南京中央国術館
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國立南京中央國術館(こくりつなんきんちゅうおうこくじゅつかん)』とは、戦前の中華民国の首都南京に所在した、国術(guóshù中国武術)の研究と優れた武術家の養成のために、 中国国民党政府によって発足された、中国武術の全国的統一組織であった。
1928年3月に設立され、当初の名称は國術研究館と称されていた。 1928年6月に名称を中央國術館に改め本格的な活動をはじめる。 初代館長は西北軍閥の張之江将軍(六合八法拳)、副館長は東北軍閥の李景林将軍が就任。 教習学科は、少林門(外家拳全般を教授。)と武当門(六合八法拳、太極拳、形意拳、八卦掌)の二学科が設立されていた(後に学科を各門派ごとに改める。)。 最盛期には中国全土に分館を設立し日中戦争が激化して南京が陥落した後も、本部を内陸の重慶に移して存続されたが、 日中戦争終結後に再開された内戦により中国共産党が勝利し、中華人民共和国が成立すると1949年10月に消滅を余儀なくされた。
南京中央国術館の組織構成
開館初期
理事会理事長 ・ 李 烈鈞、戴 季陶。
名誉館長 ・ 馮 玉祥。
中央国術館館長 ・ 張 之江。
副館長 ・ 李 景林。
中央国術館門長 ・ 少林門門長 ・ 王 子平。
科長 ・ 馬 英図 馬 裕甫。
教授内容 ・ 少林拳、 八極拳、 劈掛拳、 査拳、 弾腿。
武當門門長 ・ 高 振東。 科長 ・ 柳 印虎
教授内容 ・ 太極拳、 形意拳、 八卦掌。
※その後、少林門、武當門の廃止により、後期の組織構成は以下の通りとなった。
開館後期
中央国術館館長 ・ 張 之江。
副館長 ・ 李 景林から 二、張 驤伍。 三、鈕 永健。 四、張 樹聲。 五、1939年より陳 泮嶺。
中央国術館顧問 ・ 張 洪之。
教務處 ・ 馬 良、 呉 俊山、 孫 玉銘、 郝 鴻昌。
編審處 ・ 唐 豪、 姜 容樵。 副處長 ・ 黄 柏年。
審編員 ・ 金 一明。
総務處 ・ 李 滋茂、 朱 家驊。
全國國術考試について
全國國術考試は、また ‘國術國考’ あるいは ‘國考 ’とも称されており、 これは当事の国家機関下で開催された初の正式な武術考試(試験)であるが、様々な要因から挙行されたのはわずか二回のみである。 場所は南京公共體育場。
全國國術考試には中国全土より武術家が参加したが、正試種目(格闘試合)では流血する場面がたびたびあったことから、‘現代体育化の精神に反するもの’との批判もあった。
預試種目では套路演練、正試種目では両者が自由に打ち合う格闘試合(体重無差別)が行なわれた。
一、第一回全國國術考試----1928年10月11日から19日。
二、第二回全國國術考試----1933年10月20日から30日。
中央国術館の著名な関係者
張玉衛(八極拳)。
陳子明(陳家太極拳)。
唐豪(武術史研究家、六合拳)。
黄柏年(形意拳、八卦掌)。
孫錫坤(八卦掌)。
1936年、ベルリン五輪にて演武した中央国術館の団員
温 敬銘(綿拳、金考手翻子、六合大槍、三合剣。などで著名。武漢体育学院教授)。
張 文廣(査拳、摔角などで著名。後に北京体育学院教授)。
鄭 懐賢(孫 禄堂の門弟。内家拳、擒拿術などで著名。また骨傷治療の大家としても知られる)。
劉 玉華(双刀、査拳、などで著名。武漢体育学院教授)。
傅 淑雲(剣術、綿拳。後に台湾に移住)。
金 石生(少摩拳、少摩刀)。
寇 運興
張 爾鼎
翟 漣源
中央国術館出版著作
《国術館考絛例》
《中央国術館組織大綱》
《省、市国術館組織大綱》
《縣国術館組織大綱》
《少林武當考》
《査拳図説》
《達 磨 剣》
《青 萍 剣》
《君 子 剣》
《太 行 拳 術》
《少 林 拳》
《三十二勢長拳》
《石頭拳術秘訣》
《寫真太師虎尾鞭》
その他
《国術旬刊》
《国術周刊》
《国術季刊》
《国術特刊》など。