堀川 (名古屋市)

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堀川
堀川
熱田記念橋より北を望む
水系 一級水系 庄内川
種別 一級河川
延長 16.2 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 52.5 km²
水源 庄内用水元杁樋門(守山区
水源の標高 -- m
河口・合流先 伊勢湾港区
流域 愛知県名古屋市
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堀川(ほりかわ)は、愛知県名古屋市を流れる庄内川水系一級河川

地理

愛知県名古屋市守山区にて庄内川から取水する形で発祥し、名古屋市中心部を南へ流れ伊勢湾名古屋港)に注ぐ。途中、中川運河新堀川とつながっている。水深は潮の干満で変化するが1~3m程度。川の流れも満潮時は逆流するので、川というより運河である。

流域で、通称・愛称が異なっているのも特徴で、河口から順番に、朝日橋(堀留)までが「堀川」、黒川樋門までが「黒川」、庄内用水元杁樋門までが「庄内用水」と呼ばれている。

水源は庄内川であり、庄内川の水分橋(みずわけばし)の西側のダム(「庄内用水頭首工」)でせき止められた水を取水口(「庄内用水元杁樋門」)より取水し、水路は「庄内用水」として南下。矢田川の下を三階橋の東側にあるトンネルでくぐり(「伏越」)、トンネル出口の三階橋ポンプ場(旧・黒川分水池)内で、農業用水「庄内用水」と分岐し、水量調整用の水門「黒川樋門」に至り、そこから「黒川」・「堀川」として海に至っている。

名古屋市内のうち熱田から名古屋城周辺までの区間は熱田台地の西側に沿って流れているため、川の東岸が西岸よりも高くなっている。

歴史

1610年福島正則名古屋城築城に際して、資材運搬を目的とした水路として掘削したといわれる。その後は物資の輸送に使われるようになった。1976年まで名鉄瀬戸線に「堀川駅」という堀川に面したターミナル駅があったのは、愛知県瀬戸市で生産された瀬戸焼を堀川を通じて輸出するためであった。

名古屋城付近の「堀留(朝日橋)」以北の上流部は、堀川と並行して流れる「庄内用水の東井筋」(通称「江川」。現在は暗渠化され、幹線道路の江川線になっている)に注いでいた大幸川(現在は暗渠化され下水道「大幸幹線」)の付け替えとして、1784年に現在の猿投橋付近から朝日橋付近まで開削され、さらに1877年、愛知県技師の黒川治愿(はるよし)によって、大幸川を延伸・拡幅する形で、矢田川を地下でくぐり、庄内川を横断し、八田川・新木津用水を経由して犬山にいたる運河として開削(または拡幅・浚渫)されたもので、その経緯から通称「黒川」と呼ばれている。

黒川(御用水跡街園)

なお、名古屋城のお堀の水源は、もともとは堀川ではなく、初めは湧き水で、後に「御用水」という用水路からの取水であった。「御用水」は1663年に、湧き水の枯渇に対応して開削された水路で、水源は、庄内川(竜泉寺付近)であった。当初は、矢田川経由で取水していたが、1676年に、現在の「三階橋」付近の矢田川の真下に「伏越(水路トンネル)」を設け、そこからお堀の水源と流域の上水道「巾下水道(巾下上水)」として供給していた。お堀からあふれた水は、巾下水道の取水口でもあった「辰之口水道大樋」(現在のホテルウエスティンキャッスルの南側・朝日橋と大幸橋の間)を通って堀川(大幸川)に放流されていた。1877年に矢田川以南の「御用水」沿いに「黒川」が開削され、矢田川と庄内川の間の「御用水」は、新しく水分橋付近から取水された「庄内用水」と統合されることとなり、水源が「黒川」と同じ水となった。その後も「御用水」は、矢田川以南では「黒川」と並行しつつ存続していたが、1972年に「黒川」に統合される形で、埋め立てられ、1974年に一部は「黒川」の流域公園「御用水跡街園」として整備された。

2007年(平成19年)4月1日、河川の管理権限が愛知県から名古屋市に移譲されている[1]

環境

昭和30年代辺りからは、工場排水や生活廃水で鼻を覆いたくなるほど異臭を放つ、無残な溝川と化していたが、昨今になって「名古屋堀川ライオンズクラブ」など、浄化を目指す運動も始まっている。

天王崎橋(名古屋市中区/中村区)より上流方

堀川には、わずかに取水している庄内川以外は源流らしいものが無く、生活排水の流入や新しい水の流入することが少ないこととが水質汚濁に拍車をかけているとも考えられており、2001年以降「庄内用水元杁樋門」付近の庄内用水に隣接している「瀬古の井戸」から、2004年以降は古川用水の水も加えて定期的に取水している。なお1998年 - 2001年には、上飯田連絡線名鉄小牧線地下鉄上飯田線)の工事の際に湧出した地下水を上流部(黒川)に流入させていた。2001年以降、庄内川から導水しているほか、2007年から社会実験として3年間に渡って木曽川からも導水が行なわれた。

2005年からは鍋屋上野浄水場の作業用水を、またそれらより水量はさらに少ないが、流域の数か所で浅層地下水を導入している。

名古屋市では1994年以降ヘドロの除去を継続して行なっており、以前に比べ水質は改善しているが、まだまだきれいな川とは言い難い状況ではある。取水を増加させて本河川を浄化しようという話もあるものの、そうなると現在堆積しているヘドロが名古屋港から伊勢湾に流出することが必至であり、沿海の漁業関係者の反対が強く実現の目途は立っていない。

2000年2月には堀川下流部にオスシャチが迷い込み、話題となった。(同年2月23日、名古屋港水族館、管理組合などの職員によりシャチの追い込み作戦が実施された。)

2005年から毎年8月に「清流の再生を夢の技術で」をキャッチフレーズとして堀川エコロボットコンテストが開かれ、小中学生、大学生、企業が堀川をきれいにするアイデアロボットを披露している。

橋梁

  • 夫婦橋
  • 新堀橋
  • 辻栄橋
  • 瑠璃光橋
  • 木津根橋
  • 稚児宮人道橋
  • 猿投橋
  • 志賀橋(環状線
  • 黒川橋
  • 北清水橋(国道41号
  • 金城橋
  • 城北橋(大津通
  • 中土戸橋
  • 堀端橋
  • 銀之橋
  • 筋違橋

イメージキャラクター

  • ホリゴン - 正式名称は堀川権左衛門。堀川が作られた時から生息する恐竜である。「堀川を清流に!」のキャッチフレーズのもとPR活動などを行っている。

脚注

  1. ^ 愛知県建設部河川課:県管理河川の名古屋市への権限委譲について、2011年3月22日

関連項目

外部リンク

下記サイトで堀川やルーツを同じくする庄内用水の変遷が記載されている。