横井くにえ

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よこい くにえ

横井 くにえ
生誕 (1948-09-25) 1948年9月25日
日本の旗 日本京都府京都市
死没 (2006-08-29) 2006年8月29日(57歳没)
日本の旗 日本・京都府
出身校 同志社大学
職業 ラジオパーソナリティ
ラジオディレクター
活動期間 1960年代 - 2006年7月
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横井 くにえ(よこい くにえ、1948年[1][2]9月25日[3] - 2006年8月29日[4])は、近畿地方を拠点に活動していた日本ラジオパーソナリティ、ラジオディレクター

来歴[編集]

京都府京都市出身[3]

同志社大学在学中の1960年代からABCラジオの番組に出演していた[4]。学内では、放送サークルの同志社学生放送局に所属。後に同業者となる土谷多恵子は大学の2年後輩で、学生放送局で出会って以来38年に及ぶ交流があった[4]

卒業後にも引き続きラジオパーソナリティとして活動。1970年代にはAMラジオ深夜放送を中心に活動した。その後は一度日本を離れ、10年余りにわたってアメリカ合衆国で生活していた[4]

ラジオリスナーたちからは「ハニーちゃん」の愛称で呼ばれて親しまれていた[1][5]。ミュージシャンの大江千里も熱烈なリスナーの1人で、FM802の立ち上げに際し同局のラジオディレクターをしていた[2][5]横井と1989年頃に出会って以来、長らく交流を持つに至っている[1]

晩年には、がんを患いながらもKBS京都ラジオ日曜ワイド われら夢の途中』への出演を続けていたが、2006年7月末の放送を最後に出演を休止[4]。それから1か月後の8月29日に、京都府内の病院で息を引き取る。57歳没[1][2]

出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 大江千里 (2) 友の“最後の言葉”に背中押され単身渡米”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン (2018年11月4日). 2020年9月18日閲覧。
  2. ^ a b c d ラジオの世界 (2) 深夜放送に夢中だった「団塊世代」に再び興奮を「上柴とおるさん」”. スポニチOSAKA. スポーツニッポン (2007年1月16日). 2007年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月18日閲覧。
  3. ^ a b 横井 くにえ”. DJ Profile. α-STATION. 2005年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 土谷多恵子 (2006年9月6日). “惜別!”. 土谷多恵子のRADIO DAYS. 2020年9月18日閲覧。
  5. ^ a b ラジオの世界 (1) 最後まで“あの時代”の歌を愛し続けた「横井くにえさん」”. スポニチOSAKA. スポーツニッポン (2007年1月9日). 2007年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月18日閲覧。
  6. ^ 【確認用】ヤンタン歴代出演者2017_1222” (PDF). 毎日放送. 2020年9月18日閲覧。ダウンロード元ページ:https://www.mbs1179.com/youngtown50/
  7. ^ おうみネット 3号” (PDF). 公益財団法人 淡海文化振興財団. p. 3 (1998年). 2020年9月18日閲覧。ダウンロード元ページ:https://ohmi-net.com/ohminet1-34/