加藤慶信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 慶信
(かとう よしのぶ)
生誕 1976年????
山梨県南アルプス市
死没 2008年10月1日(2008-10-01)(32歳)
チベットクーラカンリ
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治大学法学部
著名な実績

8000メートル峰8座登頂
エベレスト登頂2回

2005年北稜
2008年南東稜
テンプレートを表示

加藤 慶信(かとう よしのぶ、1976年 - 2008年10月1日)、は日本登山家山梨県南アルプス市出身、2000年明治大学法学部卒。

概要[編集]

1976年、山梨県南アルプス市に生まれる。1994年山梨県立白根高等学校卒業、2000年明治大学法学部卒業[1]

小中学校時代はサッカー、高校時代はバレーボールを楽しむが、明治大学入学後、山岳部に入部し山の世界にのめり込む。卒業後は明治大学山岳部OB会である炉辺会に所属し、8000m峰の山を次々に制覇、8座[1]、のべ11回の登頂に成功。ICI石井スポーツ新宿西口店勤務。明治大学山岳部コーチ。文部科学省国立登山研修所講師。

2004年日本山岳界の若手リーダーとして天野和明とともに第24回野口賞(主催:山梨日日新聞社、山梨放送、山梨文化会館)を受賞した。

2008年[1]10月1日クーラカンリ(7,538m/チベット)登山中、有村哲史中村進とともに雪崩に巻き込まれて死亡。

エピソード[編集]

  • 天野和明とは同じ山梨県出身、明治大学山岳部ということもあり、2人で登山をしたときは頂上で持参した「風林火山」の旗をはためかせ、喜びを分かち合った。一緒に都内の登山用品店に勤め、富士山の山小屋で山岳ガイドとしてともに働いた。

経歴[編集]

8月13日 - ガッシャーブルムI峰(8,068m/パキスタン)登頂。(高橋和弘,天野和明,森章一等6名)
※ガッシャーブルムII峰、I峰連続登頂
  • 2002年10月3日 - ローツェ(8,516m/ネパール)登頂((三谷統一郎,高橋和弘,天野和明,森章一等6名)。
  • 2003年5月16日 - アンナプルナⅠ峰[南壁](8,091m/ネパール)登頂。(山本篤,高橋和弘,天野和明,森章一等6名)
  • 2005年5月27日 - エベレスト[北稜](8,848m/ネパール)無酸素登頂。帰路酸素使用。(奥田仁一2名)
  • 2006年5月3日 - チョ・オユー(8,201m/チベット)登頂(天野和明2名)。
5月18日 - シシャパンマ(8,027m/チベット)登頂(天野和明2名)。

TV出演[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c おいっ子へ命のリレー - 読売 online 2013年1月1日

関連項目[編集]