周春秀
| ||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年世界陸上選手権女子マラソンでの周春秀 | ||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 周春秀 | |||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 中国 | |||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 長距離走、マラソン | |||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1978年11月15日(45歳) | |||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 河南省社旗県 | |||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 163cm | |||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 44kg | |||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト |
5000m:15分22秒46(2003年) 10000m:31分09秒03(2005年) ハーフマラソン:1時間08分59秒(2008年) マラソン:2時間19分51秒(2006年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||
編集 |
周 春秀(しゅう しゅんしゅう、チョウ・チュンシウ Zhōu Chūnxiù、1978年11月15日 - )は中華人民共和国の女子マラソン選手。河南省出身。身長163cm、体重44kg。指導者は、かつてソウル五輪5位入賞の趙友鳳や、大南博美・敬美双子姉妹らを育てた、日本出身の竹内伸也である。
2004年のアテネオリンピックは33位に終わるも、2005年世界陸上ヘルシンキ大会では5位入賞。年2006年3月のソウル国際マラソンでは、2時間19分51秒の自己ベスト記録を出して優勝。中国女子では現在、孫英傑に次ぐ2位の記録である。
2006年12月のドーハアジア競技大会では、レース序盤からハイペースで飛ばして独走、2位争いを演じていた嶋原清子・小幡佳代子とは3分以上の大差をつける圧勝で金メダルを獲得。2007年9月の世界陸上大阪大会では、レース直前に足の甲のケガを負いながらも、優勝したキャサリン・ヌデレバに続いて、2位に入って銀メダルを獲得した。
2008年8月の北京オリンピックでは、前回アテネ五輪優勝の野口みずきが直前で欠場したため、金メダル有力候補と言われた。しかし、優勝したコンスタンティナ・トメスクの19kmからのロングスパートについていけず、最後は2位のキャサリン・ヌデレバにもゴール手前の直線でかわされたものの、3位に入って銅メダルを獲得した。
2009年9月の世界陸上ベルリン大会は4位入賞に留まり、世界陸上2大会連続のメダル獲得はならなかった(優勝は同中国代表の白雪)。
2010年11月、自国で開催された広州アジア競技大会女子マラソンでは、レース終盤自らスパートして優勝。アジア競技大会・女子マラソンの種目では、史上初めての2大会連続金メダリストとなった。
2005年3月13日にソウル国際マラソンで優勝してから、わずか13日後の2005年3月26日のアモイマラソンにも出場し、優勝している。これは、女子マラソンにおける、国際マラソン級の大会での最短間隔連続優勝記録である。
エピソード
- 河南省南西部にある社旗県賒店鎮周荘村の農村の貧困家庭に産まれた。
- 通っていた小学校の校庭の真ん中にはこんもりした墳墓が二つあってスポーツには適さず、まともな用具もなかった。体育教師の竇宏偉は、体育で長距離を走らせても息を切らせずに平然としている周春秀を見て「練習して田舎を出るんだ。このままじゃ両親の農業を継ぐだけになるぞ」と、本格的に選手を目指すよう説得した。
- 周春秀は運動着や靴が買えず、いつも同じあい色のシャツとズボンを身につけていた。「運動選手に見えない」と校内で笑われ、地元の体育関係者にも相手にされなかった。しかし竇宏偉は「自分の力で現状を変えようと思え」と励まし続けてきた。
- 竇宏偉の見込み通り周春秀はメキメキ実力をつけ、11歳の時に社旗県体育委員会体育隊に参加、出場した南陽市小学生陸上競技大会の1500m競技で第2位となった。この結果から楊友華コーチに注目され、南陽市体育学校に推薦入学する。
- その後股関節の故障によってリハビリを余儀なくされるが、2001年に江蘇省陸上競技チームに移って練習を続けた。後に蘇州市に戸籍を移している。
- 2003年にアモイで開かれた国際大会で「初マラソン初優勝」、アテネ五輪前に代表入り、06年にはドーハアジア競技大会で優勝と順調に階段を駆け上がってきた。
- 周春秀の活躍で、平屋の3部屋だった実家は2階建てに建て替えられた。
- アジア大会後、勝利に沸きかえる故郷の社旗県に里帰りした周春秀は母校を訪ね、恩師竇宏偉に言った。「ここまで来られたのは先生のおかげです。先生がいなければ、今もこの村にいたと思います」
- 農村部の貧困家庭に産まれ、家庭環境から一時は競技をあきらめかけながら、恩師の励ましで長距離選手の道を歩んだ周春秀の人生は「チャイニーズドリーム」そのものだ。
主な記録(マラソン)
年月 | 大会 | 順位 | 記録 |
---|---|---|---|
2003年03月 | アモイマラソン (中国) | 優勝 | 2時間34分16秒 |
2003年10月 | 北京国際マラソン (中国) | 2位 | 2時間23分41秒 |
2004年03月 | アモイマラソン (中国) | 優勝 | 2時間23分28秒 |
2004年08月 | アテネオリンピック (ギリシャ) | 33位 | 2時間42分54秒 |
2004年10月 | 北京国際マラソン (中国) | 2位 | 2時間28分42秒 |
2005年03月 | ソウル国際マラソン (韓国) | 優勝 | 2時間23分24秒 |
2005年03月 | アモイマラソン (中国) | 優勝 | 2時間29分58秒 |
2005年08月 | 世界陸上ヘルシンキ大会 (フィンランド) | 5位 | 2時間24分12秒 |
2005年10月 | 北京国際マラソン (中国) | 2位 | 2時間21分11秒 |
2006年03月 | ソウル国際マラソン (韓国) | 優勝 | 2時間19分51秒 |
2006年12月 | ドーハアジア競技大会 (カタール) | 優勝 | 2時間27分03秒 |
2007年04月 | ロンドンマラソン (イギリス) | 優勝 | 2時間20分38秒 |
2007年09月 | 世界陸上大阪大会 (日本) | 2位 | 2時間30分45秒 |
2008年04月 | 北京プレオリンピックマラソン (中国) | 2位 | 2時間37分49秒 |
2008年08月 | 北京オリンピック (中国) | 3位 | 2時間27分07秒 |
2009年04月 | ロンドンマラソン (イギリス) | 12位 | 2時間29分02秒 |
2009年08月 | 世界陸上ベルリン大会 (ドイツ) | 4位 | 2時間25分39秒 |
2009年10月 | 北京国際マラソン (中国) | 4位 | 2時間34分57秒 |
2010年03月 | ソウル国際マラソン (韓国) | 2位 | 2時間25分01秒 |
2010年11月 | 広州アジア競技大会 (中国) | 優勝 | 2時間25分00秒 |