中川久定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Spiana (会話 | 投稿記録) による 2022年8月19日 (金) 08:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 - 2017年6月18日)は、日本フランス文学者日本学士院会員。京都大学名誉教授豊後国岡藩大分県竹田市)中川家(旧伯爵家)第18代当主。

来歴・人物

東京生まれ。名前が難読のため、同世代の学者からは「キューテイ」と呼ばれている。

1953年京都大学文学部仏文科卒、在学中の1952年に起きた京大天皇事件では、学生の処分撤回を求めて高橋和巳一海知義[1]らとハンストを行っている。新・京都学派の一員でもあった。

1956年同・大学院修士課程修了、フランスのソルボンヌ大学博士課程に学び、1961年中退。名古屋大学教養部講師、1965年助教授、1971年京大文学部仏文科助教授、1980年教授、1992年文学部長、1994年定年退官、名誉教授、近畿大学文芸学部教授、1997年京都国立博物館長、2001年国際高等研究所副所長。

フランス18世紀の思想家ドゥニ・ディドロを専門とし、後半生はフランス語での研究著述・出版を軸とし、パリ・ディドロ大学客員教授、パリ国立東洋言語文明研究所客員教授、パリ高等師範学校客員教授なども歴任した。国内では百科全書を中心とする17・18世紀の啓蒙思想古典、紀行探検記の監修・編集代表、河合文化教育研究所主任研究員も務めた。

旧岡藩主中川家に伝わる多数の資料を地元竹田市に寄贈した。2001年に竹田市名誉市民の称号を贈られた[2]。2017年6月18日、肺炎のため死去[3]。86歳。

賞典

1967年辰野賞受賞、1985年フランス教育功労章オフィシエを授与、1993年京都新聞文化賞受賞、1995年日本学士院会員、2001年秋に勲二等瑞宝章受章[4]、2004年レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与、2007年京都府文化賞特別功労賞受賞。

著書

初版と第2版とに表現された著者の意識の構造にかんする考察
  • 『甦るルソー 深層の読解』岩波現代選書 1983
  • 『ディドロ 人類の知的遺産41』講談社 1985
  • 『ディドロの<現代性>』河合ブックレット 1986 小冊子
  • 『啓蒙の世紀の光のもとで ディドロと<百科全書>』岩波書店 1994
  • 『転倒の島 18世紀フランス文学史の諸断面』岩波書店 2002
  • 『ディドロ、18世紀のヨーロッパと日本』岩波書店 1991(編著)
  • 『十八世紀における他者のイメージ アジアの側から、そしてヨーロッパの側から』
河合文化教育研究所 2006(編著の一人)

翻訳

編集委員

論文

関連人物

脚注

  1. ^ 川西政明『評伝高橋和巳』161p
  2. ^ 竹田の名誉市民
  3. ^ 訃報:中川久定さん86歳=元京都国立博物館長 - 毎日新聞
  4. ^ 「2001年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2001年11月3日朝刊
  5. ^ ドゥニ・ディドロ『著作集 第4巻 美学・美術 付・研究論集』 法政大学出版局 2013年 共訳