
所在地 東京都台東区浅草二丁目3番1号
位置 北緯35度42分54.5秒 東経139度47分50.8秒 / 北緯35.715139度 東経139.797444度 / 35.715139; 139.797444座標: 北緯35度42分54.5秒 東経139度47分50.8秒 / 北緯35.715139度 東経139.797444度 / 35.715139; 139.797444
主祭神 土師真中知命
檜前浜成命
檜前武成命
社格 郷社
例祭 5月17日(三社祭)
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浅草神社(あさくさじんじゃ)は、東京都台東区浅草浅草寺本堂右隣にある神社である。通称に三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社様(さんじゃ さま)。5月17日の例大祭は三社祭という。

祭神

浅草神社の草創に関わった土師真中知(はじのあたいなかとも)[1]、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮徳川家康)・大国主命を合祀する。檜前浜成・武成の他のもう一柱の主祭神については諸説あったが、現在では土師真中知であるとしている。この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。

歴史

社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。

実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。ご神体として一般の人間(漁師と僧侶)を祀っている為、神社の格としては江戸一低いといわれている。

明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。

社殿

社殿は浅草寺の本堂の東側にある。現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定された。

氏子地域

台東区浅草
台東区花川戸
台東区千束一丁目、二丁目1~32、三丁目2~18・20・21、四丁目1~11
台東区東浅草二丁目6~9・27・28
台東区日本堤一丁目1・22~24・40、二丁目1・28~29
台東区清川二丁目4~6・14~18・22・28~34・37~39
台東区西浅草一丁目、三丁目
台東区雷門
台東区駒形一丁目6~12、二丁目1・6・7
台東区寿一丁目1~9・15~19、二丁目1~4・9~10、三丁目15~21、四丁目全域

補注

•神社では特にとりあげていないが、最も古い招き猫丸〆猫(まるしめのねこ)に関する古い記録が複数残っており、招き猫発祥の地としては最も確かである。(武江年表 嘉永5年の項、藤岡屋日記 嘉永5年の項)

脚注

  1. ^ デジタル大辞泉:浅草寺

外部リンク