戴宗

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戴 宗(たい そう)は、中国小説四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。

天速星の生まれ変わりで、梁山泊第二十位の好漢。渾名は「神行太保(しんこうたいほう)」で後述するその特殊能力・神行法(しんこうほう)からこう呼ばれる。元牢役人で道士でもある。長身痩躯、頭の鉢が大きい。飄々とした所が有る人物で義侠心も強いが、牢役人時代は付け届けを囚人に要求するなど俗っぽい所もある。呉用とは古くからの親友らしい。また李逵を制御することが出来る数少ない人物であり、暴れん坊で我慢の効かない李逵も彼にはまったく頭が上がらず、戴宗を兄貴と慕い彼の言いつけもよく聞く(後述するが破るときついお仕置きをされるため)。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


生涯

戴宗は江州で牢役人の頭をしており子分の李逵とともに下役人や囚人に畏怖されていた。またその神行法の能力を見込まれ宰相蔡京の息子である知事に飛脚としても重宝されていた。

ある日有名な好漢で旧友呉用の手紙を預かっていた流人宋江と意気投合するが、彼は悪人に謀叛をでっち上げられ牢へぶち込まれてしまう。戴宗は宋江が無実だと知っていたが知事から正式な判決をたずねる手紙を都へを届けるよう言い付けられてしまう。途中、偶然梁山泊へ辿り着いた戴宗はこの事を首領の晁蓋と軍師となっていた呉用に相談した。結果呉用の策により「宋江を都に護送せよ」という内容の手紙を蔡京の筆跡を真似て作成し、江州へ戻った戴宗はこれを知事に届けた。知事はこれを真に受けあとは梁山泊の近くに来た時奪い返すだけだったが、知事の取り巻きでこの騒動の黒幕黄文柄が、息子相手に不自然な敬称を使われていると贋物であることを見抜き戴宗も捕まって宋江ともども死刑宣告を受けてしまった。しかし処刑の当日に駆けつけた梁山泊と李逵の活躍で救出され、そのまま梁山泊の一員となった。

梁山泊では神行法の能力を生かして情報収集、伝令、諜報、工作、送迎、捕虜救出、行方不明者や人材の捜索などで八面六臂の大活躍。彼がスカウトした人材は楊林裴宣鄧飛孟康と有能な人材が多く、間接的に石秀楊雄時遷らも梁山泊へと導いた。方臘討伐後、朝廷から武節将軍の称号と兗州の司令官の地位を与えられるが、辞退して泰山で出家、数ヵ月後に病でもないのに死期を悟り、別れの宴の最中笑いながら大往生した。死後も夢の中の徽宗を梁山泊へ導く役を務めている。水滸後伝では生存しており以前と同様に活躍する。

神行法

神行法とは梁山泊で戴宗のみが使用できる道術の一種である。この術は呪力をこめた護符を足にくくりつける事により人並みはずれた速度で走る事が可能となるというもので、両足に一枚ずつ護符を貼れば一日で五百里(約200km)、二枚ずつ貼れば八百里(約300km)を駆けることができる。この戴宗の能力により梁山泊の情報伝達速度は当時抜きん出たものとなり、戴宗は非戦闘員にもかかわらず梁山泊において無くてはならない存在となっているのである。

また術者だけでなく、術者本人が同行していれば他の人物にも神行法をかける事ができる。ただし同時に術を駆ける事ができるのは一人までのようで、二人以上が戴宗とともに神行法を使った事は無い。また道術という性質上、術者は酒と生臭を断つ事が求められる。術者だけがそうしているだけでよく、同行者にはこの制約は当てはまらない。

しかし、高唐州戦において李逵とともに公孫勝を迎えに行く際、戴宗はいつも酒で面倒をおこす李逵に方便を使いこの制約を守るよう言いつけた。ところが李逵は戴宗の目を盗んで酒と牛肉を食べてしまう。これを目撃した戴宗は李逵に途中で止まることが出来なくなる神行法をかけてこれを懲らしめた。この事実を見ると神行法は単に早く走れる術ではなく(術者本人を含め)人間の動作を操ることに本質があるように伺える。

戴宗が何時、何処で、誰からこの術を学んだかは不明で梁山泊の他の道士、公孫勝、樊瑞もこの術を使用することはない。ただ、百二十回本にのみ田虎配下の馬霊なる半ば妖怪に近い人物がもう一人の神行法修得者として登場する。しかも道士としての技量は馬霊の方が上で彼は千里(文簡本では万里)を駆けることが出来た。馬霊が降伏した後、戴宗は彼からこの千里を駆ける神行法を伝授された。

関連項目