明武谷力伸

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明武谷 力伸(みょうぶだに りきのぶ、本名・明歩谷 清(きよし)、1937年4月29日 - )は大相撲の元宮城野部屋力士である。北海道阿寒郡阿寒町(現・釧路市)出身。身長189cm、体重113kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ。最高位は東関脇

来歴

1954年3月場所、高島部屋より初土俵。その後、元横綱吉葉山の現役中に設立した「吉葉山道場」(のち宮城野部屋)へ移籍。1957年11月場所、新十両となり1959年7月場所、新入幕するも1場所で十両陥落。3度目の入幕で幕内に定着し、長身を利しての吊りで人気を博する。1961年9月場所では場所後横綱に同時昇進する大鵬柏戸と巴戦で優勝決定戦を行い敢闘賞を手にする活躍を見せた。1964年から1967年にかけては大鵬によく対抗し(通算5勝20敗、最高位が関脇以下の力士で5回勝っているのは明武谷と房錦だけ)三役三賞の常連として大関目前と言われたが、柏戸に決定戦での2敗を含め19戦全敗を記録したり大事な場所で勇み足を続け失速したこともあるなど結局夢は果たせなかった。彫りの深い顔と8頭身の体つきは、女性(とりわけ外国人女性)に人気があった。

左四つからの吊り技が得意ということで知られ、その鍛え抜かれた肉体美から「金剛力士像」のモデルになった事もある。「人間起重機」、「クレーン」の異名をとった。

1969年11月場所限り引退し年寄中村を襲名、宮城野部屋で後進の指導に当たり審判委員も務めていたが、1977年1月限りで廃業。転職して会社員となり、更に会社役員を務めながらエホバの証人の伝道活動を行っている。

主な成績

  • 幕内成績:414勝450敗6休 勝率.479
  • 幕内在位:58場所
  • 優勝同点:2回(1961年9月場所・1965年9月場所)
  • 三賞:殊勲賞4回、敢闘賞4回
  • 金星:3個(大鵬2、佐田の山1)

改名歴

  • 明歩谷 清 → 明歩谷 清之輔 → 明歩谷 清 → 明武谷 清 → 明武谷 巖 → 吉葉洋 一覺 → 明武谷 清 → 明武谷 力伸 → 明武谷 憲尚 → 明武谷 力伸 → 明武谷 皇毅 → 明武谷 保彦

関連項目