増井経夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2001:268:c05f:530c:10cd:84a9:68f6:4284 (会話) による 2021年5月2日 (日) 20:51個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

増井 経夫
人物情報
生誕 (1907-01-28) 1907年1月28日
日本の旗 日本東京都
死没 1995年6月17日(1995-06-17)(88歳)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 東洋史(清代史)
研究機関 金沢大学
テンプレートを表示

増井 経夫(ますい つねお、1907年(明治40年)1月28日 - 1995年(平成7年)6月17日[1])は日本の東洋史学者。専攻は清代史。

略歴

1907年、東京都生まれ。東京帝国大学文学部東洋史学科に進み、1930年に卒業。卒業論文は「清代の広東貿易について」。

卒業後は日本大学東京外国語大学明治学院大学武蔵高等学校等で講師を務めた後、武蔵大学教授を経て、金沢大学法文学部教授に就任。1972年に金沢大学法文学部教授を定年退官。

著書

  • 『太平天国』(岩波新書、1951年)。復刊1991年ほか
  • 『アヘン戦争と太平天国』 (弘文堂〈アテネ文庫〉、1956年)
  • 『アジアの歴史と歴史家』(吉川弘文館[ユーラシア文化史選書]、1966年、新版1982年)
  • 『中国の歴史と民衆』(吉川弘文館、1972年)
  • 『中国の歴史7 清帝国』(講談社、1974年)
  • 『世界の歴史11 中華帝国』(講談社、1977年)
  • 『「智嚢」 中国人の知恵』 (朝日新聞社〈朝日選書〉、1978年)。オンデマンド版2005年
  • 『中国の二つの悲劇-アヘン戦争太平天国』(研文出版、1978年)
  • 『中国的自由人の系譜』(朝日新聞社〈朝日選書〉、1980年)。オンデマンド版2005年
  • 『中国史-そのしたたかな軌跡 人間の世界歴史10』(三省堂、1981年)
  • 『中国の歴史書 中国史学史』(刀水書房〈刀水歴史全書〉、1984年)
  • 『中国人の知恵とその裏側』(講談社、1985年)
  • 『中国の銀と商人』(研文出版〈研文選書〉、1986年)
  • 史記の世界』(日本放送出版協会NHKブックス〉、1987年)
  • 『線香の火』(研文出版〈研文選書〉、1987年)-随想集
  • 『揚子江』(中公新書、1982年)-※陳舜臣と共著

訳書

脚注

  1. ^ 20世紀日本人名事典