愛媛オレンジバイキングス
大分ヒートデビルズ 大分ヒートデビルズ | |||
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愛称 | デビルズ | ||
所属リーグ | bjリーグ | ||
創設年 | 2004年 | ||
チーム史 | |||
本拠地 | 大分県別府市 | ||
アリーナ |
ビーコンプラザ | ||
収容人数 | 8,000人 | ||
チームカラー | ブラック | ||
代表者 | 橋本知宏 | ||
ヘッドコーチ | 鈴木裕紀 | ||
公式サイト | http://www.heatdevils.com/ | ||
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大分ヒートデビルズ(おおいたヒートデビルズ、英語: Oita HeatDevils)は、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に所属するバスケットボールチーム。本拠地は大分県別府市。運営母体は株式会社大分ヒート。2009年8月設立。ホームアリーナはビーコンプラザおよびべっぷアリーナ。
概要
チーム名の「ヒートデビルズ」は、地元の別府温泉の「熱」とファン(ブースター)の熱気、有名な観光スポット「別府地獄めぐり」の「地獄」の番人「閻魔様」ならぬ、鬼=「デビル」をイメージした造語。初年度からのチームカラーは「デビルズ・ブルー」(09-10シーズンからはブラック)。チームのマスコットキャラクター「DeeDee君(ディーディー君)」は、赤鬼の姿をしている。DeeDee君のほかに、全身黒タイツに身を包んだ謎のキャラクター「Mr.D」がいる。チアダンスチームは「デビルガールズ」。
チームカラー
- ブラック(08-09シーズンまではデビルズブルー。)
ユニフォームスポンサー
- 株式会社 O-RID(ユニフォーム)
過去のユニフォームスポンサー
- 株式会社日田天領水(胸)
- 大分みらい信用金庫(パンツ)
- 株式会社エーワン(パンツ)
- B-Con Plaza(パンツ)
この節の加筆が望まれています。 |
- みやこプロジェクト(パンツ)
ユニフォームサプライの遍歴
- 2005~OZAKI
アリーナでの演出
- 2011-12シーズン現在のスタジアムDJはMC MAX
- かつて大分ヒートデビルズに在籍していた相手チームの選手を大き目の声で紹介している。
- 選手がゴールを決めると、選手が事前にリクエストした曲を流す。例えば、鈴木裕紀がゴールを決めた場合DJ OZMA「純情 〜スンジョン〜」を流す。
歴史
2005-2006シーズン
初年度の2005-2006シーズン、ヒートデビルズの布陣ではセンターのヒューズやフォワードのハートマンらが高さのあるフロントラインを構成していた。長距離シュートを得意とするホプキンスもチームの得点源。フォワードの栗野はドラフトで全体1位指名を受けて入団した。
シーズン前半はチーム成績が低迷し、ヘッドコーチのジョワン・オールドハムがシーズン途中で解雇された。代わってアシスタントコーチだった桶谷大がヘッドコーチ代行に就任した。以降はチーム成績が上向いたものの最終的には15勝25敗と4位の仙台89ERSと3ゲーム差がつき、プレイオフ出場を逃した。ガードの鈴木裕紀はスリーポイントシュートの成功率でリーグ首位に立ち、ベスト5に選ばれた。
2006-2007シーズン
アンディー・エリスやクリス・エアーといったビッグマンを揃えつつも、ボールを持ったら相手陣内に入って得点を狙う走るバスケを展開している。ゲーム終盤に息切れし、相手に大量失点を許す試合が多かったが、桶谷ヘッドコーチの下、レギュラーシーズン4位でプレイオフ進出を果たす。
プレイオフ・1stラウンド(セミファイナル)では大阪エヴェッサに敗れるも63-69と大健闘を見せ、3位決定戦で新潟アルビレックスBBを下しシーズン3位となった。
2007-2008シーズン
シーズンを前にエクソンモービルの元会長、ローレンス・ロールの長男で個人投資家であるビンス・ロールが資本参加。増資した3048株(1株5万円)のうち1700株を取得。発行済み株式(3918株)における持ち株比率は43.4%となり、1816株(46.4%)を所有する矢野裕史社長に次ぐ大株主となる。外国資本による日本国内のプロスポーツチームへの直接出資は初めてとなる。
シーズンは新規参入の琉球ゴールデンキングス、ライジング福岡に初勝利を献上するなど、苦戦を強いられる。大阪、高松が上位争いをしている間に、福岡とのプレイオフワイルドカード争いに巻き込まれる。大分は一時は大きく突き放すが、終盤に失速。福岡が3位でプレイオフワイルドカード争いの座を経た。福岡は高松にも勝ち、ファイナル4に進出した。シーズン終了後、2007-2008シーズン終了まで契約を結んでいたヘッドコーチの桶谷大が成績不振と本人の希望より、早期解任が決定した。
2008-2009シーズン
このシーズンから国体の成年バスケットボール競技にbj選手にも出場が認められることになり、2008年の大分国体には与那嶺、君塚、佐藤博紀の3選手がbj選手として初めて出場した。結果は1回戦で福島県代表に敗れた。
ヘッドコーチには、桶谷に代わり昨シーズンまでプレイングアシスタントコーチ(選手とアシスタントコーチを兼任)だった小川忠晴が就任。フリーエージェントによる移籍で新潟アルビレックスBBから佐藤公威を獲得した。
しかし財政難から3年続けてドラフト指名を見送り、練習生であったセネガル人選手も日本バスケットボールリーグ2部機構のチームと契約した。また、昨年までプレイしていた、三友康平、青木勇人ら日本人選手は他のbjのチームやJBLのチームへ移籍、もしくは現役を引退した。外国人選手もクリス・エアーやアンディー・エリスら昨シーズンに在籍した外国人全員がチームを去り、代わりにライジング福岡から移籍したジェフリー・プライスをはじめ、2mを超える長身の選手を揃えた。与那嶺翼をPGに据え、10人という少数精鋭でシーズン開幕を迎えたが、プレイオフに進出した2006-07シーズンの布陣と比べてかなり貧弱な顔ぶれとなってしまっている。また、シュート力の低い選手が多く、得点の上がらない一つの要因になっている。
昨シーズンまでのチームとは一変し、スケールダウンした戦力の大分は富山グラウジーズと滋賀レイクスターズには勝ち越したものの、ライジング福岡に1勝した以外は全敗、特に12月以降は6連敗、9連敗、15連敗と苦戦を強いられた。(この間の連敗を止めた相手はいずれも滋賀だった)得点力が上がらず、平均得点が2桁以上だったのは前出のプライスを含む外国人3人だけ、平均得点でも埼玉ブロンコスや滋賀レイクスターズを2点以上下回った。結果は西地区最下位で、勝ち星も昨シーズンの19勝から半分以下の8勝、その過半数の5勝は新規参入チームの滋賀からあげたものだった。
2008-09シーズンは対戦相手よりも財政難、経営難という敵に苦しめられたシーズンであった。2007-08シーズンまでの3年間で約2億円の赤字を計上しているとされ、さらに大口スポンサーのビンス・ロールからの出資も打ち切られている事も判明。チーム経営には予断を許さない状況となり、体育館での練習時間も削られ、遠征には安価な旅客船を使用している。
対策として、レプリカジャージや当日自由席引換券6枚、当日割引券3枚などがついた360°ブースタープロジェクトとして、ブースタークラブ入場者3000人、平均観客動員数3000人を目標とした。シーズン中の2008年12月には、新運営会社の株式会社大分ヒートデビルズを設立し、旧運営会社の大分バスケットボール・コミュニケーションから経営陣も刷新された上で事業が引き継がれた。新会社に引き継いだ初年度の経営は約3500万円の赤字で経営改善は見られたが、未だに経営は苦しい状態である。
2009-2010シーズン
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
設立 | 2009年(平成21年)8月6日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 5500001019331 |
事業内容 | バスケットボールの興行 |
代表者 | 代表取締役 井上博之 |
外部リンク | 大分ヒートデビルズ |
慢性的な経営不振で2009-10シーズンのリーグ継続参加も危ぶまれたため、リーグからシーズンチケット販売の差し止め等の措置が採られたが、2009年6月11日に再度新会社を設立して経営権を移すことを前提に継続参戦を認められた。8月に新たな運営会社として「株式会社大分ヒート」に引き継がれ新体制の下、再出発を図る。
ヘッドコーチには元NBAプレイヤーで東芝でのプレー経験もあるブライアン・ロウサムが就任。
新規外国人選手のマイク・ベル、リッキー・ウッズ、レミントン・チャン(シーズン途中で退団)、ラシャード・シングルトンが加入し、インサイドでの豪快なダンクシュートで観客を魅了するバスケスタイルに変貌した。シーズン途中には元大阪エヴェッサのマット・ロティックも加入し、チーム力とアウトサイドの強化も進んだ。
シーズン終盤までプレイオフ進出を滋賀と争い、結局プレイオフ進出はならなかったが、前シーズンの3倍以上となる25勝を上げ、西地区5位でシーズンを終えた。
2010-2011シーズン
新ヘッドコーチにエル・ジェイ・ヘップを、アシスタントコーチにトニー・ハンソンを迎える。
選手ではかつて大分に在籍していた青木勇人と三友康平が復帰。外国人ではマット・ロティックの残留が早々に決定。他の外国人は入れ替えをし、デミアン・ジョンソンらが加入。
シーズン途中までプレーオフ圏内の位置を保っていたが、3月に東北地方太平洋地震が発生すると、ロティックとジョンソン以外の外国人選手とヘップHCがチームから離脱。残り試合はハンソンACが指揮を執ったが、戦力の落ち込みが激しく、プレーオフ進出を果たすことはできなかった。
2011-2012シーズン
オフに再び資金難でシーズン参加が危ぶまれる事態となったため、「想い届けて!プロジェクト」を展開し、ブースターの寄付を募った。そして鈴木や小原ら選手も資金集めに奔走した結果、2011-2012シーズンへの参戦が決定した。不在だったヘッドコーチには鈴木裕紀が現役を引退して就任した。
主な成績
年度 | レギュラーシーズン | 最終結果 | HC | 備考 | |||||||
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勝 | 敗 | 勝率 | ゲーム差 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 順位 | ||||
2005-06 | 15 | 25 | .375 | 16.0(3.0) | 80.3 | 84.3 | -4.0 | 5位 | 5位 | ジョワン・オールドハム →桶谷大(代行) |
bjリーグ初年度 |
2006-07 | 22 | 18 | .550 | 7.0 | 82.6 | 81.2 | +1.4 | 4位 | 3位 | 桶谷大 | |
2007-08 | 19 | 25 | .432 | 12.0(1.0) | 84.3 | 86.4 | -2.1 | 西4位 | - | カンファレンス制導入 | |
2008-09 | 8 | 44 | .154 | 33.0(14.0) | 74.8 | 85.6 | -10.8 | 西6位 | - | 小川忠晴 | |
2009-10 | 25 | 27 | .481 | 9.0(4.0) | 81.2 | 84.4 | -3.2 | 西5位 | - | ブライアン・ロウサム | |
2010-11 | 16 | 32 | .333 | 17.0(7.0) | 76.1 | 80.9 | -4.8 | 西7位 | - | エル・ジェイ・ヘップ →トニー・ハンソン(代行) |
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2011-12 | 23 | 29 | .442 | 16.0(5.0) | 80.8 | 82.5 | -1.7 | 西7位 | - | 鈴木裕紀 |
ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している
個人別タイトル
ベスト5
- bjリーグ2005-06 G 鈴木裕紀
得点
- bjリーグ2007-08 アンディー・エリス
スティール
- bjリーグ2005-06 ジャック・ハートマン
3ポイント成功率
- bjリーグ2005-06 鈴木裕紀
- bjリーグ2007-08 鈴木裕紀
他団体との連携
- 大分をホームタウンとするスポーツチームを応援するための組織として「おおいたホームタウン推進協議会」が存在する。
- Mr.Deeは2011年7月に大分プロレスに参戦し、ケンドー釜山と対戦したが2R 0分25秒 腕ひしぎ逆十字で敗れた[1]。
関連項目
外部リンク
- 大分ヒートデビルズ公式サイト
- 大分ヒートデビルズ (oitaheatdevils) - Facebook
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