岡田温

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おかだ ならう

岡田 温
生誕 (1902-06-02) 1902年6月2日
宮城県仙台市
死没 (2001-04-26) 2001年4月26日(98歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 図書館学者
著名な実績 帝国図書館長
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岡田 温(おかだ ならう、1902年明治35年)6月2日[1]6月1日とする文章もある[2]) - 2001年平成13年)4月26日[2])は、昭和期の図書館学者(図書館史)。第3代(最後)の帝国図書館長である。

経歴

宮城県仙台市出身。7歳で養子に出され[1]府立四中旧制一高(理科甲類)を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学[1]。この間、植村正久の下でキリスト教の洗礼を受けた[1]。肋膜炎で休学した後、社会学科へ転科し[1]、1928年(昭和3年)に東京帝国大学文学部社会学科を卒業[2]。同年、帝国図書館に入り[1]、当時、帝国図書館館長であった松本喜一から信任を受けて、後に司書の長である司書官に任じられた[2]

太平洋戦争終結直後の1945年(昭和20年)11月13日に松本が急死したため、1946年(昭和21年)5月13日に岡田が後任の帝国図書館長となる[1][2]。だが、1947年(昭和22年)12月に帝国図書館は国立図書館と改称され[1]、将来的には新設の国立国会図書館と統合されることとなった。このため、岡田は最後の帝国図書館長となった。1948年(昭和23年)には岡田自身が新設の国立国会図書館の受入整理局長に任じられた[2]。1959年(昭和34年)春秋会事件に伴い、国立国会図書館を辞職[1]。1965年(昭和40年)に図書館短期大学学長に就任し[2]、1969年(昭和44年)に東洋大学教授兼図書館長に就任[1][2]。1973年(昭和48年)勲二等瑞宝章授与[2]。1975年(昭和50年)には鶴見大学教授兼図書館長に就任し[1][2]、1980年(昭和55年)まで勤めた[1][2]

死後、従三位に叙位された[2]

人物

帝国図書館勤務時には「館界のプリンス」と称された[2]

国立国会図書館『図書館研究シリーズ』中の論文で、「古来いずれの国でも愛書察蔵称といわれる人の数は多く、それ鞭書家達の集めたコレクションというものは、隅々まで心が配られ注意が行き届いていてまことに得難いものである。しかもこのような集書は、その1冊1冊を分離してしまえば、単独にはさしだる内容的価値も市場的価値も呼ばないものであるが、これを集大成した一つのコレクションとして見るとき、そこに得難い価値が生ずるものである」と述べた[3]

息子の岡田靖は図書館情報学者であり[4]鶴見大学名誉教授である。

著書

  • 中井正一・岡田温(編)『図書館年鑑』図書館資料社、1951年
  • 「旧上野図書館の収書方針とその蔵書」『図書館研究シリーズ』国立国会図書館、第5号、1961年
  • 出版事典編集委員会(編)『出版事典』出版ニュース社、1971年

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 石山洋『敬弔 名誉会員岡田温先生(追悼)』日本図書館研究会、2001年。doi:10.20628/toshokankai.53.2_155https://doi.org/10.20628/toshokankai.53.2_1552021年12月14日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 木村初雄「岡田温先生を偲びて」『日本図書館情報学会誌』第47巻第1号、日本図書館情報学会、2001年、46-47頁、doi:10.20651/jslis.47.1_46 
  3. ^ 大沼宜規『国立国会図書館所蔵小杉文庫について』(2003年)。『参考書誌研究』46頁。NDL
  4. ^ 日本図書館文化史研究会『図書館人物事典』日外アソシエーツ、2017年、p.61

参考文献

  • 岡田温「斯くして国立国会図書館は生まれ出た」『国立国会図書館月報』329号、1988年8月
  • 岡田温先生喜寿記念会『岡田先生を囲んで』岡田温先生喜寿記念会、1979年
  • 岡田温先生卒寿記念会『百福自集』岡田温先生卒寿記念会、1992年
  • 日本図書館文化史研究会『図書館人物事典』日外アソシエーツ、2017年
  • 『図書館関係専門家事典』日外アソシエーツ、1984年 ISBN 978-4-8169-0337-3