山口県立下関南高等学校
山口県立下関南高等学校 | |
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過去の名称 |
下関市立下関高等女学校 山口県立下関高等女学校 山口県立下関女子高等学校 山口県立下関南高等学校 山口県立下関西高等学校南校舎 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山口県 |
校訓 | 日々に磨かん智と徳と |
設立年月日 | 1905年(明治38年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 35147E |
所在地 | 〒751-0826 |
山口県下関市後田町一丁目8番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
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山口県立下関南高等学校(やまぐちけんりつ しものせきみなみこうとうがっこう)は、山口県下関市後田町一丁目にある公立高等学校。
概要
- 歴史
- 1905年(明治38年)創立の「下関市立下関高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制の女子高等学校となった。翌1949年(昭和24年)に「山口県立下関南高等学校」に改称。1950年(昭和25年)に山口県立下関西高等学校に統合された後、1954年(昭和29年)に再び「山口県立下関南高等学校」として独立。前身が高等女学校ということもあり男子の入学者が少なく、実質女子高となっていた時代もあったが、2003年(平成15年)より男女共学となった。2012年(平成24年)に創立105周年を迎えた。
- 校訓
- 「日々に磨かん智と徳と」
- 校歌
- 作詞は芳賀矢一、作曲は島崎赤太郎による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
沿革
- 1905年(明治38年)4月28日 - 「下関市立下関高等女学校」が創立。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 県立移管により、「山口県立下関高等女学校」に改称。
- 1944年(昭和19年)- 軍需工場等への学徒動員が始まる。
- 1945年(昭和20年)
- 4月 - 学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
- 9月 - 終戦により、授業を再開。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年となる(4年で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 高等女学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:山口県立下関高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により高等女学校が廃止され、新制高等学校「山口県立下関女子高等学校」が発足。
- 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山口県立下関女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)4月21日 - 「山口県立下関南高等学校」となる。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 山口県立下関西高等学校に統合され、「南校舎」となる。
- 1951年(昭和26年)3月31日 - 東部分校を山口県立下関東高等学校に移管。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 南校舎が分離し「山口県立下関南高等学校」として独立(再設置)。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 単位制に移行、男女共学化。