斉藤仁
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獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
オリンピック | ||
金 | 1984 ロサンゼルス | 95kg超級 |
金 | 1988 ソウル | 95kg超級 |
世界柔道選手権 | ||
金 | 1983 モスクワ | 無差別級 |
銀 | 1985 ソウル | 95kg超級 |
アジア大会 | ||
金 | 1986 ソウル | 95kg超級 |
アジア柔道選手権 | ||
金 | 1981 ジャカルタ | 95kg超級 |
金 | 1984 クウェート | 95kg超級 |
斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - )とは、元柔道選手。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道競技男子95kg超級金メダリスト。現在柔道コーチ、国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。青森県青森市出身。段位は七段。
全日本柔道選手権大会における、山下泰裕9連覇の最後の3年間の決勝の対戦相手だった。現役時代はライバルと称されたが、ロサンゼルスオリンピックでは「先輩行ってきます」「頼んだぞ」という逸話が残されており、現役時代から信頼関係はあった。現在、共に指導者としてさらに深い信頼を寄せる間柄となっている。
略歴
- 1961年、青森市筒井八ッ橋(現、筒井2丁目)で生まれる。
- 1967年、青森市立筒井小学校入学。
- 1973年、青森市立筒井中学校入学。柔道部に所属。3年生では青森県中学校体育大会夏季大会重量級で優勝。
- 1976年、青森市立筒井中学校卒業。国士舘高等学校入学。
- 1977年、高校2年夏のインターハイ団体決勝戦で代表戦に出、見事快勝し東京勢初の優勝校に導く。当時の体重は120〜130kg
- 1979年、国士舘高等学校から国士舘大学体育学部へ。
- 1983年、大学卒業、国士舘大学体育学部助手に。モスクワ世界選手権無差別で優勝
- 1984年、ロサンゼルスオリンピック、金メダル。選手時代は180cm・155kg
- 山下の引退後は日本柔道のトップに立つと期待されたが、同年韓国のソウルで開催された1985年世界柔道選手権大会決勝で地元の大声援を受けた韓国代表趙容徹の反則技により、脱臼する重症で棄権負け。通常ルールならば反則を犯した方が反則負けになるはずだが、斎藤の棄権負けという不可解なものだった。復活を望んだ1987年も全日本選手権大会前に右膝を怪我してしまう。度重なる大怪我で限界説が囁かれたが、1988年の全日本選手権で悲願の初優勝を果たしソウルオリンピック95kg超級代表に選出された。
- 1988年、ソウルオリンピック、金メダル。
- それまで全ての階級で日本人選手が金メダルを逃す中優勝し、同大会の柔道競技唯一の金メダルを獲得する。準決勝で対戦した趙容徹による技の掛け逃げ・逃げの姿勢に対して審判団は反則を適用したが、趙は対戦後に「斉藤は戦う姿勢を見せず卑怯だ」と自分の逃げ続けた姿勢を棚に上げたコメントを残している。
- 選手引退。以後国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活躍。国士舘大学体育学部教員を兼任。
- 2004年、アテネオリンピック日本選手団男子柔道監督。
- 2007年、講道館の鏡開きの際、形の演武を行った。彼いわく「オリンピックより緊張した」
- 2008年、北京オリンピック日本選手団男子柔道監督。
戦績
(無差別以外は全て重量級ないしは95kg超級での成績)
- 1977年 - インターハイ 団体戦 優勝
- 1978年 - インターハイ 個人戦 2位 団体戦 優勝
- 1979年-1981年 - 新人体重別 3連覇
- 1979年 - 全日本学生 無差別 2位※
- 1980年 - 環太平洋柔道選手権大会 無差別 3位
- 1980年 - 全日本学生 優勝
- 1980年 - アメリカ国際柔道大会 95kg超級 無差別 ともに優勝
- 1980年 - 世界学生 優勝
- 1981年 - 環太平洋柔道選手権大会 優勝
- 1981年 - 選抜体重別 優勝
- 1981年 - 全日本学生 95kg超級 5位 無差別 優勝
- 1981年 - アジア選手権 優勝
- 1981年 - 日本国際柔道大会 95kg超級 2位※ 無差別 優勝
- 1981年 - 選抜団体 3位
- 1982年 - ソ連国際 95kg超級 3位 無差別 優勝
- 1982年 - 全日本柔道選手権大会 3位
- 1982年 - 学生体重別 優勝
- 1982年 - 世界学生 無差別 団体戦 ともに優勝
- 1982年 - 学生優勝大会 3位
- 1982年 - 選抜体重別 2位※
- 1982年 - 嘉納杯 無差別※ 2位 団体戦 優勝
- 1983年 - 正力国際 無差別 団体戦 ともに優勝
- 1983年 - 全日本柔道選手権大会 2位※
- 1983年 - 選抜体重別 2位※
- 1983年 - 世界選手権 無差別 優勝
- 1984年 - 全日本柔道選手権大会 2位※
- 1984年 - ロサンゼルスオリンピック 優勝
- 1985年 - 全日本柔道選手権大会 2位※
- 1985年 - 選抜体重別 優勝
- 1985年 - 世界選手権 2位
- 1986年 - 全日本柔道選手権大会 3位
- 1986年 - アジア大会 優勝
- 1986年 - 嘉納杯 無差別 優勝
- 1988年 - 全日本柔道選手権大会 優勝
- 1988年 - 選抜体重別 優勝
- 1988年 - ソウルオリンピック 優勝
※は、山下泰裕が決勝の対戦相手(通算8戦8敗)
著書
- 『じょっぱり柔道』(1989年2月、国書刊行会) ISBN 4-336-02293-3
- 『スポーツグラフィック 柔道』(1997年6月、成美堂出版) ISBN 4-415-08519-9
- 『常勝力』(2008年7月、幻冬舎)
余談
吉田戦車の伝染るんです。に登場する人面カブトムシ、「斎藤さん」のモデルとされている。また、同じ雑誌で連載されていた浦沢直樹のYAWARA!の登場人物「犀藤」のモデルでもある。