杉浦生哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉浦 生哲
Ikunori Sugiura
個人情報
本名 杉浦 生哲
すぎうら いくのり
愛称 いくちゃん
生年月日 (1968-08-19) 1968年8月19日(55歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 173cm
体重 74kg
チーム情報
所属 日本競輪選手会静岡支部
期別 64期
分野 競輪
役割 選手
特徴 追込
アマ所属チーム
1982-1984
1985-1987
2011-
Mongoose
興誠高等学校
Ikuser
プロ所属チーム
1989-2011
日本競輪選手会静岡支部
グランツール最高成績
最終更新日
2011年12月21日

杉浦 生哲(すぎうら いくのり、1968年8月19日 - )は、静岡県浜松市出身の競輪選手である。血液型A型

人物[編集]

静岡県浜松市出身。静岡県伊豆の国市修善寺日本競輪学校第64期卒業生。興誠高等学校(現浜松学院高等学校)を経て日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)卒業後、1989年(平成元年)に日本競輪選手会静岡支部に所属し競輪選手となる。

株式会社 杉浦織物2代目。

略歴[編集]

1980年BMXに出会い、翌年から本格的にBMXを始める。

NBA(National BMX Association) 登録

Mongoose 所属


1982年山梨県八ヶ岳パンテスコープで開催の山梨放送主催、第5回NBAジャパンBMX全国大会で優勝。

同年、ショップの勧めで静岡県自転車競技連盟主催、静岡競輪場開催の記録会に参加。


初めての競輪場で借り物のトラックレーサーヘルメット、レーサーシューズで1000mタイム測定。
記録は1分15秒台、当時の日本競輪学校合格基準タイムが1分11秒台。


その後、競輪選手の道へと進む。

現在[編集]

家業は創業40年、先染め織物の織元 株式会社杉浦織物。商品は、絹織物毛織物綿織物麻織物 など。

現役時代から、選手と家業の二足の草鞋を履く。先代の死去を機に、2011年現役引退。

現在は、株式会社 杉浦商会に商号変更し株式会社 杉浦商会の代表取締役

Pro Shop Ikuser(自転車販売)のオーナー、オートクオリティー浜松(自動車販売)の取締役を務める。

エピソード[編集]

日本競輪学校入校前に、芸能プロダクション東京宝映(現宝映テレビプロダクション)の全国タレントオーディションに応募し1次、2次、最終審査を経て合格。最終審査では、松平健赤座美代子ダンプ松本の前で歌、踊り、パントマイムを披露した。その後、プロダクションの人間から芸能界の厳しさを教えられ、競輪界へ進む。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]